国民的支持を得ているアニメ制作会社スタジオジブリ。その初の映画作品である『天空の城ラピュタ』は特に人気が高いように思う。実際、再放送のたびに老若男女問わず多くの人々が沸き立っている。日本を代表するアニメ映画と表しても過言ではないだろう。

だがしかし、驚くべきことに私(西本)はそんな『ラピュタ』を観たことがない。30年間生きてきて今まで1度もである。さすがにそろそろ観ておかねばと焦燥感が募り始めていたのだが、先日、折よく再放送があったのでようやく初視聴にこぎつけることができた。そして私は、『ラピュタ』を通じて深い絶望を味わうことになったのだ。

・ジブリと自分

本題に移る前に、「どのジブリ映画なら観たことあるの?」と思われた方もいるかもしれないので、一応私のジブリ遍歴を記しておこう。鑑賞済みの作品は以下の通りだ。


『となりのトトロ』


以上である。実を言うと『トトロ』のみなのである。「ジブリあんまり好きじゃないの?」とか「『トトロ』以外観たら死ぬ人なの?」と思われた方もいるかもしれないが、特に事情があったわけではなく、ただ観る機会もなく素通りしてきてしまったのだ。

とはいえ、作品に関して完全に無知というわけではなかった。『ラピュタ』で言うなら、「空から女の子が落ちてくるらしい」とか「 “バルス” という呪文があるらしい」とか「あの地平線が輝くのはどこかに君を隠しているかららしい」とか、そういった断片的な知識はあった。

そしてそれゆえ「どんな物語なのだろう」と気になってもいたし、「そろそろ観ておかねば周りと話も合わせづらい」という気持ちも年々膨張の一途をたどり、その結果、前述の通り今回の再放送での視聴に至ったわけである。


・問題はパズー

前置きはこのくらいにして、ここからはそんな超絶ジブリビギナー三十路男が『ラピュタ』を観て何を感じたかについて書いていきたい。当然ながらネタバレがあるので注意してほしい。また大いに主観が入っている点もご了承いただければ幸いだ。

『ラピュタ』という作品が面白かったか面白くなかったかと聞かれれば、「ハチャメチャに面白かった」と答える。主人公パズーとヒロインのシータを含めたキャラクターたちが活き活きと動くさま、壮大なスぺクタクル、今なお色あせぬ映像美。1986年の映画だというから驚きだ。

シータが本当に空から舞い降りてきた時はどうしようもなくワクワクしたし、有名なバルスのシーンを観た時は感慨深くなったし、エンディングで主題歌『君をのせて』が流れた時は涙腺が緩んだ。名作と呼ばれるのも頷ける。1回の視聴で『ラピュタ』ファンになってしまった。

だがしかし、混じり気なしに心から没入して視聴できたかと言えば、答えは否だ。さまざまな要素に心打たれながらも、一方で、没入を妨げる作中の「どうしても気になる部分」に脳の一部を占められていたのだ。その「気になる部分」というのは──


パズーという男、天然タラシすぎやしないか?


これである。言わずもがな『ラピュタ』はボーイミーツガール物であり、冒険の中でパズーとシータが親密になっていくさまが描かれるわけだが、その際パズーは圧倒的なパフォーマンスを発揮し、シータの信頼を信じがたい速度で獲得していく。

 

具体的に彼らが恋仲になったという描写はないが、私の目にはパズーはシータに恋心を抱いていたように映ったし、そしてシータは彼に完全に堕ちていたように見えた。

心に甘く寄り添う言葉をさらりと口にし、危機に陥ろうともシータを優しくかばう──そんな年若い少年のナチュラルプレイボーイぶりと、それを観る現実の自分のダメ三十路人間具合……そのギャップに私はショックを受け、打ちのめされてしまったのだ。


・タラシの証

「パズーってそこまで言うほどのキャラだったっけ?」と思われたかもしれないので、彼の人間性について、より深く掘り下げていこう。

まず最初に衝撃を受けたのは、パズーとシータの出会いから一夜明け、シータが目を覚ましたあとのシーンである。パズーの家の屋根の上で、彼はシータにハトのエサを渡し、群がるハトに笑顔を浮かべる彼女を見て言い放つ。


安心した。どうやら人間みたいだ。さっきまで、ひょっとすると天使じゃないかって心配してたんだ


彼女が飛行石の力で空から降りてきたことに、そう言及する彼。この台詞を聞いた時、私は「コイツ上級者だ……」と驚嘆した。普通なら単に「空から降ってきたから驚いたよ」だけで済ませるところに、耽美極まる表現を平然と差し込んできたのだ。

しかし文字だけで見るとキザな台詞も、パズーが口にすると全く鼻につかないから不思議である。おそらく彼は特に何も意識せず、変に飾り立てたつもりもなく本心から言ってのけたのだろう。

その後、パズーはそうした持ち前の人当たりの良さで、彼女と互いに笑い合うまでに打ち解ける。初めて言葉を交わしてから約2分半後のことである。恐るべきコミュニケーション強者だ。初対面の人とそんな風に打ち解ける自信のないコミュ弱者の私は、羨望を抱かずにいられなかった。


