何か分からないことがあったら「Google」で検索するようになって久しい。そう、困った時は世界のGoogle先生に相談だ。Googleに聞けばどんなことだって教えてくれるんやでぇ~。
そんな中、ちょいと気になる噂を耳にした。なんでもGoogleで「イケメン」と検索すると、意外すぎる “世界的超大物” が表示されるらしいのだ。はて? 一体誰のことだろうか? そこで実際に試してみたところ、想像した以上にヤバイことになったためお伝えしたい。
何か分からないことがあったら「Google」で検索するようになって久しい。そう、困った時は世界のGoogle先生に相談だ。Googleに聞けばどんなことだって教えてくれるんやでぇ~。
そんな中、ちょいと気になる噂を耳にした。なんでもGoogleで「イケメン」と検索すると、意外すぎる “世界的超大物” が表示されるらしいのだ。はて? 一体誰のことだろうか? そこで実際に試してみたところ、想像した以上にヤバイことになったためお伝えしたい。
2019年12月20日、ついに映画『スター・ウォーズ / スカイウォーカーの夜明け』が公開される。当サイトでは公開を記念して5連続インタビューを敢行中だが、今回は第3弾! C-3PO役の「アンソニー・ダニエルズ」のインタビューをお届けする。
金ピカ翻訳ドロイドのC-3POは、R2-D2と並び全シリーズに登場している人気キャラクターで、役者に限って言えばアンソニー・ダニエルズが唯一のシリーズ全出演を果たしている(R2はCGになったこともあるため)。40年以上もスター・ウォーズに携わり続けてきたアンソニー・ダニエルズは、まさに “レジェンド” である。
『ピンクの電話』という言葉に反応し、思わずこの記事をクリックしてしまった人は、おそらく40代以上の方だろう。ピンクの電話とは、新種のスマホでも艶っぽいサービスでもなく、レジェンドお笑いコンビのことである。
ピンクの電話──。1980年代から90年代にかけて、爆発的な面白さを誇った「ものまね王座決定戦」で確かな存在感を放っていた2人はいまどこで何をしているのだろうか? 調べてみたところ、大変ヤヴァイことになっていたのでご報告したい。
皆さん、いい週末を過ごしていますか? 1週間の疲れをゆっくり癒してくださいね。さて、本日3月9日はサン(3)とキュー(9)の語呂合わせで「感謝の日」だそうだ。こんな日は、普段は言えない感謝の言葉を誰かに伝えるのもいいかもしれない。
せっかくなので私(あひるねこ)もその流れに乗ろうと思うのだが……考えつくのはこの人しかいなかった。そう、当サイトの名物記者・佐藤英典だ。今回は佐藤への感謝の気持ちを込めて、彼がいかにスゴイ男なのかを皆さんにお伝えしたいと思う。永久保存版だぞ。
「自分とそっくりの人が最低3人はいる」と言われているこの世界。しかし、どっちがどっちかわからなくなるレベルのそっくりさんに出会ったことのある方は、そう多くはいないだろう。
今ネットでは、あるツーショット写真に写った2人がそっくり過ぎると話題になっている。その2人の人物とは……葛西紀明さんと加藤鷹さんだ。
ミッキーマウスのほか、白雪姫、美女と野獣などでおなじみのディズニーアニメ。その知名度たるや世界トップクラス。アニメ界のひとつの頂点といっても過言ではない。
そんなディズニーに長年勤めた伝説のアニメーターが即興でVR空間にイラストを書いたらどうなるのか? その答えがわかる動画「Glen Keane Live Animates The Little Mermaid’s Ariel」で素晴らしいタッチをご覧いただきたい。
もし、あなたがサモ・ハン・キンポー氏に会って話が聞けるとしよう。一体何を尋ねるだろうか? 香港映画界屈指のアクションスターであり、史上最強の “動けるデブ” としても名高い同氏だが、やはり気になるのは「ジャッキー・チェン及びユン・ピョウとの関係性」ではないだろうか?
今回は、自らが20年ぶりにメガホンを執った話題作『おじいちゃんはデブゴン』のプロモーションのため来日したサモ・ハン・キンポー氏に「また2人と映画を撮らないんですか?」とド直球の質問をぶつけてみたのでご覧いただきたい。ズバリ、ファン必見である!
サモ・ハン・キンポー。古今東西問わず、ここまで人の胸をトキめかせる人名があるだろうか? そう、香港映画のレジェンドであり、動けるデブの代名詞、サモ・ハン・キンポー氏のことである。
そんなサモ・ハン・キンポーが20年ぶりに大復活! 監督と主演を務める『おじいちゃんはデブゴン』が公開されるというのだ!! しかも2017年4月6日には、サモ・ハン自ら舞台挨拶もするなんて……会社をズル休みしてでも行くしかねぇぇぇえええええ!
