これからご覧いただく話は、特定を防ぐためところどころボヤかして記述する。場合によってはやや抽象的な表現になってしまうかもしれないが、核心については端的にお届けするつもりだ。

さて、この春、一人娘が小学校に入学した私(サンジュン)が最も懸念していることは「娘が学校で何かしらのトラブルに巻き込まれないか?」ということ。具体的には「いじめられてくれるなよ」と切に願っている。ただ万が一、娘が被害者になった場合、親はどう行動すべきなのだろうか?

・私は不安

特に大きな病気をするでもなく、無事に小学校に入学した娘。まだ入学式から1週間も経っていないものの、今のところは「楽しかった」と言っているから一安心である。というか入学前、私自身は楽しみより不安の方が遥かに大きかった。

まだ保育園の年少さんだった頃、保育園が近づくたびにシクシクと泣いていた娘。それは半年ほど仲の良いお友達が出来るまで続いた。あれから数年が経ちそれなりの社交性や順応性も身に付けてはいるだろうが「娘はやっていけるのか?」と不安は尽きない。

そして私が認めようと認めまいと、世の中には確実に「いじめ」が存在する。いじめの対象になるかどうかは運のようなもので、万が一にも娘がターゲットにされたなら「1秒でも早く教えてくれ」と願うしかない。

・ある小学校で

さて、これからお話しするのは信頼できる知人から聞いた実話である。知人には小学生のお子さんがいて、その小学校でいじめが発覚したという。いじめられた子がカツアゲされた金額は、なんと10万円超え──。学年は小学校の中学年と申し上げておこう。

当然、小学生の中学年にして10万円超えのカツアゲにも驚いたが、私がさらに驚いた……というより感心したのは いじめられた親が取った行動である。カツアゲを知ったご両親は学校ではなく、すぐさま「警察へ連絡した」というのだ。

結局は被害総額が10万円を超えていたことも、警察の捜査でわかったことなのだとか。いじめが発覚したらまずは学校に相談するのがセオリーかと思っていたが、それをすっ飛ばして警察に話を持ち込んだ親の決断力に、私はとても感心したのであった。

・個別に不信感は無いけれど

断っておくが、現在のところ私自身に娘の小学校や先生に対する不信感は全くない。いや、不信感を抱くほどの経験値が無いというのが正確だろう。一方で “学校組織” に対する不信感は少なからず持ち合わせている。

これは私が具体的に何をされたという話ではなく、例えば報道で見た「いじめに対する学校の対応」や「世間と教育委員会のズレ」などが長年蓄積されて形成された価値観で、漠然と「学校はそういう組織」と捉えているものだ。

先述したいじめられた子供のご両親がどんな価値観を持ち合わせているかは知る由もない。ただもしも私と同じような価値観であるならば「どうせ学校に言っても解決できない。なんなら有耶無耶にされて終わり」と考えたのではないだろうか?

繰り返しになるが、現在のところ私自身に娘の小学校や先生に対する不信感は全くないし、1人1人の教職員には敬意を持ち合わせている。だがしかし “学校組織” に対する漠然とした不信感は如何ともしがたいのが実際のところだ。

・あらゆることを想定して

そういう意味で、今後もしもいじめが発覚した場合「警察に届ける」という行為は、親として選択肢に入れておきたいと率直に思った。先生や学校を頼りにしていないという意味ではなく、それはある意味で「専門外である」とも考えるからだ。

また、娘がいじめられないかは不安だが、親として「娘がいじめる側に回る可能性」も頭の片隅に置いておかねばなるまい。誰もが「うちの子に限って」とお考えかと思うが、あらゆる被害を最小限に留めるためにも冷静な目は持ち合わせておくべきだろう。

娘がどんな人間に育っていくのか? 私の持論は「子供の資質半分・親の教育半分」である。やはり何かあったときの責任は、親が負うべきではないか? 学校を頼りにしつつも、責任までは押し付けない。そういう意味で「いじめがあったら警察に報告」はとても腑に落ちる話であった。

執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24. / Wikimedia Commons.
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