本日5月16日は旅の日。この記念日は、1988年に旅の文化の向上を目指す団体「日本旅のペンクラブ」が提唱して誕生したものなのだそうだ。その日本旅のペンクラブのサイトによると、松尾芭蕉が奥の細道に旅立ったのが5月16日(陰暦元禄2年3月27日)なのだという。

松尾芭蕉と言えば、忍者説もあるくらいエクストリームな旅をしていることでも有名。そこで本日を記念し、ロケットニュース24の記者が体験したエクストリームすぎる旅行をここにまとめたい。

・中澤星児「エクストリーム・イングランド」

まずは、私(中澤)から。バンドでのフェス出演と取材を兼ねて行ったイギリス旅行は一生忘れないだろう。朝6時にヒースローに着くや、取材のためロンドンを歩き回り、テムズ川でイングヴェイして出会った美女にドクロ旗が掲げられている謎の港に連れていかれた。その日の宿であるイングランド南のアンバーリーに着いたのは深夜の12時くらい。

受付にまだ人がいてくれて良かった……と胸をなでおろしたのも束の間。翌日はイギリス国内線の出発時間の関係で4時起きでヒースロー空港に戻り、イングランドの北ノーサンバーランドへ。さらに翌日は、フェス出演のため再び南の海岸沿いブライトンへ。

ちなみに、アンバーリーからノーサンバーランドは大体600km、ノンサンバーランドからブライトンも600km超え。イングランドを縦に往復したことになる。間違いなく人生で1番エクストリームな旅だった。


・P.K.サンジュン「エクストリーム・ニュージーランド」

ニュージーランド航空が空港券をくれるって話があったんだけど、当初はどうしようか悩んでいた。だがしかし、日本では出現しないポケモンがニュージーランドで実装されたから急転直下! すぐさま1泊3日でニュージーランドに飛んだ

ニュージーランドまで片道10時間だから、往復で20時間は雲の上。現地にはジャスト24時間しか滞在できなかったけど、それでも十分にリフレッシュできたしポケモンGOも楽しめた。コロナが落ち着いたら世界のどこでもイイから行きたいね。


・佐藤英典「エクストリーム・東京~金沢」

北陸新幹線が開通した時のことだ。当編集部でそれぞれの行き方で金沢に向かうという企画をやった。その際、私は東京から茨城・大洗に出て、そこからフェリーで北海道・苫小牧に向かい、さらに苫小牧から福井・敦賀へと海路で移動した。最初と最後だけ鉄道移動になったが、東日本を海づたいで移動したことになる

フェリーの乗船時間は40時間以上に及んだが、この旅が大変快適だった。船はいい、船内なら好きなように動くことができるし、食事も睡眠も満足できるものだった。可能なら、また船旅に出たいものだ。次は日本一周してみたいなあ。


・砂子間正貫「エクストリーム・エジプト」

大学の卒業旅行でエジプトへ。ナイル川の帆掛け舟ツアーに参加した際、まったく風が吹かず川のど真ん中で漂流してしまった(乗船4名)。その後、現地ガイドが舟を破壊し、舟の板で漕ぎ始めるも……前にも後ろにも進まず。

さらに、通りかかった豪華客船にロープを投げて助けてもらうべく、ガイドがロープを準備……したまでは良かったが、思いっきり投げたロープは一直線でナイル川へ。あの時はマジで後ろからブッ飛ばそうかと思った。

結局、一部始終を岸から見ていた現地人に助けてもらったが……危うく人生の卒業旅行になるところだった。砂漠で馬にも追いかけられたし、良い思い出は1つもない。


・冨樫さや「エクストリーム・アラスカ」

アラスカでクジラやアザラシを探す野生動物ウォッチングに参加したときのこと。

小さな観光船は木の葉のように上下左右に揺れ、胃の中のものをリバースする人が続出。毎日のように乗船しているクルーはどこ吹く風で、なにごともないかのようにホットドリンクやスナックなどサービスしてくれる。

アラスカの名物といえばサーモン。船内には、むせかえるほど生ぐさいスモークサーモン・カナッペの香り! 筆者は事前に酔い止め薬を飲んでいたので平気だったが、多くの人にとっては生き地獄だったと思う。しかし初めて見た野生のラッコの大群は人生観が変わるほどの感動だった。もう1度行きたい。


・GO羽鳥「エクストリーム・ベトナム」

手渡されたのは5万円のみ。この5枚の諭吉で海外旅行を楽しんでこいとの無茶な企画であるが、元バックパッカーの私としては余裕のヨッチャンな楽勝の任務。心ゆくまでベトナム旅行を楽しんできた