引退から約40年が経ち、76歳となった今でもなお、伝説的存在であり「サッカーの王様」とも呼ばれるペレ。祖国のブラジルはもちろん、世界中で知られていることは説明するまでもないだろう。
W杯で3度の優勝、背番号「10」をエースナンバーにしたことなど、逸話は挙げればキリなし。ただ、彼の名前を知っているも、実際に何がどうスゴかったのかは知らないという人は多いのではないだろうか。
また伝説がひとつ終わりを告げた。WWE公式ホームページによれば、“スーパーフライ” ことジミー・スヌーカ氏が、2017年1月15日 死去した。73歳だった。アメリカのみならず日本でも活躍したレジェンドの訃報に、ネット上には追悼の声が相次いでいる。
SNSやYouTubeなどの流行によって、インターネットの影響力がますます高まりを見せている昨今。たくさんの話題が生まれると同時に、忘れ去られていくニュースも数多く存在する。
今回は、初めて見る方は思わず驚き、見たことのある方は「懐かし~!」と叫んでしまいそうな動画をお届けしたい。おじさんが鍵盤を弾きながらドラムの音を鳴らし始めるのだが……その後の意外な展開に要注目だ!!
プロ野球界には数多くのレジェンド選手がいるものだが、中でもロッテオリオンズでプレーした村田兆治さんは別格のようだ。なぜなら2016年3月30日、千葉ロッテマリーンズと東北楽天ゴールデンイーグルスの試合で始球式を務めると、66歳ながら131キロの速球を投げ込んでみせたのである!
人生には良い事も悪い事も50:50(フィフティーフィフティー)とはよく言ったものだが、それは人間に限ったことではないのかもしれない。
ラブラドールレトリーバーの「ラウディー」は、皮膚の病気で目の周りの皮膚の色が抜け落ちて、まるで動物のシャチのようなルックスになってしまった。それだけでも十分珍しいのだが、他にもラウディーは、もはや不死身……!? とも思ってしまうような九死に一生体験をかいくぐってきたりと、レジェンド級にスペシャルな犬なのだ!
2015年6月24日で37歳となった元サッカー日本代表の中村俊輔選手。彼のスゴさは今さら言うまでもないところだが、やはりスゴいと改めて思わせてくれる動画が YouTube にアップされていたのでご報告したい。
この度、その動画「Scottish Football Legends – Shunsuke Nakamura」を公開したのは、スコティッシュ・プレミアシップの公式サイト。なんと中村俊輔選手の誕生日に合わせ、所属していたセルティックでのプレー集をプレゼントしてくれたぞ!
プロレス誕生の起源には諸説あるが、100年以上の歴史を誇り、今なお愛され続けているのは紛れもない事実である。その間、数千人のプロレスラーが数万、数十万の技を繰り出してきたが、「どの技が一番強烈か?」と聞かれたら、私(筆者)はスタン・ハンセンの『ウェスタンラリアット』を挙げたい。
スタン・ハンセン……。プロレスファンなら誰もが認めるレジェンドレスラーである。そんなハンセンの必殺技『ウェスタンラリアット』だけを95個も収めた映像が YouTube にアップされているのでご紹介したい。動画のタイトルは『スタン・ハンセン ウェスタンラリアット集』だ!!
2006年にドイツで行われたW杯の決勝で、ひとりの選手が自身のサッカー人生に誰も予想だにしない終止符の打ち方をした。彼の名前はジネディーヌ・ジダン。サッカー界で言わずと知れたレジェンドのひとりだ。
相手選手に頭突きを見舞って退場と、選手としてだけではなく去り際も伝説となった彼だが、約8年の歳月が過ぎ、実際にどんな選手だったのかイマイチ知らないという人も増えてきたことだろう。そこで今回は、彼のことをどうスゴいのか一発でわかる動画「Zinedine Zidane Best Player Ever [HQ]」と共にご紹介したい。
引退から約16年経った今もサッカー界に名を残す男・マラドーナ。現在53歳で現役時に比べると随分太ってしまったが、それでもまとうオーラは凄まじい。アルゼンチンの英雄であることはご存知の通り、今も世界中に彼のファンは数多くいる。
しかし近年では名前を知っていても、プレーは知らないという人も増えてきた。ということで、以前現役時の神プレー集をご紹介したのだが、今回は彼のリフティングを集めた超レア動画「Diego Maradona ● The Freestyle Creator」をお届けしたいと思う。
2014年9月5日、プロ野球史に新たな1ページが刻まれた。中日ドラゴンズ vs 阪神タイガース(ナゴヤドーム)の一戦で49歳の山本昌投手が今季一軍で初先発。二軍戦から中9日の登板でまずは最年長出場記録を更新すると、相手エースの能見投手との緊迫した投げ合いを制し、勝利を手にしたのだ。
多くの外国人レスラーにとって、聖地というべき場所が日本にある。東京は目黒に店を構える「ステーキハウス リベラ」だ。来日した彼らは、ほぼ100%の確率でリベラを目指すのである。
1970年代後半、ステーキは今のように一般的ではなく、高価であった。その頃から、手頃な価格で本場のレスラーたちをも唸らせるステーキを提供してきた、「元祖・格闘グルメ」もしくは「格闘グルメレジェンド」ともいうべきお店なのだ!