クラシエフーズが発売する『甘栗むいちゃいました』は2023年で発売から25周年を迎えた。

甘栗な素朴な甘さを売りにした、自然派のポケットフーズ「甘栗むいちゃいました」。

生栗から栗の皮を剥いてみてからというもの「甘栗むいちゃいました」がこんなに安くで買えるということに驚きを禁じ得ない。

冷静に考えてみて「甘栗むいちゃいました」は異常なお菓子だと思うのだ。

・栗の皮剥きは苦行

以前、記事でも書いたが、栗の皮剥きは死ぬほど面倒で、料理の中でもかなりの苦行である。限りなく刑罰に近い調理……それが栗の皮剥きだと思う。

そのあまりの辛さに、私の手はボロボロになり、翌日以降は強烈な肩こりに悩まされた。

まず、外側の硬い鬼皮を剥くのが面倒である。さらに内側の渋皮がまったく綺麗に剥けない。私は2時間以上かけてたった15個の栗しか剥けなかった上に、仕上がりはそれはそれはブサイクであった。


・完璧な形で剥かれた栗

それなのに「甘栗むいちゃいました」ときたら、栗の皮が剥かれてすぐに食べられる状態で袋に入って売られているのである。

しかも、まったく実にキズがつくこともなく、ツルッとした完璧な形のままで……。

自分で栗を剥いて、その難しさに涙してからというもの、「甘栗むいちゃいました」のキズひとつ無いツルッとした栗が、まるで磨かれたダイヤモンドのように見えるのだ。

いったいどうやってこんなに綺麗に栗の皮が剥けるのか? しげしげと眺めてしまう。私だったらこのクオリティで栗が剥けたら、この小さな1袋を1000円以上で売ると思う。いや、もしかしたら2000円くらいで売るかもしれない……。

あの栗仕事の地獄の苦労を味わったものからすると、「甘栗むいちゃいました」は奇跡の産物としか思えないのだ。


・ネーミングセンスもすごい

そもそも、なにげなく「甘栗むいちゃいました」なんて言っているが、栗の皮剥きは「むいちゃいました」なんて軽く言えるような仕事じゃないのだ。

人の良さそうなおじさんが、頭をポリポリかきながらヘラっと笑って「甘栗むいちゃいました(笑)」と手渡してくるようなネーミング。しかし、栗をここまで美しく剥くのは並大抵の技術ではない。ひょっとしたら、おじさんのその手はスリ傷だらけなんじゃないか? 

私だったら恩を着せて「甘栗むいておきました」にすると思う。むしろ、苦労してむいた栗を人に食べさせない。インスタに写真をあげたあと、全部自分で食べる。

しかも、この皮剥きは機械でやってるものだと思っていたが、なんと手仕事で剥かれているらしい。ていねいを超えて狂気すら感じる。



・ありがたすぎるお菓子

ただ、甘栗がむかれただけの素朴なお菓子……。私もそう思っていたのだが、いざ自分で栗をむいてみたら、とてつもなくありがたいお菓子に感じるから不思議である

今までいろんなお菓子を作ったことがあるが、そのどれよりも、ダントツで栗の皮剥きが面倒だった。

世が世なら、この甘栗むいちゃいましたは貴族や皇族に献上されていた高級菓子になっていたのではないか。それがたったの数百円。たいしたことなさそうな顔で売られているのだ。


・25周年……ついに「むきたくない」宣言

で、そんな「甘栗むいちゃいました」をコンビニでふと見たら、名前がおかしなことになっていた。

どうせ甘栗むいてるだけだと思ってんでしょ」

なんでも発売25周年企画で、全24話のドラマ仕立てでのパッケージが展開されているらしい。にしても、間違い探しみたいで一見すると分かりづらいのが素朴な「甘栗むいちゃいました」らしい気がする。

連続パッケージドラマのタイトルは「もう甘栗むきたくありません」。栗の皮剥きに疲れ果てた私には分かる、25年も甘栗むくのはさぞかし大変だったろう。

あの栗剥きの苦しみを知った私は「ただ甘栗むいてるだけ」だなんて思いません。

ちなみに25周年を記念して、公式サイトでは「甘栗むいちゃいました」ヒストリーを展開中。当時のニュースや流行とともに「甘栗むいちゃいました」の歴史が紹介されているのだが、激動の時代とは裏腹に「甘栗むいちゃいました」のパッケージがほとんど変わってないところに注目である。

あらためて、25周年おめでとうございます。そして甘栗むいちゃいましたをむいてくれている人、ありがとうございます……。


参考リンク:甘栗むいちゃいました
執筆:御花畑マリコ
Photo:RocketNews24.