航空券だけで4万5000円以上も吹っ飛んだため、宿は超激安な「穴ぐら」的なドミトリーだったが、お気に入りのレストランをほぼ網羅しつつ、残高77円で満喫フィニッシュ。またベトナム行きたいなぁ~。


・亀沢郁奈「エクストリーム・モロッコ」

モロッコのタンジェからカサブランカ行きのバスが予定より9時間遅れ、到着したのは真夜中。ホテルの場所か分かりずらく、私はスラム街っぽい場所へ迷い込んでしまった。すると「道案内するよ」と声をかけてきたのは笑顔のモロッコ人青年だ。

逃げたくても逃げる方向が分からないため、青年についていく他に道はない。幸運にも彼は本当にホテルまで案内してくれたのだが、私はあの10分間、マジで死を覚悟していた。女性の1人旅はくれぐれも計画的に!

ところで「本当にありがとう」とくり返しお礼を言い、ホテルに入ろうとした私に彼は悲しげな顔で「ギブミーマネー」と言った。お世話になったらお金を払うのが当然だ。恩人の彼に言いづらい言葉を言わせたことを、今も後悔している


・K.Masami「エクストリーム・岩手」

あれはいつの頃だったか、岩手県は遠野に行った時のことだ。河童にまつわる話がある「カッパ淵」にて、ひとりの男性が声をかけてきた。ヨレっとしたシャツを身につけて、ボロッとした帽子を被ったなんとも言い難い怪しげな風貌だった。

必死になにかを訴える彼の言葉を聞き取ろうとするも、なにを言っているかわからない。隣にいる友人を見ると、同じくポカンとしている。彼は一体何者で、私たちになにを伝えようとしていたのか。未だ判然としないが、もしかするとカッパ淵の主だったのかもしれない。


・田代大一朗「エクストリーム・トルコ」

危険という意味でのエクストリームな旅は思い浮かばないが、「踊りを見て涙する」という忘れられない旅行の思い出ならある。

トルコ各地を旅するなか、その日はコンヤに来ていた。一緒に旅行していた妻の話によると、コンヤでは「セマー」という世界的に有名な踊りが見られるらしい。調べてみると、セマーはメヴラーナ教団というイスラム神秘主義の教団が儀式として行う踊りのことで、なかなか見られないらしい。

日が暮れ、儀式が始まる時間に会場を訪れた。静かな闇夜のなかスポットライトに照らされた屋外ステージに、厳かな表情をした信者たちが入ってくる。生演奏の音楽が流れると、信者たちが一人一人くるくる回り始めた。

セマーはひたすら回り続ける踊りなのだが、そのさまがとにかく美しい。浜辺の波のようにゆらゆらとなびく白いスカート、そしてまるで神様の世界にいるかのような幸福と安らさに満ちた表情。あまりの美しさに自然と涙がこぼれ落ちた。あの感動は一生忘れられないと思う。


・江川資具「エクストリーム・ドイツ」

色々あってドイツのフランクフルト駅周辺にて、1人でFKKというとてもエッチな施設をエンジョイしていた筆者(詳しくは各自ググってね)。その時、諸々の合間に館内のバーにて酒を飲んで休憩していたところ、20代半ばくらいの日本人の青年に声をかけられたのだ

話を聞くと、数日後にフランクフルトで開催される技術関連のカンファレンスに日本から参加しに来ていたのだとか。仕事内容は「プレステの基盤などのレーザー刻印みたいなヤツです」とかなんとか言っていた。

彼はドイツ語も英語も不慣れで、勢いと気合でFKKに来てみたはいいものの、どうしたらいいのかわからず途方に暮れていたらしい。そこでたまたま日本人な筆者を見かけ、声をかけたのだという。

筆者「そうでしたか、ところでどんなのが好みなんです?」
青年「あそこにいるプラチナブロンドの方とか……綺麗で可愛いですね……」
筆者「オーケィ、呼んできましょう。普通のプレイでいいですよね?」
青年「えっ」
筆者「後ろの方とか、複数とかがお好みで?」
青年「えっ」
筆者「もっとハードなのが良いんですか? される方が良いとか、外でとか」
青年「えっ、いや、普通で」

ということで筆者が少し離れた所にいたレディに声をかけ、青年を紹介し、値段や内容を両者から合意をとり……そして、彼はそのプラチナブロンドのレディと共にニッコニコで奥の個室に消えていった

ちなみにこの間、筆者も青年もそのレディも全員全裸かタオル一枚だった。その後彼がどうなったのかは知らないが、今でも時折思い出しては気になってしまう。カンファレンスは上手くいったのだろうか? 入り浸りすぎて腰を痛めたりはしなかっただろうか……と。


