「何事もしっかり準備をして臨むことが大事」ってよく言われるけれど、準備をしすぎて逆に失敗することだってあるのだから気をつけよう! 

──本記事で私が言いたいことをひと言でまとめると、上の通りである。つまり、やりすぎは良くないってこと。しかし、 “準備” に関しては「徹底的にやる方がいい」といったような意見もあるため、私が「準備しすぎは良くない」とだけ言っても納得しかねる読者だっていることだろう。

そこで、私が実際に体験した「準備しすぎて全てが台無しになった事例」を紹介することにより、あまり知られてない「準備しすぎることの怖さ」について注意喚起を促したい。以下のエピソードを読めば、「準備が全て」という考えの持ち主も、その弊害にハッとさせられる……はずだ。

それは昨年、私がプライベートでギリシャを旅行した際に起きた。エーゲ海の島々を訪れた後に最終目的地のアテネにたどり着き、ギリシャ滞在最後の1日を迎えたときのことである。

その日、 “旅行の締め” として私が選んだのがアテネ市内にあるゼウス神殿。名前の通り、ギリシャ神話の最高神・ゼウスが祀(まつ)られている神殿で、ギリシャ神話の聖地と言っても過言ではない場所だ。

「ゼウス神殿でギリシャの長い歴史を思う存分堪能した後、空港に向かおう」──私はそう考えたのである。

・一歩一歩かみ締めながら歩く

ゼウス神殿はアテネ市内の中心部にあるので、アクセスも悪くない。以前の記事でお伝えしたパルテノン神殿があるアクロポリスの丘を東の方へ下っていくと、ゼウス神殿に突き当たるって感じだ。

そのアクロポリスの丘を、私は一歩一歩かみしめるようにして下っていった。私が何気なく踏んだ小石は、かつてソクラテスが踏んだものかもしれない。いや、古代のアテネ市民がスパルタ兵に投げつけたものかもしれない。

なんてことを考えながら歩いていると、一目で古代建築と分かる門が見えてきた。ハドリアヌスの凱旋門と呼ばれるその門の奥側が、ゼウス神殿だ。ちなみにハドリアヌスの凱旋門は、ギリシャ文化を愛した古代ローマの皇帝・ハドリアヌスの功績を称(たた)えるために建てられたらしい。

さて、そのハドリアヌスの凱旋門の脇を通って神殿の入り口に向かい、敷地内に入ってみた。そして神殿を見上げたその時……!! 私はまるで、ゼウスの武器(雷)を脳天に投げつけられたような気分になったのだ。そこから始まった悪魔的体験は、次のページで紹介したい。

Report:和才雄一郎
Photo:RocketNews24.