新生活シーズン。法律、消費生活、金銭トラブル、行政手続き、防犯、メンタルヘルスなど生活上の困りごとが出てきたとき、頼りになるのが専門家だ。

多くの自治体で住民向けの無料相談を定期的に開催しているし、消費生活センターなどの相談機関もある。

ところが、勇気を出して相談におもむいても「行かなきゃよかった……」とイヤな思いをして帰ってくる事例が相当たくさんあるのではないかと想像する。そんな人に伝えたいことがある。とにかく「めげずに次のところへ!!」ということだ。


・ある専門家とのあいだで心が折れかけた話

これは筆者が、法律&行政に関わる困りごとで奔走していたときの話だ。

かな~り脚色しているが、たとえば近しい縁者の家で腐りかけのリンゴを見つけたと仮定する。このままでは大量に腐ってしまって悪臭を放ったり、野生動物が集まったり、虫が湧いたり、ご近所さんにも迷惑がかかる。

持ち主は遠方にいて、しかも軽い認知症の症状があるので自分で対処できない。持ち主に尋ねてみると、処分してよいという。この決定で損をする人は誰もいない。

この世界線ではリンゴを処分するのに専門家の助けがいると思って欲しい。さっそくリンゴ処分場に向かった筆者。


A先生(仮名)という専門家が率いるそのリンゴ処分場は、ずらりと机が並び、スタッフが20人はいるかというような立派なところだった。

事情を説明すると、A先生は首を振った。筆者はリンゴの持ち主ではないし、軽度でも持ち主に認知症があるとリンゴの処分はできないのだという。


なるほど一理ある。もしかしたら筆者が持ち主をだまして利益を得ようとする悪い人かもしれないし、リンゴを巡って親族間で骨肉の争いがあるかもしれない。持ち主の権利を守るという点で大切なことだろう。


そこで筆者は、いろいろな提案をしてみた。持ち主を連れてくる、リンゴの権利を主張しそうな関係者みんなに一筆書いてもらう、医師の診断書を提出する、筆者が後見人になる、などなど。

要は、リンゴの処分はたしかに本人の意思であり、本人の利益になるということを伝えようとした。


しかし、返ってきたのは「それ、誰が判断するんですか」という冷笑だった。


ちなみに意思判断能力に問題のある人に代わって契約行為ができる成年後見人制度だが、本人の財産を減らすような決定はできないそう。この場合、リンゴを売ることは許される可能性があるが、捨てたり譲渡したりはできないらしい。この点に関しては、A先生の説明は正しいようだった。

しかし、たとえば腐りかけのリンゴをジャムに加工するなど「売れる状態」にするには膨大な手間と時間と費用が必要になる。まったくもって現実的ではない。


A先生と筆者とのあいだに「話は終わり」というような沈黙が流れた。しかし内心筆者は「んなわけあるかい!」と思っていた。


病気や障害や危篤状態などの理由で意思決定ができない成人は全国で何百万人といるはずである。それらすべての人のリンゴを移動も処分もできず、腐るに任せるなんて運用があるもんかい。

ホームページでは懇切丁寧をうたっているのに「だって○○じゃないですかw」と人を小馬鹿にしたような物言いも気にかかった。

ものすご~くモヤモヤしたが反論できるだけの知識はなく、筆者はただ身内の恥をさらしただけで、リンゴを抱えてスゴスゴと帰路についた。


ところが、である。


あれやこれやあって、後日出会ったB先生の見解はまったく違った。

B先生のリンゴ処分場は、A先生とはまったく違ってスタッフがひとりいるきり。来客のいない時間には節電で電気を消し、昼間なのに薄暗くしているような質素で地味な印象のリンゴ処分場だった。

筆者の話を聞いたB先生は、「筆者がリンゴの持ち主ではない」というネックを解決するための方法を次々と提案してくれた。

その場でパソコンを叩いて必要な情報を照会し、「○○の書類はある?」「持ち主さんと話せる?」「主治医の先生と会える?」とテキパキ指示。

おまけに「役所に行ってこの手続きをしないと損をする」と、筆者の知らない知恵を伝授してくれる。

さらに今後の流れ、必要な書類、お互いに話した内容などをすべて書き出し、そのコピーをくれた。コピーを見返すことで、後から相談内容を思い出せるのだ。


これこそが「人を助ける仕事」だと思った。暗闇に一条の光が差すような、このときのB先生の対応を筆者は一生忘れない。リンゴ問題は解決したのである。


・あきらめずに別のところへ!

医療の世界では、患者はセカンドオピニオンを受ける権利があるとされる。自分に都合のいい助言を得られるまで転々とするような行為はまた別の問題だが、専門家と呼ばれる人たちであっても、人が変われば話す内容が180°変わるというようなことが起こる。

初期の頃のTV番組『行列のできる法律相談所』がそうだったように、どちらが間違いということではなく、「解釈が分かれる」ということはよくあるのだろう。

それと大事なのが人柄。相性の合う、合わないは必ずある。


「行くだけ無駄だった」「なんで赤の他人にあんなこと言われなきゃならないんだろう」「解決策はないんだ」と心が折れそうになったとき、泣き寝入りせず別のところで再チャレンジすることで道が開けることがある。

あきらめたらそこで試合終了なのだ。新生活でトラブルに巻き込まれたとき、あるいは「相談したけど無駄だった」という体験があるとき、ほんの一瞬でもこの事実を思い出してもらえたらうれしい。


執筆・イラスト:冨樫さや
Photo:RocketNews24.