・あひるねこ「エクストリーム・中国

中国で安いビジネスホテルに泊まったら、ドアの下の隙間から風俗のチラシみたいなカードを勝手に入れてくるヤツがいた。最初は入れられるたびに捨てていたのだが、何度も何度も入れてくるのでしばらく放置したところ、最終的に50枚くらいになって「トレーディングカードかよ!」と叫んだ


・和才雄一郎「エクストリーム・インド」

大学生の頃に割とナメた気持ちでインドに行ったら、はからずもエクストリームっぽい感じになった。理由はありがちなのだが、ボラれる警戒心と変な場所に連れて行かれる恐怖。

そのせいで、ニューデリーの空港に着いてから丸2日くらい眠らずに過ごす羽目になったから、エクストリーム旅行といえばエクストリーム旅行かと思う。参考までに、出発から宿にたどり着くまでの流れの一部を矢印で書くと……

バイト帰りに空港に向かう → 飛行機に乗りニューデリーの空港に到着 → 市街地行きのバスに乗るべくチケットを購入しようとしたら、車掌がお釣りを渡さないトラブル発生 → ブチギレてバスを降り適当なタクシーに乗る → タクシー運転手に「市街地まで」と言ったのにタクシー運転手「これから友達の店へ行く」 → ブチギレ → 逆ギレしてきた運転手に変な場所で降ろされる → ビビりながら歩いて市街地へ

声をかけてきた人が「そっちはスラムだから危ない。俺のリキシャー(三輪タクシー)に乗れ」と言うのでリキシャーに乗る → リキシャー運転手「これから友達の店へ行く」 → ブチギレ → ブチギレ → ブチギレ → ブチギレ……

──こう書くとインド人が全員ボッタくる印象を持つかもしれないので補足しておくと、親切なインド人もめちゃくちゃいた。そして、そんなインド人のおかげで、自分のような不慣れな人間でも何とか無事に帰ってくることが出来たし、「コロナが収まったらまた行きないな~」って気持ちになっているのかと思う。


・原田たかし「エクストリーム・中国」

中国・北京を旅行中、いきなり「青島で青島ビールを飲みたい」というアホな話になり、急遽夜行列車に乗って向かうことに。カチコチ&極狭ベッドでほとんど眠れず、到着時間も遅れて合計1日くらい列車で過ごす地獄のような旅だった

しかし、青島で飲む青島ビールが想像していたよりも100倍ウマくて結果として大満足。ちょいちょいボッタくられたけど、それがどうでもよくなるくらい街並みが欧風で中国と思えない土地だった青島。コロナが収束したらもう一度行きたいなぁ。


・五月薫「エクストリーム・フランス」

その時勤めていた会社の先輩に「パリに行ったら絶対行って欲しい」というポトフが美味しいレストランを教えてもらいました。飲み物がついて値段はおそらく15ユーロくらい?だったと思います。

注文して運ばれてきたのはパンと具がないスープのみ。スープの中は野菜のクズみたいなものが浮いてるくらいでした。想像していたものと全然違うものが出てきて、コレで腹を満たさないといけないのか……と思いながらゆっくり汁をすすっていたら、店主が何度もスープの器をチラ見しに来ました。

「なんだろう?」と思いながら、パンをスープに浸しながらゆっくり食べすすめ、スープがなくなった頃に「食べ終わった?」とフランス語で聞かれ、「oui」と答えると、その後、ポトフのスープで煮込まれたであろう野菜や牛肉や牛の骨髄が盛られた皿が運ばれてきました。

フランス式のポトフに、今までのポトフの概念が大きく覆されました。具が運ばれてきた頃にはもうお腹がいっぱいであまり具を堪能することができなかったのですが、美味しかったです。ちゃんと食べ方を調べていくべきでした。


・まろ「エクストリーム・中国」

学生時代に4人で上海の豫園に行った時、英語をなんとなく話せる友人が、現地の若い女性2人組に声をかけられて意気投合。「豫園(よえん)の小籠包は人気で待つから、その間に一緒にカフェでもどう?」と、どんどん人気のないエリアへ案内される展開に

「これはまずいぞ」とが誰もが思い始めたその時、少し先の店から日本人男性が「詐欺だーー!」と叫びながら飛び出てきたではないか。パトカーも順次到着し、現場は一時騒然。一緒にいた女性2人組はいつのまにか消えていた。

さすがに言われるがまま店に入ることは無かったと思うが、浮かれてるとほいほいついて行っちゃうもんなんだと反省。今では笑い話ですが、あの時はほんとアホだったなぁ。

参考リンク:日本旅のペンクラブ
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.