同時代のギラギラした、または奇抜な作家たちの中では、それほど目立った存在ではないかもしれません。それでも、誰にでも理解できる言葉を使って誰にも表現できない世界を構築しているのが、梶井基次郎という男だ……と私(K.Masami)は思っています。

要するに文章が好みなんです。中でも『檸檬』が好きなんです。あんな武骨なナリで、何故そんなにも儚く美しい物語を紡げるんですか。羨ましいこと、この上ありません。3月24日は彼の命日ということで改めて『檸檬』を読み返したところ、ここにきてまた新たな魅力を発見してしまったので聞いてください。

・名著だぞ

まあ『檸檬』について、今さら一介のライターがあーだこーだ言う必要がないことはわかっている。教科書に頻出する作品であるし、単行本だっていろいろな出版社から出ている。重版を数えればキリがないだろう。

記者がはじめて読んだのは子ども向けの本だったか教科書だったか、もはや記憶にないが当たり前に名著と呼ばれている類の本だった。だがしかし、同人雑誌初出当初はそれほど注目されていなかったという。どちらかと言うと、梶井さんの死後有名になった作品なのだ。

そしてこれまた有名な話だが、彼は31歳の若さで肺結核で亡くなっている。小説家としての人生は10年にも満たない。もっともっと書きたかっただろうに、もし長生きしていたらどんな作品を遺しただろう。言っても仕方がないことではあるが、残念至極。

とは言え、病魔におかされ病弱な彼だったからこそ『檸檬』は生まれたに違いない。改めて読み返してみると、そのことが良くわかる。突けば壊れそうな繊細さがありながら、表立っては堂々としている主人公「私」の奥に作者が透けて見えるようだ。

・レモンが好きすぎる件

物語は “えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧(おさ)えつけていた──” からはじまる。とてもスッとした書き始めだ。若いころは「文章が奇麗だなー。檸檬をそうやって使うんだー」程度にしか思っていなかった本作だが、何度も読むうちに見方も変わるというもの。

まずもって、どんよりと鬱々(うつうつ)とした主人公の心内と、みずみずしく美しい檸檬との対比が絶妙であることにハッとさせられる。檸檬はただの檸檬として存在するのでなく、主人公の合わせ鏡なのだ。まあ、ここまでは周知の事実として、よくよく注意して読んでみるとあることに気付く。

「いや……レモン好きすぎじゃね?」レモンに対する描写がやたらと細かい上、なにやら爆発しそうなほどの愛情を感じる。もういっそ、この物語はレモンに対するラブレターじゃないかと思えるほどだ。

これまでレモンは物語を構築するための、いちアイテムくらいにしか考えていなかった。しかし、この物語はレモンを際立たせるためだけにある、と言っても良いのではないか。ちょっと自分でも何を言っているのかわからなくなってきたが、『檸檬』のレモンに対する見方が変わった瞬間だ。

・京都好きにもオススメ

さて、そんな本作の舞台は京都。読み進めていくと、あちらこちらに京都の風景が描かれている。主人公がレモンを購入した果物店は残念ながら閉店しているが、そのほかにも今も残る風景が多数登場する。『檸檬』を読了後、街を歩くと物語の世界と現実がリンクして面白い。

『檸檬』に限ったことではないが、小説は読むたびに違った発見と驚きを与えてくれるな。今もなお愛され続けているのも納得な『檸檬』……サクッと読むことができる短編なので、この機会に手に取ってみては如何だろうか。

Report:K.Masami
Photo:Rocketnews24.

▼レモンレモン言うから、読んだ後レモンサワーが飲みたくなりました

▼普段さほど本を読まない人でも、サッと読むことができるちょうど良い長さ