去る2023年10月16日、私(佐藤)は「日本大学芸術学部」の文芸学科の特別授業にゲスト講師として招かれた。実業高校出でアルバイトを転々としてきた私のような学の低い人間が、現役の学生さんの前でお話をさせて頂く。畏れ多いことである。ライター経験をお持ちの先生にお声がけを頂き、授業でお話するという貴重な経験をさせて頂いた。

教養のある話なんて一切できないけど、私が生徒さんに伝えたかったことは「やればできる」というメッセージだ。生徒さんは私より優秀なはずなので、諦めない限りどんなことだってできると伝えたかった。

・書いて、書いて

授業に先立って、私が生徒の皆さんの歳。つまりは19・20歳のときにどうだったのかを振り返ってみた。

その頃の自分は、今とは比べ物にならないほど性根の曲がった性格をしていて(今もその片鱗はある)、まともに人付き合いのできる人格ではなかった。今様にいえば「病んでいた」のだろう。

若さゆえ、自分の存在の頼りなさ、おぼつかなさ、生きていることの実感のなさに翻弄される毎日だった。要するに無力だった。何をすれば、自分が自分らしくなれるのかわからなかったし、そんな頼りない自分を極度に嫌っていた

イヤだった。朝起きてから夜寝るまでのすべての瞬間の自分がイヤだった


そういう自分に対して、多くの大人たちは「考えすぎ」とか「気にするな」とか、同じようなことばっかり言ってたけど、それも全部イヤだった。全部消えてなくなればいい。そんな風にさえ思っていたのだ。

やっぱり病んでいたとしか言いようがない。


そんな自分のささやかな拠り所は文章だった。高校時分にぼんやりと「作家になりたい」なんて夢みたいなこと思っていたけど、その夢が病んでいる自分の支えになっていた。

1990年代前半、その当時はまだ今ほどネットが普及していなかったので、ノートに思いをしたためる日々。何冊もノートを書きつぶして、自らの内にため込んだ気持ちのはけ口にしたものだ。

誰が見ることもない文章を、ただただ書いて、書いて、書いて


大抵の大人たちは、陰鬱な性分の私のことに「考えすぎ」だと言った。それも今となれば、思いやりのひとつだったとわかる。けど、面倒くせえやつだと思われている気がしてならなかった。

そんな大人たちの中でも、とても尊敬できる人もいた。ある飲食店のマスターは、私のようなクセの強い小僧の話をよく聞いてくれた。


マスターはよく「やりんちゃい(やりなさい)」と言っていたな。やりたかったら、やればいい。それがあの人の哲学だったと思う。頭ごなしに否定されないだけで、どれだけ救われる気持ちになったことか。「やりんちゃい」に心を支えられていた。


あれから30年を経て、気づけば自分がその大人たちの側にいる。あまつさえ、大学でゲストとして招かれて教壇にいる


授業に出席頂いた生徒さんの多くは、作家になることを志しているそうだ。授業内容はライターに関するものだったので、彼らに直接参考になる要素は少ないかもしれない。それでも書くことに関していえば近しい点もある。できるだけ何にでも応用できる考え方として、伝えさせてもらった。

たとえば「ささやかな発見や気づきが大事」ということ。何事も自分の中で「くだらない」と切り捨ててしまわないで、ささやかな発見を尊重してほしい。情報過多の時代にあって、誰もが見落とすような小さなことにこそ価値があるのではない? と私は考える。いつでもそれに気づける心持ちでいてほしいと伝えた。


それから若いうちの経験は、のちに生かせるということ。こんな時代だから、いつ無職になるかもわからない。それは私だって同じ。仮に無職になっても、私自身がやってきた職種(飲食店・ガードマン・配達・派遣)なら戻れると考えている。

経験がなければ、挑むことさえためらうだろう。まして、40・50代の再就職で未知の世界に飛び込むのは難しい(無理ではない)。相手が採用するかはさておき、戻れる場所(仕事)が多くあるほど心強く生きられる。

生徒の皆さんはこれから、その経験を積み重ねていくのだから、できるだけ多くの経験を積んで欲しいと話した。何をやってもプラスになる。時間は取り返せないのだから、「やっておけばよかった」と後悔をしないように、やりたいことは全部やって欲しい


それともう1つ。少額でも文章でお金を稼ぐことに挑んで欲しい。お金を得るとなれば、どうしても責任が伴う。自分が自分の好きなように、好きなことだけを書く世界から踏み出せるはず。

お金がすべてではないにせよ、責任を背負うことで開ける世界は確実にある。そのプレッシャーを感じながら、自分の書くものを世に放って頂きたい。きっと今以上の景色が見えてくる、そんな話で締めくくった。


今はまだ自分が何者なのか、何を目指しているのか、一切わからないかもしれない。どうやって望む仕事に就けるのかさえもわからず、自分の作品を世に問う勇気さえも持てないかもしれない。

それでも、自分がすべてを諦めてしまわない限り、望む形は得られるはず。高校時代にぼんやりと作家になりたいと考えた私が、作家でなくても文章を書く仕事に就けたのだから、皆さんならもっと上手くやれるはずです。


やりんちゃい、自分の望む限り。

書いて、書いて、書きまくってください。


執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24
[ この記事の英語版はこちら / Read in English ]