誰にだって、秘密はある。前回の記事で紹介した私(沢井メグ)が上海で訪れたホテル。一見、ただの汚い宿だったが、このホテルにも秘密が隠されていた。

ホテルのある一画に一般の宿泊客が入れない区画があったのだ。警備のオッサンいわく「ここは牢屋。拷問が行われていたんだよ」……は? ホテルで拷問って一体何屋さんですか! 中国どうなってるの!?

・ホテルに牢屋!?

最強立地、宿泊費もリーズナブルでありながら、設備と朝食のマズさで中国のクチコミサイトで「最悪評価」を食らっている『翰庭酒店(ハンティン)』だ。……というとイイトコなしにも聞こえるかもしれないが、人情味あるホテルであり、私(沢井)はココがお気に入りだったりする。

さて、オッサンが言っていた「拷問部屋」に話を戻したい。

「ここね、昔、牢屋だったんだよ」

確かに、ホテル内部には立入禁止区画があった。特定のオッサンの許しを得た者のみが入ることができる場所。オッサンに連れて行ってもらうと、そこにはビックリするくらいの狭い小部屋があった。

今はただの物置。どんな拷問が行えたというのか。オッサンによると水責めにする拷問部屋だったそう。ええ、なんか具体的なんですけど……部屋の中を見渡すと確かに通気口なども見当たらない。一体誰が何のために拷問していたというのだろう。オッサンいわく「旧日本軍が使ってたんじゃないかなぁ」とのことだった。マジか。

・信じられなかったので調べてみた

ホテルに牢屋って何事だよ!? 警備のオッサンによると、何でも元々ここは昔は上海きってのシャレオツな劇場だったらしい。そう言われてみると、汚いホテルのわりには壁や階段などにヨーロピアンな装飾が施されている。

調べたところ、確かにこの建物は1926年に「パンテオンシアター(百星大戯院)」として開業。中国で初めてトーキー映画を上映するなど、かなり最先端な施設だったと判明した。ちなみにその後、経営が変わったり、日本軍に接収されたり、戦後は国民党に接収されたり、万年筆の工場になったり、紆余曲折を経て今にいたるという。

日本軍……!! そういえば、このあたりは「旧日本人居住区」だ。魯迅と深い親交のあった内山完造の内山書店に、北海道のソウルドリンク『カツゲン』を生み出した雪印メグミルクの前身『北海道製酪販売組合連合会』の上海事務所があったのも、このエリアだと聞く。製造工場は少し離れた場所だけどね。

・埋もれていく歴史

オッサンの話を聞いてから5年くらい経っただろうか。断続的に調査をしていたが、「あ~牢屋の話、本当かも」という事実は多く出てきたものの、実際にそこで拷問が行われていたのかどうかは、確認できなかった。オッサンの戯言の可能性もあるが、このエリアの歴史を考えると「絶対になかった」とも言いがたい。

そんな歴史も言い伝えも、いまは近所のレトロ万年筆屋がその残り香を放つのみ……であったが! 2018年3月には万年筆屋も姿を消していた。再開発のために一帯の建物が取り壊されるというのだ。

ホテル自体も、フロントのオバちゃんいわく「年末までは営業してるわよ~。その後はわからない、社長次第」とのことだった。建物自体は2003年に区の文化財に指定されたので、取り壊されることはないだろう。

しかしホテルとしての営業となると話は別であるようだ。また味わいある宿がひとつ消えるのかもしれない。伝説のタイの『ジュライホテル』、上海の『浦江飯店(アスター・ハウス・ホテル)』のように……。

街がキレイになり、光があふれるというのは、上海市にとって良いことと言えるかもしれない。勝手な言い分かと思うが、旅人としては寂しい気持ちでいっぱいなのだった。<完>

参考図書:『上海歴史ガイドマップ(大修館書店)』
参考リンク:中国人民政治协商会议上海市虹口区委员会
Report、イラスト:沢井メグ
Photo:Rocketnews24.

こちらもどうぞ→沢井メグの『魔都上海案内

▼かつて劇場で、旧日本軍や国民党に接収、万年筆工場からのホテルとなった『翰庭酒店(ハンティン)』

▼ハンティンがある虹口区は戦前「日本人居住区」だった。「外」と「中」は鉄門で隔たれていたという。門の跡がこのあたり

▼かつての日本人居住区との境界らへん。鉄線も張り巡らされており、自警団や軍が警備にあたっていたのだとか

▼なんでこんな場所にレトロ万年筆屋? ……と思っていたが、ホテルがかつて万年筆工場だったためかもしれない

▼それも全部取り壊しに

▼周囲の民家も

▼がらーん。あとは取り壊しを待つだけだ

▼万年筆屋のおじいちゃん、お元気かしら……


▼360度カメラで、ホテルの部屋からのかつての景色。タップするとクルクル回るよ

上海、下町の宿 - Spherical Image - RICOH THETA