この8ヶ月くらいの間に、3回もギックリ腰になった。辛い。すごく辛い。肉体的にも精神的にも辛い。特に3回目のギックリ腰をやった瞬間は心が折れ、夜中に「痛い痛い痛い」と叫んだ。

あやうく自分の叫び声で子供を起こしそうになったが、そんなことどうでもいい……という気持ちになるくらい投げやりになった。

しかしある日、私は自分を救ってくれるかもしれない人物の存在を知った。ネット上で「ゴッドハンド」と大絶賛されている整体師だ。なんでも、1回の施術で腰痛が治ることも多いらしい。マジかよ。

・いろいろと非公開ですみません

最初に大事なことを言っておくと、本記事ではそのゴッドハンドの名前はもちろん整体院の名前も公開していない。加えて、施術中の写真なども無い。なぜなら……すごくザックリ言うと、予定どおりにいかなかったから。

私としても、当初はすべて公開しようと思っていた。だが、取材交渉をするのは私が施術を体験し、「これはマジでゴッドハンドだわ」と確かめたあと。ネットの情報を掴んだ時点で掲載の話を先方にすると、「実際は全然違う」となったときに大変だからだ。

で、取材交渉する場合は同時に撮影の交渉も行い、整体院の名前やら整体師のインタビューやらを掲載した上で記事公開……というのが、私が思い描いていたシナリオだった。

しかし、計画は頓挫した。理由は単純に整体師が(少なくとも私にとっては)ゴッドハンドではなかったからなのだが、施術を体験することで私の言いたいことが変わったという方が正確かもしれない。

つまり、いまの私は「その整体師マジでゴッドハンドだから行ってみて」ってことが言いたいわけではないし、逆に「クソみたいな整体師だから絶対に行くな」ってことが言いたいわけでもない。

ただただ、「ゴッドハンド伝説のトリックを垣間見ちゃったんだけど、これって腰痛に限らず何かの病気に悩んでいる人にとっては大事なことかも」という気持ちなのだ。

前置きが長くなって申し訳ない。実際に私が受けた施術について説明しよう。



・江戸っ子オーラ全開のゴッドハンド

まず、ゴッドハンドに会ったときの第一印象から言うと、「自分の親と同じくらいの年齢に見えるけどお元気そうで、何でもハッキリと物を言う人みたいだな〜。職人さんっぽいというか、江戸っ子っぽい」という感じ。

そして施術の内容も、江戸っ子のイメージそのものだった。手際がよくて、どことなく勢いがある。かといって、決して雑ではない。むしろ丁寧で、腕はかなり良いという印象だった。

おまけにヒアリング等はしっかりしてくれるから、悪いところが見当たらない。まぁ、ゴッドハンドが「ハッキリと物を言いまくるタイプ」のようだから中には性格的に苦手な人だっているかもしれないが、個人的にはむしろ大歓迎。


そういう人に施術をしてもらって良かったと、今でも思っている。


だがしかし……!


私は聞いてしまったのだ。耳を疑うようなゴッドハンドの言葉を。あれは施術の終盤、仕上げのマッサージを受けていたときのこと。マッサージとは言っても機械で弱い電流を体に流すだけの施術で、その空間にいるのは私だけ。

カーテンの1枚向こうではゴッドハンドが別の患者(声からして女性)の処置をした後のようで、「痛いところない?」的な確認をしているのが聞こえた。別に聞くつもりはなかったのだが、やり取りはどうしても耳に入ってくる。で、その内容というのが……


ゴッドハンド「もう痛いところは無いね? 1回で治ったね? じゃあネットに書いてよ。1回で治ったって。Twitterやってる?

