電車が嫌いだった。上京したての頃、とても電車が嫌いで、最初に勤めた東京・青山のお店まで、毎日自転車で1時間かけて通ってたんだよ。雨の日も。幸いといって良いのかわからないけど、そのお店に通う日々は意外と短く終わった。とにかくイヤだった、電車の閉塞感が。
この2カ月、1度も電車に乗らなかった。2020年5月1日に新大久保のドン・キホーテに小型ノートパソコンを買いに自転車で出かけた以外は、本当に歩いて行ける距離を移動して過ごしていた。
そして今日、久しぶりに電車に乗ったよ。4月3日以来ね。
・2カ月の間
朝、出かけるのも久しぶりだった。ここのところ大抵は朝起きて、朝食を摂って、それから多少は家のことをやって、作業をしてたら昼になるから、昼食を買いに出かけて。昼飯食ってまた作業ってやってたら夕方になってる。本当にそんな毎日。それだけを繰り返すような毎日だった。
気が向けばストレッチをやってね。出かける時でもお店はやってなかったし、やってたとしても11時開店とかだから、朝出掛ける必要がなかった。
改札を抜けるのは、丸2カ月ぶり。最後に自動改札にSuicaをタッチしたのは、間違いなく4月3日だった。なぜ覚えているかというと、その日に編集部でプラモデルを作ったんだ。あの時、これからちょっと大変なことになるかもしれないとは思っていた。でも、こんなに住まい周辺で過ごすことになるとは思っていなかった。
4月の第2週には、日課のポールダンスの練習ができると思っていたけど、最後に練習したのが3月中旬でそれ以来いまだにポールにさえ触っていない。
駅に向かう道すがら、すれ違う人がみんなマスクをしている。通りすぎる店の入口には、休業や営業再開についての貼り紙がしてある。ほぼすべてのお店といっても良いほど、どこかしこも貼り紙があった。この貼り紙を掲出したその裏には、やむにやまれない想いがあったんだと思うと、その文字を見るのが辛かった。
・手探り
Suicaをタッチしてふと残高があったことに気づく。毎日使ってたら、考えるまでもなく把握していることなのに、いくら残ってるかなんてすっかり忘れていた。
幸い、残高不足ではなく、無事に改札を通過することができた。通過したのは良いけど、そこでまた一瞬戸惑う。「何番線だっけ?」。
私(佐藤)が利用するJR中野駅は、地下鉄東西線が乗り入れている。利用する総武線が2番線に到着したり、5番線に到着したりするから、都度確認する必要があった。2番線であることを確認して、ホームに立つと、そこから見える景色が妙に懐かしく感じた。
「まもなく2番線に、各駅停車津田沼行きが参ります。危ないですので、黄色い点字ブロックまでお下がりください」
駅周辺を通るたび、どこか遠くの出来事のように、このアナウンスを聞いていた。今、自分の真上でその声を聞くと、急に以前の日常が戻って感じられた。
電車に乗ると、始発だから乗客は少ない。以前と変わらない程度には人が乗っている印象がある。まだ元に戻ったと言える雰囲気ではなく、誰もが手探りで日常を模索しているようにも見える。どことなく、人との距離を模索しているようにも。
・嫌いだった
東中野駅に着いて、誰かが乗って来て誰かが降りる。大久保駅に着いて、また誰かが乗って来て、また誰かが降りる。当たり前なんだけど、その人それぞれの日常があって、何とかして今ここにいて、この場で一瞬すれ違ったんだな。
『どうしてた? 大変だったろ?』
誰とも知らない誰かに向かって、私は心のなかでつぶやいた。
あんなに嫌いだったんだ。知らない誰かと空間を共有する電車が。今は、こんなに愛しい気持ちでいる。
執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24