上原多香子の炎上が止まらない。自殺した元夫の遺書が公開され、浮気相手とされる阿部力とのLINEまで流出しているから、ある意味で炎上は当然なのかもしれないが、それでも私(P.K.サンジュン)は、ツイッターに突撃し「死ね」などと書き込むのは控えるべきだと考える。

その根拠については以前の記事をご参照いただきたいが、今回は上原多香子の件に限らず、「SNSに死ねなどと書き込む前に思い返して欲しいたった1つのこと」について述べてみたい。

・家族や近しい人ならまだわかる

現在、上原多香子のツイッターには、この世のあらゆる憎しみを詰め込んだほどの罵詈雑言が並んでいる。「死ね」はまだ可愛い方で、「人殺し」「首を吊って償え」「TENNを殺したのはお前だ」……などと、多くは見るに堪えない内容だ。

これが亡くなったTENNさんのご家族、ご親族、もしくは近しい人が書き込んでいるならばまだわかる。愛する人を失った悲しみが、その引き金になった人物へ向かうのは当然のことで、私もそれならば止めないし止められない。

だが、上原多香子のツイッターに書き込まれている2000以上のコメントは、ほぼ全てが当事者ではなくアカの他人によるものだろう。そして何より解せないのは、彼ら彼女らが「どうせ自分が書いたってわからないでしょ」と、身元を明かさないことを大前提に攻撃していることだ。

・匿名だからやってるだけ

インターネットは匿名性の高い世界だ。それがインターネットの魅力でもあるし、個人的にも大好きな要素である。もしネットの世界がID制にでもなったりしたら、その魅力は半減してしまうことだろう。

だからといって、その匿名性の高さに便乗し「死ね」と書き込むのはいかがなものか? たかがネットに書き込まれた数文字だとしても、死ねは突き刺さる。ましてやそれが2000以上の「死ね」ならば、そのダメージは計り知れない。

誰かのSNSに「死ね」などと書き込む人は、「どうせ身元まで特定されないし」とタカをくくっていないだろうか? 心のどこかで「自分だとバレなきゃいい」と思っていないだろうか? ハッキリ言って、それは卑怯者のやり方であり、卑劣な行為だと自覚した方がいい。

・人間としてダサい

もしネット上で誰かに「死ね」と書き込みたくなったら、その行為が「家族に知られても」「友人たちの噂話になっても」「会社内で話題になっても」「近所の人にヒソヒソ話されても」それでも構わないのか? ぜひ一度思い返して欲しい。

「どうせネットだから」「どうせ身元はバレないから」とタカをくくり、他人を傷つける行為は卑怯だし、何より人間として最高にダサいと思うのだ。

執筆:P.K.サンジュン
イラスト:マミヤ狂四郎
Photo:RocketNews24.

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