今はどうか知らないが、昔は国語の教科書を読めない中学生は結構いた気がする。大阪の田舎で育った私(中澤)。中学生だった25年前は、まだ時代遅れのヤンキーがはびこっていて、学区の1番下の高校は名前を書ければ合格という噂だった。当時、ヤンキーにすらネタにされており、どんな人が入学するんだろうと思っていたが……

事実、高校まで漢字が読めなかったというのが海猫沢めろん先生だ。ちなみに、現在の職業は小説家。って、よくそこから小説家になったな!? 最下層から頂上まで這い上がっているではないか。一体何が起こったのか本人に聞いてみた

・新人賞候補2回

2011年『愛についての感じ』で野間文芸新人賞候補、2018年には『キッズファイヤー・ドットコム』で再び野間文芸新人賞候補、熊日文学賞受賞と、今や小説家として着実にキャリアを積んでいる海猫沢めろん先生。

小説の新人賞候補に入る人なんて国語の天才児だろ。テストは常に満点だったに違いない……と思いきや、本人いわく、シンプルに頭が悪すぎて漢字が読めなかったのだという。

海猫沢めろん「ヤンキーなどではなくむしろアニメオタクだったんですが、文章を読んでも言葉の意味が分からず何が書いてあるかが理解できなくて……。だから活字もほとんど触れたことがありませんでした」


──そこからよく小説家になれましたね……? 聞いた感じだとすでに苦手意識が芽生え始めている気がするんですが。高校受験で頑張ったとか?

・人生の転機

海猫沢めろん「いえ、頑張ってません。むしろ、頑張らなかったからこそ、人生の転機にぶち当たったと言えるでしょう。結局、どこにも行けなかった僕は日生学園に入学したんですから」


──日生学園って何ですか?


海猫沢めろん「当時、関西の最底辺校として有名だった全寮制の高校です。頭の悪い奴、性格の悪い奴、育ちが悪い奴とか、どうしようもない奴が全国から集まる高校で、ヤンキーにすら「少年院よりひどい」と噂されるほどでした。まことしやかに『男塾』のモデルとも言われていましたね」


──男塾と言われるとちょっと通ってみたい気もしますね。


海猫沢めろん「いや、マジで面白くない男塾なんで、絶対やめた方がいいですよ。今はどうか分かりませんけど、僕が通ってた頃は1部屋36人のタコ部屋で、朝は5時半起床でしたし、起床3秒で自習机につかないと先輩にリンチされる感じでした。さらに、起きがけに3キロマラソンして、便器を素手で磨いて……」


──え? 便器を素手でって雑巾は持ちますよね?


海猫沢めろん「持ちません。完全に徒手空拳、肌で便器を磨くのがルールでした。で、ルールと言えば、校訓が「全力」だったので、話す時は常に怒鳴り声です。

山の下の寮から山の上の学校に登校するんですが、街から隔離された土地で、生徒が逃げられないように敷地の周りに有刺鉄線が張ってありましたね。夜になるとサーチライトが煌々と輝いていて、家に帰れるのは2カ月に1回だけ」


──そんな高校が存在するとは。っていうか、活字からさらに遠ざかってるような……。

・活字に触れたキッカケ

海猫沢めろん「マンガは持ち込み禁止だし、テレビは寮に1台だけあったけど『男塾』で言う大豪院邪鬼にあたるボス的な先輩がチャンネル権を持ってるから自由には見れないんです。だから、とにかく娯楽がゼロで。

そんな中、ライトノベルだけはギリギリ持ち込みOKだったんです。しかし、文字が読めないのは変わってないので、まず辞書から読み始める感じでライトノベルを解読してました」


──ラノベを古文書みたいに解読するのは激アツですけど、それはそれで別の地獄な気もするんですが。


海猫沢めろん「その労力は当時のリアルの地獄っぷりに比べたら大したことなかったですね。卒業するころには図書館の本ほぼ全部読んだんじゃないかな? それからですね。小説家になりたいと思うようになったのは。あの地獄で見た光を自分でも目指したいと思いました。

もちろん、だからっていきなり小説家になれるわけではないですし、大変なことはいっぱいあったんですが、日生学園の日常に比べたらほとんどは「なんとかなる」と思えることでした


──そういう意味では日生学園の日々があったからこそ乗り越えられたと言えるかもしれませんね。


海猫沢めろん「まあ、そう言えなくもないですが、またあの時代に戻りたいかと言われれば確実にNOなので複雑な気持ちではあります」


──とのこと。ちなみに、「僕がいた頃の日生学園はこういう感じだった」と海猫沢めろん先生が見せてくれた動画はエクストラコンテンツに貼っておくので気になる方はご確認いただけると。ただし、見るのにも気合が必要なことは付け加えておく

・全力を出したことがないかもしれない

人はその気になればなんにでもなれる。テレビや広告でそんな言葉を聞く度に私はこう思ってきた。「いくら焦がれて頑張ってもなれないものにはなれない」と。だが、海猫沢めろん先生の話を聞いた今、自分はこのレベルでその気になったことがあるかどうか疑わしいとも思う

そんな海猫沢めろん先生は、2022年5月27日に『TOKYOHEAD NONFIX』を上梓。これは90年代のアーケードゲームシーンを描いた、日本初のゲーマールポ『TOKYOHEAD』の続編。

19年に急逝したライター、大塚ギチさんが遺した資料を引き継ぎ、日本のe-sportsの源流となる「バーチャファイター」シーンを支えたプレイヤーたちを描いた作品だという。

日本のゲーム史を語るには欠かせないマストな一冊だが、普通の書店やAmazonでは買えず、ゲームセンター「ミカド」で限定発売されている。気になる方はリンクからチェキラ!

参考リンク:『TOKYOHEAD NONFIX
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.、(C)TBSラジオ

▼海猫沢めろん先生がいた90年代は誇張なしでこういう感じだったという

▼ちなみに、海猫沢先生は、佐藤友哉先生、滝本竜彦先生、ブロガーのphaさん、出版社員のロベス氏の5人とロックバンド・エリーツを結成しており、同人誌も発売している