世界一のサーカスをめざし、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団して9年目。横浜公演で念願の舞台デビューを果たした私は、その後も新潟、仙台、静岡……と各地を転々とする巡業生活を続けていた。
スポットライトを浴び、観客の拍手に包まれる。そんな非日常の輝きに満ちたステージに「安定」という言葉は存在しない。今回はサーカスの舞台に立ち続けるためには避けて通れない怪我との付き合い方について書いてみたい。
「世界一のサーカスをめざし 新人募集」という看板を見てテンションが上がる人は、木下サーカスの団員に向いていると思う。かくいう私(砂子間正貫)もテンションが上がって就職活動用のスーツを脱ぎ捨てた1人だ。
体操経験ゼロ、舞台音響・照明の知識もゼロ、なんならサーカスを見た記憶もない。いわゆる普通の大学生が、世界一のサーカスをめざし……勢いだけでサーカス団員になってしまった。
それから約11年半のサーカス生活で経験したことを少しずつ振り返りたい。
世界一のサーカスをめざし、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団して9年目。横浜公演で念願の舞台デビューを果たした私は、その後も新潟、仙台、静岡……と各地を転々とする巡業生活を続けていた。
スポットライトを浴び、観客の拍手に包まれる。そんな非日常の輝きに満ちたステージに「安定」という言葉は存在しない。今回はサーカスの舞台に立ち続けるためには避けて通れない怪我との付き合い方について書いてみたい。
世界一のサーカスをめざし、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団して9年目。裏方としてテントを建て、照明や音響を操り、何千回と舞台を支えてきた私が……ついに「芸を受け継ぐ側」として最終関門に立つことになった。
2004年の横浜公演で入団したあの日から9年。北海道から沖縄まで巡業を重ね、ふたたび帰ってきた横浜の地でその時が訪れた。ゴールデンウィークに突入する直前、公演後の誰もいないテント。
リングサイドのど真ん中に社長が座り、後方の指定席には仕事を終えた団員たちが静かに腰を下ろす。ほぼ全員の前で半年間の練習の成果を披露する。単なる通し稽古ではない。芸を託されるかどうかが決まる最終試験がいよいよ始まった。
ごく普通の大学生が木下サーカスに入団して9年目。舞台を支える裏方として全国を転々とし、北海道から沖縄まで、気づけばサーカスとともに日本を一周していた。裏方仕事に誇りはある。だが、ステージで活躍する仲間を見続けた結果……
「あの場所に立ちたい」と思ってしまった。別の夢を叶え、挫折も経験した私は、沖縄公演の新年会の場で「今度は舞台でサーカスに貢献します」と、いわゆる新年会のノリで宣言……壇上に立たされてテンションが上がり、つい熱い想いがあふれ出てしまった。
しかーし、言ってしまった以上やるしかない。こうして32歳、遅咲きにもほどがあるオールドルーキーの挑戦が始まったのである!
ごく普通の大学生が木下サーカスに入団。客席案内や音響照明といった裏方業務をしていた私が、いつの間にか空中ブランコを目指す新人たちと一緒に汗を流し「野球選手になる」という子供の頃からの夢をサーカスと欽ちゃんの力で叶えてもらっていた。
ここまでは奇跡のような展開だった……が! その先に待っていたのは、映画でいえば「延々と続くエンドロール」のような時間だった。
野球選手になることにゴールテープを設定していたため……私の成長は完全に止まった。木下サーカスと野球選手を掛け持ちしていた日々は、前に進んでいるようで、どこにも向かっていなかったのである。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団。3カ月おきに全国を転々とする巡業生活の中で、舞台以外で団員たちが異常なまでに本気になるイベントがある。それは……100人規模で開催される「ボウリング大会」だ。
おそらくサーカス団員が仕事以外で最も本気になるスポーツは「ボウリング」だろう。なぜ親睦目的のボウリング大会に、全員が異常なまでの情熱を燃やすのか……今回は、そんなサーカス団員たちの “熱血バトル” について書いてみたい。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団。約3カ月おきに全国を転々とするサーカス生活にもすっかり慣れてくると「いつか定住するならこの街だな」なんて考えが、ふと頭をよぎるようになる。
旅を続ける生活の中で、誰もが一度は「去る日」を意識する瞬間が訪れるのだ。サーカスの毎日は出会いの連続であると同時に、別れの連続でもある。今回はそんなサーカス団員たちの退団する理由と別れの時間について書いてみたい。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団。華やかな舞台の裏側には団員たちの生活があり、家族のような日常がある。そんなサーカスの主役になるのは人間だけではない。
今回は札幌公演で出会った1匹の野良猫の話である。札幌で出会い、全国を巡り、そして九州で奇跡の再会を果たした「サーカスの猫」の物語をお届けしたい。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団。全国を転々とするサーカス団員たちには、年に1度だけ約1週間の長期休暇がある。
団員たちは実家に帰ったり、さらに遠くへ旅に出たり、それぞれ自由に過ごす。私自身も休暇を使って香港、ヨルダン、北朝鮮などを旅してきた。そんな中、数年に1度だけ行われるのが「社員旅行」だ!
