明智光秀を主人公とした大河ドラマ『麒麟がくる』が現在NHKで放送されている。大河ドラマは視聴率が良くても悪くても話題になるし、何だかんだいっても日本人は歴史が好きなんだなと思う。

そんな歴史好きな人にとって、偉人ゆかりの場所を巡るのも楽しみのひとつ。今回は明智光秀が落武者狩りに遭ったとされる竹藪に行ってきたので、その模様を紹介しよう。ちょっぴりディープな歴史スポットでした!

・光秀最期の地

戦国最大の事件、本能寺の変を起こしたことで知られる明智光秀。近年では歴史研究が進み、その人物像を再定義する動きも広まっている。先述の大河ドラマをはじめ漫画や映像作品などで題材になるケースも多く、いま最もホットな戦国武将といえるだろう。

そんな光秀の最期だが、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、居城の坂本城へと退却する途中で落武者狩りに遭って死を遂げたというのが定説となっている。

落武者狩りが行われたとされている竹藪は京都の小栗栖という場所にあり、「明智藪」と呼ばれている。

Googleマップ上で勝龍寺城(山崎の戦いにおける光秀の拠点)、明智藪、坂本城を結んでみると……。坂本城を目指す途中、ちょうど半分ほどの距離まで来たところで襲われたのだということが分かる。こういうのは面白い。

志半ばで光秀が散った明智藪。どのような光景が広がっているのか、今回は少しマニアックな歴史探訪をしてみることにした。

・静かな場所

最寄駅は京都市営地下鉄の醍醐駅もしくは石田駅。ここから徒歩で竹藪へと向かうことができる。駅には観光マップが置いてあるので、もらっておくといいだろう。

小栗栖街道から住宅街を通り、明智藪を目指す。細い路地を抜けていくと竹藪が現れ「ここか!」と息巻くものの、これは厳密にいうと明智藪ではないらしい。

すぐ隣に竹が伐採されて開けた場所があり、こちらが実際に光秀が襲撃された地点とのことだ(観光マップより)。

しかしながら先ほど通った竹藪……これに近い景色の中で、光秀は討ち取られたと考えても間違いではないだろう。一時的とはいえ天下人となった武将が、こんな鬱蒼とした藪の中で命を絶ったのだ。

筆者は歴史上の人物に対して「好き」「嫌い」で論じる価値観は持ち合わせていないので、明智光秀が好きかと問われれば別に好きでも嫌いでもない。

だが歴史が動いた場所に足を踏み入れて「ここがそうなのか」と思いを巡らせてみるのは好きだ。この場所は悪くない。静かな場所なので、のんびりと思索にふけることができる。

また高台なので、少し歩くと伏見の街も見渡せる。この景色を光秀も見たのだろうか……。


歴史とは実際に起こった出来事であり、ゆかりの場所を巡ることが出来るという点にも楽しさがある。今回紹介した明智藪は壮大な史跡という感じではなかったが、それはそれで面白みのある場所だった。

今はインターネットがあるので、どこで何が起こったか大抵のことは調べられる。たまには外に出て、興味のある歴史スポットを歩いてみるのも一興ではないだろうか。

Report:グレート室町
Photo:RocketNews24.
ScreenShot:GoogleMap (iOS)
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▼近くの本経寺には光秀を供養する塔もあった

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