2018年4月26日、日本人初の快挙「南極点無補給単独徒歩」を成し遂げた荻田泰永(おぎた やすなが)氏が、都内で報告会を開いた。今年の1月に南極から帰国した後、テレビやラジオなどの取材を多数受け多忙な日々を送っていた荻田氏。帰国後3カ月を経て、ようやく報告会を開く時間を設けることが出来たようだ。

この会のなかで荻田氏は、これまでメディアで明かされることのなかった “冒険の実態” を余すところなく語った。なかでも印象的だったのは、南極の風景だ。ずっとこの景色だけを見て50日間を過ごしてきたと思うと、気が滅入る……

・報告に耳を傾ける

会場となった東京・代官山UNICE(ユナイス)は、着席で90名入るダイニング。私(佐藤)が開演時間に到着すると席はすべて埋まっており、壁際には立ち見の人も。そんな中、報告会は始まった。


南極点を目指す1000キロもの距離、徒歩で歩きつづける間に、荻田氏は何を見てきたのか。

・南極の風景……

プロジェクターに映し出された写真や動画は、ずーっと白と青。足元には南極の氷床。見上げれば空。時折天気に変化はあるものの、ほかには何もない。

2時間の報告会、ずっと同じ景色を見せる訳にはいかないと思ったのか、荻田氏は風景の説明を早々と切り上げた。

「風景、以上!」、それで説明は終わり……。まあ、たしかにそうだよね……。


・ウェアもソリも開発から携わる

過去にお伝えしたインタビューにもある通り、南極冒険は荻田氏にとって、特別に大変なものではなかったという。なぜなら、北極のように足元の氷は動くことはなく、歩いたら歩いた分だけ前に進むことが大きかったらしい。

北極は氷なので、潮の流れによっては何キロも何十キロも引き戻されることがある。一方、南極は大陸だからそれがない。1000キロの道のりも、歩いてさえいればいつか必ず到達するのである。荻田氏の知識と経験の範疇に、南極点到達はあったようだ。つまり想定内の冒険だったということになる。

といっても、準備を疎かにしていたわけではない。それどころか、万全な準備をして臨んでいたことがうかがえる。

例えば、今回の冒険のために荻田氏はウェアもソリも開発段階から携わっている。

経験の範疇であっても細心の注意を払い、綿密な計画を立てているからこそ、荻田氏は成功を遂げることができたのだろう。


・2020年、再び北極に挑戦

報告会の終わりに、荻田氏は今後の計画について2つほど重要な発表を行った。1つは2019年に若者を連れて北極圏に足を踏み入れること。そしてもう1つは、2020年、つまり東京五輪の年に再び北極点無補給単独徒歩に挑むことだ。

荻田氏は過去2回、北極点に挑戦し断念している。今回の南極冒険を経て、また北極点に挑むのである。その冒険は、これまで培った経験と知識を活かされることになるだろう。「(北極点の挑戦に)なぜ失敗したかがわかった」という荻田氏。2020年、ついに悲願を達成するのだろうか?

取材協力:荻田泰永南極遠征事務局
Report:佐藤英典
Photo:Rocketnews24