2020年3月29日、新型コロナウィルス感染を公表していたタレントの志村けんさんが亡くなった。70歳だった。「変なおじさん」「バカ殿」「アイーン」など、日本の喜劇王ともいうべき志村さんの訃報に衝撃が走っている。

志村さんがどれほど凄い人物だったのか? それぞれに思い出や想い入れがあることかと思うが、私、P.K.サンジュンは高校生の頃に1つ年上のイラン人ハーフの先輩に聞いた「志村けんの偉大さ」が忘れられない。

・1つ上の先輩、マリちゃん

あれはもう25年ほど前のこと。当時、私は高校2年生で1つ年上に「マリちゃん」という女の先輩がいた。マリちゃんはいわゆる “イケてるグループ” の一員で、一方の私は毎日スポーツ新聞(朝は日刊スポーツ、夕方は東スポ)を片手に登校する冴えない男子高校生であった。

ただ、持ち前の明るさと親友の姉がイケてるグループにいたこともあり、学校終わりのたまり場でマリちゃんとはちょいちょい顔を合わせた。1度だけ、なぜそうなったかは覚えていないが、みんなでマリちゃんの家に遊びに行ったことがある。そういう仲だった。

マリちゃんは今でいうところの “陽キャ” というヤツで、とにかく頭の回転が早く、天才的な笑いのセンスの持ち主。お母さんがイラン人のマリちゃんは顔立ちもハッキリしており、それ以上に笑いのセンスが際立っていた。私が今まで出会った女性の中で3本の指に入るおもしろさ、それがマリちゃんだ。

・当時から「シムケン」と略していたマリちゃん

そんなマリちゃんは常日頃から「志村けんのファン」と公言していた。おそらく志村けんさんのことを “シムケン” と略していた日本最古の1人で、当時はその響きだけで爆笑が巻き起こったものだ。まだ「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が終了して間もない時期のことである。

同世代の女性が「好きな芸能人は?」と問われれば、木村拓哉、福山雅治、反町隆史、いしだ壱成……と口を揃えていた時代。マリちゃんだけは「シムケンがNo.1っしょ」と言って譲らなかった。その “シムケン愛” は本物で「今日はバカ殿だから早く帰らなきゃ」とか「ファンレターを書いた」などと聞いた気がする。とにかくマリちゃんは “シムケンLOVE” だったのだ。

・志村けんが好きな理由

なぜマリちゃんはそんなに志村けんが好きだったのか? いつもは「なんで志村けんなの?」と質問しても「顔面」などとしか答えてくれなかったマリちゃんが、1度だけこう聞かせてくれたことがあった。


「うちのお母さんは若い頃にイランから来てるじゃん? もちろん日本語なんて全然わからないからテレビも面白くなかったらしいんだけど、その中でも “ドリフターズ” と “吉本新喜劇” だけは言葉がわからなくても面白かったんだって。特にシムケンは言葉が1番いらないコメディアンなんだってさ」


私も幼い頃から「8時だョ! 全員集合」や「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を見て育ってきたから、志村けんの面白さについては十分にわかっていたつもりである。ただ、マリちゃんの言う「言葉がわからなくても伝わるおもしろさ」については、当時は理解していなかった。

・世界レベルのコメディアン

そう言われてから志村けんのコントを観てみると、確かに言葉が不必要なものがほとんどで、付け加えるならば子供からお年寄りまでが笑えるものばかりである。言葉の壁も人種の壁も年齢の壁も軽々と越えていくコメディアン、それが「志村けん」なのだ。

多くの日本人は当時の私と同じように、志村さんのことを「日本のコメディアン」と捉えていることかと思うが、同時に「世界に通用するコメディアン」であったことをどうか覚えておいて欲しい。稀代のコメディアン、志村けんさんに合掌──。

執筆:P.K.サンジュン
イラスト:マミヤ狂四郎稲葉翔子
Photo:RocketNews24.