地方出身の私(佐藤)が、東京に出てきて最初に苦労したのが “駅” である。新宿や渋谷はとにかくデカいから迷子になるし、どこの駅に行っても昼夜を問わず人・人・人。最初の1年は駅と電車がイヤでイヤで仕方がなかった。
私の郷里の島根では、つい最近(2016年11月)まで自動改札はなかったし、満員電車とは無縁の生活だった。ところによっては無人駅もあり、駅と人の結びつきは弱かった気がする。そんな地元での生活を思い出させるような駅が、横浜に存在する。いやむしろ、地元でもこれだけ荒れた雰囲気を醸す駅はなかった。その駅とは、鶴見線の国道駅だ。
・横浜とは思えない
噂には聞いていた。廃墟のような雰囲気の駅が横浜にあると。想像はしていたものの、行ってみると、その寂れた様子は横浜にあるとは到底思えないほどだ。
・賑わいを拒絶したかのよう
東京に来てからというもの、駅とは「その街のシンボル」のような存在であると私は理解していた。駅や路線ごとに街の様子が異なり、その規模を問わず、活気のある場所なのだが、ここは違う。ノスタルジックな昭和の佇まいを今に残し、賑わいや発展を拒絶したかのように見える。
高架下、駅の入り口から向こうは闇のようだ。夜になると、さらにその暗がりは色を濃くして、どこか異世界へと誘うように見えるという。
中に入ると、清掃員以外に働く人の姿は見えない。そう、無人駅なのである。田舎の無人駅よりは、人の通りはある。だが、高架下のうらぶれた様は、田舎の無人駅の比ではない。
・横浜なのに
そこら中、べニア板が張られており、元は人の出入りがあったはずの扉は、長らく開け閉めされていない様子がうかがえる。オシャレな横浜の街を思えばこそ、ここはどうしてその華やかさから置き去りにされたのか? と思わずにはいられないのだ。
利用客の乏しい地方の私鉄なら、仕方がない。だが、ここは横浜。多少なりとも人の手を入れて、活気を取り戻すことができそうな気もするのだが。そうはいかないのだろうか……。
・写真を撮る人たち
それでも、この侘しさを求めてくる人がいるようだ。私以外にも、駅のアチコチを撮影する人が数人見受けられた。これはこれで、求められている姿なのかもしれない。
最近、鉄道各社は耐震補強などで、駅舎や高架の改修工事が相次いでいる。もしかしたら、この国道駅も大きく生まれ変わる日がくるのかもしれない。そこはかとなく漂う侘しさが、払拭される日がくるのか? それはそれで、さみしい気がするのはナゼなのだろう。
Report:佐藤英典
Photo:Rocketnews24
[ この記事の英語版はこちら / Read in English ]