え? やってない? じゃあGoogleでもいいし、この掲示板でもいいし。書いてくれたら次来るときはサービスするから。だって痛いところ無いんでしょ? じゃあ1回で治ったってことじゃない?」



──施術台の上で機械に繋がれていた私は、思わず「え?」となった。理由は言うまでもない。ゴッドハンドの「良い口コミを書いてくれ圧」がハンパなく強かったからだ。

機械から流れる電流よりも、まさかゴッドハンドの発言の方が強刺激だとは……と愕然としながら、私は「もしかしたら女性とゴッドハンドは昔からの知り合いなのかも」と考えた。

お互いによく知る関係だったら、強めにお願いしても不思議じゃない。いや、そうであってくれ! ──と願っていたら、数分後にゴッドハンドは初対面の私に全く同じことを言ってきたのである。


スマホでGoogleの口コミ画面を開きながら、「ココだよ! ココ!」と指差すゴッドハンドの姿を見たとき、私はネット上で圧倒的な高評価が生まれる理由を知った気がした。

ゴッドハンド伝説はハンパない圧の賜物(たまもの)なのだ。当然ながら “腕” だって必要ではある。施術に満足しないと口コミを拒否する人が続出するだろうから、ある程度の技術が必要なのは間違いない。

だが、“ゴッドハンドの圧” が「グッド」という感想を「グレート」に変えて世に出し、「グレート」な評価は「スーパーグレート」に押し上げた状態で公開され続けてきた……と言えるのもまた事実と思う。


・強制ではない

ここでゴッドハンドの名誉のために言っておくと、口コミや高評価は強制ではない。実際に私は口コミの話が出ると適当にお茶を濁して整体院を出てきたし、いなそうと思えばいなせるレベル

しかし、「高評価お願いします〜」というユルいお願いでもなかった。結構な圧。どれくらいの圧かを説明するのは難しいが、様々な整体院に行って回数券の売り込み営業をかわしまくった私が引くほどではあった。



──ということを書いておきながらなんだが、私はそのゴッドハンドに対してネガティブな感情は特に無い。たしかに患者への高評価依頼はバランス感覚を欠いているように思ったものの、ゴッドハンドの「なんでもハッキリ言う性格」が裏目に出ているだけとも言える。

やって欲しいことをストレートに言い過ぎるのだ。それ自体は美点であっても、やんわりとお願いしなくてはいけない局面ではマイナスに働いてしまう。

あるいは、ネット上の理不尽な口コミに対して過剰防衛気味になったがゆえに、ハンパない圧をかけてきているという側面もあるだろう。そのような事情を想像すると、一概に否定も肯定もできないなぁ……というのが正直なところ。


・得た教訓

どちらにせよ、今回の施術を通して私が大事な教訓を得たのは間違いない。それは、ゴッドハンド伝説は話半分くらいに聞いとけってこと。「当たり前だろ!」と思うかもしれないが、痛みが強いとその当たり前のことが見えなくなりがち。どうしてもポジティブな口コミに期待しちゃう。

それもそのはずで、患者側には「どこかにゴッドハンドがいて自分の病気を一瞬で治してくれないかな」という願望がある。一方で、施術する側には「ゴッドハンドみたいにスゲー腕が良い的な感じで宣伝できないかな〜」という思惑がある。つまり、“ゴッドハンド伝説” の生まれやすい土壌が患者と施術者の間にはあるのだ。

加えて、ネット上ではなんでも大げさにした方がバズりやすいという傾向がある。誰かが「あそこは腕が良いよ」と言ったらすぐゴッドハンドが誕生するし、逆に「合わなかった」となったらヤブだと酷評される。

80点の施術は200点に評価され、50点の施術はマイナス100点に評価されるということがネットでは日常茶飯事だ。

もちろん中には正確な口コミ情報だってあるが、それより何より「どれだけ時間がかかっても俺はいずれ治しちゃうんだけどね〜」と自分を信じている方が何倍も大事……ということを再確認したゴッドハンド体験であった。



ちなみに、私はゴッドハンドに施術してもらった直後、本当に腰の痛みが消えた。しかし3時間くらいしたら痛みがぶり返し、ひと晩寝たら結局元に戻った

なので、私の腰は痛いまま。ギックリ腰の発症直後に比べたら随分マシだが、今も痛み止めの薬を手放せない生活を送っている。


そんな状態で随分と長いこと椅子に座っているので、もうそろそろ失礼したい。座りっぱなしは腰に良くないらしいから。

まぁとにかく、腰痛に悩む同志たちよ、お互いに頑張りましょうね。では!

執筆:和才雄一郎
Photo:RocketNews24.