最近よく話題になる「教育虐待」という言葉。

教育熱心すぎる親が、いきすぎた指導で習い事や勉強をさせて、思い通りの結果にならないと子供を叱責すること……という感じである。「教育虐待」という言葉こそなかったものの、昔からこういう親っていたよなあと思う。先に言っておくが、うちの親の話ではない。

私の親戚のおじさんまさに「教育虐待」だったんじゃないか……と思うのだ。そして、親戚のおじさんの子供のみならず、なぜか私にまでその魔の手が忍び寄ってきた話しである。

・教育熱心すぎるおじさん

親戚のTおじさんは苦労人だった。Tおじさんは勉強はできたが昼間の高校に行けず、定時制高校の出身で、本人はいたくそれを悔しがっていたらしい。この臥薪嘗胆の思いが自分の努力に向かえばよかったのだが、Tおじさんはその思いを我が子に託した。

幸か不幸か、Tおじさんの長男・Kくんは勉強ができた。特に得意なのは理数系。Tおじさんは、中央出版やらZ会やら、とにかく通信教育の教材を買い集めてはKくんに勉強させて、九州でも指折りの難関中高一貫校にKくんを合格させた。塾に通わずにその学校に入学できたのはすごいことであった。

ところがどっこい、その進学校にやってくるのは医者や社長の息子など、お金持ちばかり……。寮生活の中で、のんびり屋のKくんは「貧乏人がこんなところに来るな」と壮絶ないじめを受けたらしい。まるでドラマ版「人間・失格」の世界。

悔しさを募らせたからか、TおじさんはKくんを「医者にする」と決めてしまう。息子の成功こそが社会への復讐だというように……。

そんなこんなで、私が物心ついたときには、Kくんは国立大学の医学部を目指すことになっていた。Kくん自身から医者になりたいと聞いたことはないと思う……。現役での合格ならず、浪人することになったのだが、なんと3年ほど宅浪した。大学受験をかじったことのある人ならわかると思うが、国立の医学部を目指しているのに、予備校などには通わない自宅浪人なんて、超・超・超ハードモードである。

ちなみに、勉強を教えていたのはTおじさん。家でつきっきりでTおじさんが勉強を教え、できないと「なんで分からないんだ」と泣きながら怒り出す始末であったという。

……意味がわからない。もうTおじさんが医学部を受験したほうがいいんじゃないかってレベルである。


・そして起こったチャゲアス事件

自宅浪人でのKくんの1日の自由時間はたった20分だったという。あるとき、当時Kくんが好きだったチャゲアスのベストアルバム「SUPER BEST II」が発売された。ときは「YAH YAH YAH」や「SAY YES」が流行っていたチャゲアス黄金期である。

子供の頃から勉強、勉強、勉強で趣味の話などもほとんど聞いたことがなかったK君が、初めて自分の意思で欲しがったCD。たった20分の自由時間に、なけなしのお小遣いを握りしめ、走ってCDを買いに行ったKくん。帰ってきてCDを聴いていたら、うっかり1分ほど休憩時間を過ぎてしまった。

なんと、激怒したTおじさんは、Kくんの目の前でチャゲアスのCDを叩き割ったという。門限に少し遅れたからって何も割ることはないだろう。

「Kくん、買ってきたばっかりのチャゲアスのCD割られたって、かわいそうに。そこまでしなくてもいいだろうに」と母やおばはKくんのことを心配していた。と同時に、私はTおじさんちょっとヤバいな……と思っていた。

これはなんとも哀れな「チャゲアス事件」として、いまだに我が家に語り継がれている。「YAH YAH YAH」とか「SAY YES」が流れるたびに、割れた「スーパーベストⅡ」が頭に浮かぶ。


・私の元にも教育熱が飛び火

Tおじさんは勉強のできる子を気に入っていた。それで、私の成績が良いということが耳に入り、Kくんが使っていた教材のお古などを私に送ってきていた。

Tおじさんは、親戚の集まりなどで会うたびに、私に「いかに勉強が大事か」を説きまくり、学校の成績などについても根掘り葉掘り聞いてきていた。そして、自分が集めた進学データや、受験の動向などを語っていた。まだネットもない時代に、九州の片田舎でよく情報を集めたなと思う。

そして、私が高校生のときに事件は起こった。私が「編集者になりたいので文学部を目指している」と言ったらTおじさんがなぜかめちゃくちゃ怒り出し、大反対したのである。ちなみにおじさんから教育資金の援助などは受けていないので、反対される筋合いはない。

最初は冗談だろうと思って適当にかわしていたのだが、わざわざ「文学部就職難」という新聞記事の切り抜きを集めて手紙を送ってくる始末。Tおじさんは「理系なら医者か薬剤師。文系なら法学部に行って弁護士になるべきで、文学部などもってのほか」と本気で思っているらしい。いや、ドラクエの職業選択でももっといろいろあるだろうよ。

「マリちゃんは考え直して弁護士を目指すべきだ」と熱く語っている。おじさんからすれば、大学はいい会社に就職するためのステップなので、文学部なんて学費の無駄でしかないのだろう。


・母が防波堤になって阻止

厄介なのは、Tおじさん的には親切心でこれを言ってきているということである。価値観が違うのでどうしようもないのだが……。

これには今まで、教材を勝手に送りつけられても、受験について根掘り葉掘り聞かれても、うまく交わしていた母親もさすがに激怒。「もう、うちの娘のことはほっといて下さい」と伝えた。九州は男尊女卑が強い地域である。親戚の年上の男性にこれを言うのは、母としてもかなり勇気のいる行動だったと思う。母に感謝である。

Tおじさんは逆ギレし、それから一切、私の話はしなくなった。進学への干渉もなくなった。もはやTおじさんの中で私は死んだも同然なのだろう。そして20年以上経った今も、Tおじさんと私は完全に没交渉である。


・思い出すK君との会話

Tおじさんが心配したとおり、文学部に行った私は就職活動には苦労した。いっぽう、3浪して医学部に行ったK君もまた、医者になってから苦労したと聞いている。Tおじさんからしたら、大学を出てよく分からないライターの仕事をしている私は「言うことを聞かない馬鹿な娘」なのだろうが、私は今の仕事や生活に満足している。

ときどき思い出すのが、中学時代にK君に理数系の勉強を教えてもらっていたときの会話だ。将来の夢を聞かれて「東京で雑誌の編集者になりたい」と話したらK君が少し呆れたように「マリちゃんは夢見る夢子さんやねえ」と言ったこと。

九州から東京に行って編集者になる、たしかに険しい道ではあるが、中学生の描く夢としては現実的だろう。別にアイドルになりたいとかスポーツ選手になりたいとか言ったわけでもないのに……と、不思議な気がしたのだった。私は、K君は何になりたかったのかなあと、ずっと気になっている。

執筆:御花畑マリコ
Photo:RocketNews24.