お年寄りに席を譲る、ベビーカーを抱えて階段を上るママさんを見たら手助けする、あたり前のことである。だがこのご時世、そのあたり前ができない人が実に多い。現代日本は1つのミスも許されない減点方式主義、世知辛い世の中になったものだ。

私自身は瞬発力を第一に「こんなアッシで良ければ、いつでも手をお貸ししやす」と心がけているが、今回は私自身がちょっとした人助けをしてもらい、さらにその人が放った一言に感動してしまった話をお届けしたい。ああいう人に私は憧れる──。

・減点方式主義

例えば冒頭で触れた「ベビーカーを抱えて階段を上るママ」を見かけた場合、あなたならどうするだろうか? 代わりにベビーカーを持ってあげるだろうか? それともママさんと一緒にベビーカーを持つだろうか? それともそれとも、ただ見過ごすだけだろうか?

20年前なら正解は「代わりにベビーカーを持ってあげる」なのだろうが、現代日本は違う。「もしベビーカーを落としちゃったらどう責任を取るんですか?」などとリスクが挙げられ、結果的に「やって点を取るよりやらないで0点の方がいい」と考える人も多い時代なのだ。つまり、減点方式主義である。

前置きが長くなったが、今回私が経験した話はその真逆。ちょっとした手助けに加え、たった一言で私をハッピーな気持ちにさせてくれた、超加点方式のエピソードだ。

・混雑した車内で

あれは数週間前のこと、帰宅時間と重なりまあまあ混雑した地下鉄に私は乗車していた。目的地まではまだ数駅、たしか立ったままスマホでもいじっていたと思う。すると乗車した駅から1つ目の駅に到着した際、30代前半とおぼしき女性が、


「カバン開いてますよ」


……と声をかけてくれたのだ。私はリュックサックを背負っていたのだが、確かに小さいポケットのチャックが全開になっているではないか。中に入れていたiPhoneの充電ケーブルやヘアワックスは丸見えで、もしスリが近くにいたら格好の獲物であったハズだ。

基本的にはこれだけでも親切な話である。他人に声をかけるのは気恥ずかしいし、緊張だってしただろう。「あ、どうもありがとうございます」とお礼を言い、私はリュックのチャックを閉じようとした。すると女性は、


「チャック締めてもいいですか?」


……と発したのだ。おわかりだろうか? これが「チャック締めましょうか?」では私はそこまで感動しなかっただろう。なぜなら既に1手助けしてもらっている私はこれ以上のお手間はかけられないと「結構です、自分で締めます」と言うに決まっているからだ。

・似たような言葉だけど

しかし「締めても “いいですか?”」ならば、素直に「ではお願いします」と返答できる。「締めましょうか?」の追加親切ではなく、「締めてもいいですか?」と “むしろ私が締めたいんです” 的なニュアンスを含ませた言葉選びのセンスに、私は感動してしまったのだ。

例えば会社で新規プロジェクトがあったとしよう。そこで「やりましょうか?」という人と「やっていいですか?」という人、あなたならどちらに仕事を任せたいだろうか? 似たような言葉なのに、受け手の印象はだいぶ違う

これまで私は、例えば電車の中で席を譲ったとしても、そこまでの気遣いはできなかった。ただ「どうぞ」と告げて足早に立ち去っていただけである。あの日、丸ノ内線で声をかけてくれたお姉さん、あなたのような人に私はなりたい──。

執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.

▼あの日のお姉さん、ありがとう。