2018年1月5日(日本時間1月6日)に日本人初の「南極点無補給単独徒歩」の偉業を成し遂げた、冒険家の荻田泰永(おぎたやすなが)氏。彼の50日にわたる冒険の様子は、冒険開始前から連載でお伝えしてきた。

その荻田氏が、日本の冒険家の栄誉ともいえる「植村直己冒険賞」を受賞することが明らかになった。植村氏といえば、日本の極地冒険の先駆けであり、1984年に国民栄誉賞を受賞している。植村氏の功績は、荻田氏に大きな影響を与えていた。

・極地冒険の先駆け「植村直己」

植村氏は、今から約40年前、1970年に世界初の五大陸最高峰(モンブラン・キリマンジャロ・アコンカグア・エベレスト・マッキンリー)の登頂に成功。1978年に犬ぞりで史上初の北極点単独行に成功。のちの極地冒険の礎を築いたといっても過言ではないだろう。

しかし、1984年にマッキンリー冬期単独登頂に成功するも消息不明となった。このニュースが報じられた頃、荻田氏はまだ6歳であり、当然ながら植村氏と出会うことなく現在に至っている。

・師の師

ところが、植村氏の存在は今の荻田氏に計り知れないほどの影響を与えている。荻田氏は2000年に冒険家・大場満郎氏の主宰する「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加して、初めて北極圏に足を踏み入れている。いわば大場氏は荻田氏の師匠だ。その大場氏の師にあたる存在が植村氏であり、植村氏からみれば荻田氏は「孫弟子」にあたる。

その大場氏は、第4回植村直己冒険賞を受賞している。その当時22歳だった荻田氏は、受賞の報せを大場氏のもとで聞いていたそうだ。「まさかそんな栄えある賞を自分が受けることになるとは思わなかった」と、驚きと共に喜びを語っている。

・植村氏が遺したもの

植村氏の影響はそれだけではない。北極冒険の際、行く先々で現地の人が、植村氏との思い出を語るという。40年も前の冒険を、まるで昨日のことのように振り返るそうだ。そして、現地の人たちは「植村は素晴らしい人物だった」と懐かしそうに語るのだとか。

荻田「もしもですよ、もしも仮に植村さんがその当時、現地の人に迷惑をかけていたとしたら、今、僕のような日本人が村を訪ねただけで、とても嫌がられたはずです。でも実際はとても歓迎されて、献身的に世話をしてもらえる。それはすべて植村さんが築いてきたもののおかげだと思います」


・次の世代へ

そんな荻田氏は、来年春に向けてひとつの目標を抱いている。それは、自分が師の大場氏に出会い、極地冒険の醍醐味を学んだと同じように、「若い人を連れて北極に行きたい」と考えているそうだ。大場氏に受けた恩を、自分も若い人達に返していきたいという。

もしかしたら、何年後、何十年後かに大場氏や荻田氏が受けた植村直己冒険賞を、荻田氏の教え子が受ける日が来るかもしれない。そうして植村氏の功績は、日本の冒険家に受け継がれていくことだろう。

参考リンク:植村直己冒険館「植村直己冒険賞
Report:佐藤英典
Photo:Rocketnews24

▼TBS「クレイジージャニー」の取材を受ける荻田氏。そのうち南極冒険が番組で紹介されることになるだろう