・さらなるタラシの証

シータに至高の第一印象を与えたパズーだったが、彼の「無意識の口説き」はもちろんこれだけでは終わらない。初会話の場面以上に衝撃を受けたのは、海賊ドーラ一家や軍隊に追い詰められ、2人が地下の洞窟に落ちてしまったあとのシーンだ。

アクシデントにも全く動じず「さあ行こう」とシータを先導する成熟加減にも驚くが、続く彼の言動には度肝を抜かれた。自分のせいで巻き込んでしまったことを謝るシータに、パズーは気にすることないというように笑ってから、


君が空から降りてきた時、ドキドキしたんだ。きっと素敵なことが始まったんだって


またしても自然に、優しく朗らかにそう返すのである。これには「コイツ仕上がりすぎだろ……」という感想を禁じえなかった。何を経験したらそんな甘い台詞を吐けるようになるのか。

彼の言葉によってシータは笑顔を取り戻す。天性のモテ男パワーと言うほかない。


・まだまだタラシ

イケメンパズーのシーンはまだまだある。ムスカに捕らわれたシータを助けるためドーラに協力を仰ぐ際、自分に力があれば彼女を守ってあげられた、ラピュタの財宝なんて要らないから彼女を守りたいと話すパズーの姿は、目がくらむほどまぶしかった。

そして救出に成功し、凄惨な出来事の連続に泣きじゃくるシータを、声をかけずに黙って抱き締め続ける彼。行動力と思いやりがありありと表れているシーンだ。あまりにイケパズすぎて涙が出そうになった。

ドーラの手下の1人が、シータを抱くパズーを見て「いいなぁ……」と羨ましげにつぶやくのだが、画面の前の私は完全にその手下と心がシンクロしていた。なぜそんなにも完成されたモテボーイなんだパズー、なぜ私はパズーじゃないんだと、胸の内で叫んでいた。

この辺りから、パズーに対する気持ちが羨望を通り越して、ねたみやそねみに変わっていた。私が独身男性であることとその変化は密接に関係していたように思う。


・タラシすぎてもう

私の心が醜さを帯びていくにつれ、パズーとシータは目に見えて睦まじくなっていった。ドーラの飛行船の見張り台で、パズーのマントに2人でくるまりながら彼らは語り合う。ラピュタ文明の力におびえ、飛行石を持ち出すべきではなかったと話すシータに、


違うよ。あの石のおかげで、僕はシータに会えたんだもの。


パズーはロマンティックな言葉で応じ、彼女を安心させる。さらに彼は、何も心配は要らないとばかりに「全部片付いたら、きっとゴンドア(シータの故郷)へ送っていってあげる」と約束し、こう続ける。


見たいんだ。シータの生まれた古い家や、谷や、ヤクたちを


受け取りようによっては告白にも聞こえる台詞に、「ああっ、パズー……!」と喜びに震える声を発するシータ。その会話を伝声管越しに聞いていたドーラの手下がうんざりした顔をするが、私の顔も完全に手下とシンクロしていた


・終わらないタラシ

物語は終盤に差しかかり、ついに念願のラピュタ上陸を果たす彼ら。2人をつないでいたロープをほどけず困っていたシータを、いとも自然にロープごと抱き上げるパズー。そのまま崖まで走っていき、ラピュタの光景を目の当たりにすると、2人そろって歓喜にはしゃぐ。

勢いあまってバランスを崩し、2人は転んで草原に倒れてしまう。至近距離で見つめ合い、そして笑い合う。私はそんな彼らを「ご結婚おめでとうございます」という投げやりな思いで見ていた。

パズーに対するねたみは、自分に対する絶望に変わっていた。私もパズーみたいな人間になりたかった。でも、なれない。努力で追いつけるレベルでもない。次元が違いすぎる。生まれ変わったとしても厳しい。

自分はパズーにはなれないという絶望。もっと早く、それこそ子供の頃にでもこの作品を観ていれば、純粋に物語に没入できただろうに、今はもう叶わないという絶望。

エンディングになり、『君をのせて』が流れだした時も、作品の美しさに感動を覚える一方で、「このあとパズーはシータの家に行ってイチャコラするんだろうな」という思いが頭から離れなかったのだった。


・それでも何回も観たい

というわけで、ここまで『ラピュタ』を通じて私が感じたことを長々と書き連ねてきたが、いかがだっただろうか。要は「非モテのひがみ」でしかないのだが、私への共感は得られなくとも、パズーの天然タラシスーパーモテボーイぶりは伝えられたのではなかろうか。

パズーが無自覚に繰り出すテクニックに、それを直接浴びていたシータが堕ちないわけがない。ボーイミーツガールどころか、ボーイゲッツガールであったような気がしなくもない。

ただ、こんな風に書いてはいるが、上でも述べたように私は今や『ラピュタ』のファンだ。たとえパズーになれなくとも、絶望を味わおうとも、これまで観てこなかった分、この作品を繰り返し観ていこうと思っている。 

子供の頃であれば抱かなかったであろう感情を今の私が抱いているように、10年後、20年後に再視聴したら、また別の感情を抱くに違いない。『ラピュタ』という作品には、そんな無限の天空のような広がりが秘められていると思うのだ。

執筆:西本大紀
イラスト:マミヤ狂四郎中澤星児稲葉翔子