全長約1400km、真言宗の宗祖である弘法大師・空海の足跡を巡る「お遍路」こと四国八十八ヶ所霊場巡礼。

定年退職後の夢として考えている人や、すでに短期周遊の「一国参り」に挑戦中の人もいるかもしれない。かくいう筆者も旅好きなので、観光旅行の延長として「いつか仕事をリタイアして時間ができたらやってみたいなぁ」と漠然と考えていた。

四国では初心者向けのお遍路ツアーがいくつもある。そこで「ちょっとお試し」のつもりで公認先達(せんだつ=模範となる巡礼者)が案内してくださる「お遍路体験ガイドウォーク」に参加してきた。わずかな道のりだったけれど、人生観が変わった体験を聞いて欲しい。


・ひとつひとつに意味があるお遍路TIPS

愛媛県松山市、朝から多くの観光客が行き交う道後商店街で先達さんと待ち合わせた。出発前に、先達さんが用意してくれた白衣(はくえ)、架娑(けさ)、菅笠(すげがさ)、金剛杖(こんごうつえ)の白装束をまとう。


普段の洋服の上に重ねるだけなので簡単だが、一気に写真などでイメージするお遍路さんの姿に変身。別人になったような感覚だ。

佐藤記者がたびたびアツくお伝えしているとおり、菅笠の利便性は現代にも十分に通用する! 頭にあたる部分に骨組みが入っているので想像以上に通気性があり、しっかり日よけにもなる。お遍路に用いるものは「同行二人」などの特別な墨書きが入り、前後も決まっている。

しかし、なぜ白装束なのか。お遍路は修行の道なので、簡単には到達できないような難所も多い。かつては旅の途中で命を落とすこともあった。行き倒れたらその場で白装束のまま埋葬され、杖が卒塔婆(そとば)の役割を果たしたのだという。

死後の準備をしてから始める旅。コスプレ感覚で浮かれていた筆者も、そのお話を聞いて急に気持ちが引き締まった。


今回体験する第51番札所・石手寺(いしてじ)までは、道後温泉から徒歩20分ほど。松山自体がものすごい観光都市なので、道中も見どころが多い。


からくり時計、あちこちにある足湯、正岡子規ゆかりのスポット、俳句ポスト……。ちなみに松山市内では白装束姿をほとんど見ないのだけれど、「遍路道」という標準ルートが存在し、その道沿いでは多くの人が歩いているとのこと。


観光地を少し離れると見ず知らずの方……それも住人らしき方だけでなく、道路作業員や警備員の方からも「おはようございます」「ご苦労さまです」などと丁寧に声をかけられる。

「先達さんの知り合い?」と思ったら違う。古くからお遍路さんへのねぎらいの気持ちや、尊敬の念が地域に根づいていて、挨拶が習慣化している人も多いのだという。

よくハイキングやサイクリングなどで「同好の士」が挨拶しあうシーン(実は筆者のようなキャンピングカー乗り同士にもある!)は見るけれど、それとはまた違った「無条件の敬意」のようなものが感じられる。

あくまで体験中の「にわか」なので、「いえいえ、とんっでもございません!」と全力で否定したくなるが、同時にとても厳粛な気持ちになる。


・第51番札所「石手寺」に到着

ほどなく石手寺に着いた。あっという間だったけれど愛媛は暑い! まもなく11月だというのに夏のような日射しだった。晩秋でもこれだから、春夏はかなり過酷だと思う。

石手寺の手前には小さな石橋がある。参拝にはさまざまなマナーがあるようだが、「気遣いの気持ちがあれば大丈夫」という緩やかな作法が多かった。しかしひとつだけ、「橋の上では杖をゴンゴンとつかない」というタブーは明確に指導された。


弘法大師さまの修行の道のりをたどるのがお遍路。当時は現代のようにホテルなどに泊まるわけではなく、弘法大師さまはよく橋の下で雨風をしのいで寝起きをされていた。その眠りを妨げないように……というのが由来だという。


恥ずかしながら、筆者は信仰心が篤いほうではない。けれど「いまも橋の下には弘法大師さまが居る」という思想にはぐっときた。

橋の下、質素な身なりで身体を丸める弘法大師さまの「人間としての姿」が目に浮かぶようだし、神々しい宗祖としてだけでなく修行中の時間を身近に感じて守ろうとする日本人の精神性も感じられる。「起こさないように」という発想も優しい。


本堂と大師堂の2ヶ所でロウソク・線香を献げる。後からお供えする方が火傷をしないよう、香炉などでは「奥から」「上の段から」「中央に近いところから」お供えするのがマナーだといい、ここでも「他人を気遣う心」を教わる。


さらに住所や氏名を書いた小さな「納札(おさめふだ)」を箱に納める。八十八ヶ所を何周したかによって白色→緑色→赤色→銀色→金色と紙の色が変わる。初めてなので、筆者はもちろん白色。箱をのぞいたり、納められた他人のお札を見たり、撮影したりすることはタブー。


今回は体験なので省略だが、本来は納経所でお納経(ご朱印)をいただく。このほか石手寺は、八十八ヶ所霊場の砂袋をなでることで一周したのと同じご利益がある「お砂なで」や、修行の場である「マントラ洞窟」など見どころ多数。時間に限りのあるガイドツアーなので、早足でささっと巡った。


境内の五十一番食堂では「石手寺名物やきもち」(抹茶セット600円など)をいただいた。焼きたてアツアツで、環境因もあるかもしれないが、びっくりするほど美味しかった。

通りすがりのお遍路さんを住人がもてなす「お接待」文化も各地に残り、何度も八十八ヶ所を巡っている先達さんも、よくミカンや飲み物などをいただくという。よそから人が来るのが当たり前という土地柄が、四国独特の空気感を作っていると思う。


・自分と向き合うのがお遍路の本質

本来お遍路とは、宗教的な巡礼の旅だ。しかし、現在では国籍も宗派も問わない。観光がてら巡る人、複数シーズンに分割したバスツアーの参加者、仏教徒でなくとも長期休暇を利用して歩く外国人など、フリースタイルだという。

おのおの祈願や供養や懺悔などの目的もあるだろうが、「心の変革を求める行為」であるともされている。実際、ほんのわずかな時間なのに、さまざまなことを考えた。


見ず知らずの人からの声かけは、日常生活ではなかなか体感できない「無条件の肯定」のような温かいまなざしを感じさせる。「他者への気配り」に由来するさまざまな作法は、実際にはコールタールばりにブラックな自分なんだけれど、一瞬だけでも「まっとうな人間」になったような気にさせてくれる。

「同行二人(どうぎょうににん)」とは「常にお大師さまとともに居る」という意味だが、ガイドしてくれた先達さんも「目に見えない存在に守られているのを感じる」とおっしゃっていた。非科学的な話だけれど、思わず深くうなずいてしまう。


そんな話をしながら、ツアーは道後温泉まで歩いて終了。白装束をお返しして解散となった。

お遍路には、生きていく上で大切なものが凝縮されている気がする。歩き遍路を達成する根性はとてもないが、車や自転車でもウェルカムだという。一周したら、たぶんそれまでの自分とは少しだけ違う、新しい自分になれるんじゃないだろうか。


執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.