2010年の行き先は事前アンケートの結果、上海とマカオに決定。上海では世界最高峰の雑技団を、マカオではシルク・ドゥ・ソレイユの常設公演を鑑賞する。観光と研修を兼ねた、サーカス団員ならではの団体旅行が始まった。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団してから約3年半。京都・梅小路公園の寒い夜に銭湯で語り合った “若者たちの夢” はそれぞれの形で現実になりつつあった。
そしてついに……私自身も夢に挑戦する時が来たのである。サーカス流トレーニングで鍛えた体も気持ちも「夢を叶える準備」はできていた。いや、できまくっていたと言っても過言ではない。
──しかし、その先で待っていたのは完全に予想外の展開だった!
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下大サーカスに入団して2年目の冬。京都・梅小路公園の夜は死ぬほど寒かったが、公演後のテントでは地獄の練習がいつも通り行われていた。そして……
銭湯で練習仲間から「夢は何か?」と問われ、その場のノリで「野球選手」と答えた結果……なぜか本気で受け止められ、厳しい練習後に1人でバットを振り続ける生活が始まった。というのが、これまでのあらすじである。
冗談半分で語った夢が、気づけば本気の挑戦へと変わっていく。そのスイッチが入ると、物語は思わぬ方向へと転がり始めたのだった。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下大サーカスに入団。サーカスの舞台を支える音響や照明の仕事をしながら、仕事後には練習仲間と共にトレーニングの毎日。長く苦しい練習を重ねた団員たちはいよいよ舞台デビューを迎えるのだが……
デビュー前には避けて通れない最終関門がある。社長と先輩団員が見守る中で行われる「社長見せ」の最終リハーサルだ。独特の緊張感に包まれながら、仲間たちの挑戦が始まるのだった。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団。サーカスの舞台を支えるピンスポットや音響の仕事をしながら、仕事後にはトレーニングの毎日。ほとんどプライベートのない環境だったが、サーカスにももちろん “休日” はある。
休演日は毎週木曜日で、当時(2000年代)は月に1度だけ水曜・木曜の2連休が組まれていた。団員たちは休日に疲れた体をメンテナンス……するはずもなく、知らない土地を思う存分味わうために「行きたい場所」「食べたいもの」を細かくリストアップ。
というわけで今回は、巡業先でもさらに旅をする、旅を求めるサーカス団員の休日の思い出を紹介したい。
木下大サーカス名古屋公演は、7月13日の開幕以来、白川公園特設会場で連日大盛況を続けているようだ。夏休みから秋にかけて多くの観客を魅了し、いよいよ10月27日のフィナーレが迫っている。
そこで今回は、空中ブランコやオートバイショーで活躍している現役団員にインタビューを敢行。サーカス入団当時のエピソードや、サーカス生活ならではの苦労を聞いた。読めばきっと、フィナーレ直前の公演をもっと楽しめるはずだ。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団。舞台を照らすピンスポットも、音響卓の操作も身につけ、公演後のトレーニングにもなんとか慣れてきた。裏方ながら団員生活を楽しむ余裕も生まれていたのだが……
私を含め団員たちが本気で恐れていたものがある。
「台風」だ。ひとたび台風発生のニュースが出れば、進路図を睨みながら一喜一憂することになる。なぜなら直撃が決まった瞬間……サーカスの命である巨大テントを守るため、団員たちは『アルマゲドン』さながら暴風雨に立ち向かわねばならないからだ。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団して3年目。舞台を照らすピンスポットはすでに完璧にマスターし、私は次なる持ち場として音響卓の操作を任されることになった。
タイミングよく音楽を切り替えたり、効果音を鳴らしたり、開演前や休憩中、公演終了後のアナウンスを流したり……これまた舞台を支える重要な仕事だ。
さらに仕事ができる先輩・中尾さんから曲の編集作業なども教わり、充実した日々を送る……はずだった。
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団して2年目の冬。京都・梅小路公園の夜は底冷えするほど寒かったが、公演を終えた夜のテントには体力を持て余したイキのいい若者たちが集まり、その場は異様なまでの熱気に包まれていた。
そこになぜか連行されるように混ざることになった私まで逃げ場のない地獄の練習に参加……余力をすべて削り取られる日々。当時は夢を追いかけるというより有り余ったエネルギーを使い果たすことに達成感を覚えていた。
22時過ぎに練習を終えると近所の銭湯へ直行。梅小路公園から歩いて行ける昔ながらの銭湯は23時頃まで開いていて、ボコボコ湯(バイブラ)に浸かりながら他愛ない世間話をするのが、あの頃のささやかなご褒美だった。
世界一のサーカスをめざし、ごく普通の大学生が木下大サーカスに入団して2年目の冬。気づけば2人のヤバい後輩に巻き込まれる形で、私も地獄の練習メニューに参加。練習生3人で心身の限界を超え続ける日々を過ごしていた。
一方で、練習の合間にも “サーカスの日常” がある。移動のたびに地元のスーパーや銭湯、うまい店を仲間内で共有し、夜はバーベキューや誕生日会で笑い合う。前回の内容が暑苦しかったので今回は “ほのぼの回” をお届けしたい。移動直後の舞台裏からどうぞ!
世界一のサーカスをめざし、ごく普通の大学生が木下大サーカスに入団。「旅は若いうちに」とはよく言うが、たった2年で横浜、鶴見緑地、岸和田、高松、沖縄、調布、新潟、柏、そして気づけば京都である。
そんな旅の途中でスターの血を引く15歳の彰吾 & 夜の世界から飛び込んできたマ〜シ〜が仲間入り……ここまで刺激的だと落ち着いて仕事などしていられない。言うまでもなく、その後もヤバい展開が待っていた。