何かと他人様との関係が希薄になりつつあるこのご時世、正直に申し上げて私、P.K.サンジュンも、例えばご近所付き合いなどはほぼしていない。人に干渉されず、そして人を干渉せず。人間関係に縛られない気軽さは確実に存在する。

一方で私が単純な人間だからか、ふとしたことで他人様に親切にされると「やっぱり人情も大切だよなぁ」と感激してしまう。例えばつい先日、4歳の娘を保育園に迎えに行った帰り道にこんなことがあった。

・不機嫌な娘

4歳の愛娘は、現在保育園の年少さん。本来ならば電車で送り迎えをする予定で保育園を選んだのだが、新型コロナウイルスの影響で毎日片道30分、往復60分、送り迎えで計120分、私は電動自転車をこぎ続けている。

で、その日はお迎えに行った瞬間から妙に娘の機嫌が悪かった。普段はニコニコしながら私に飛びついてくるのに、この日に限ってはやたらとツンツン・メソメソ・グダグダしている。不機嫌な娘の手には白い物体が握られていた。

それは娘の靴下についていた飾りのボンボンで、どうやら仲良しのお友達に引っ張られて取れてしまったらしい。娘はそれを「ボール」と呼んでいたのでここではボールと呼ぶが、ボールの破損が娘の不機嫌の理由であることは明らかだ。

これは翌日に聞いたことだが、娘は「お友達に引っ張らないでって言ったら、もう遊んでくれなくなっちゃうと思って言えなかった」と話していた。娘の成長に驚くと同時に、4歳でもある種のストレスをため込むことにも衝撃を受けた。家ではワガママ放題の愛娘、外の世界で色んなことを学んでいるようです。


・ボールを紛失…

で、結局はそのボールが無くなってしまったから、さあ大変。保育園の帰り道にスーパーに立ち寄った後、ふと気付くと先ほどまで娘の手に握られていたボールが無くなっていたのだ。店内に引き返してみたものの、やはりボールは見当たらなかった。

そして娘は泣いた──。盛大に泣いた。おそらく様々な感情が爆発したのだろう、それは稀にみる大泣き……いわゆる “ギャン泣き” というヤツである。普段ならそこまで長引かないが、この日に限っては常に高いテンションをキープしたまま「ボールがー! ボールがーー!!」と泣き叫び続けていた。

「ポケットにしまっておきなさいって言ったでしょ」「また買ってあげるから」などと言っても娘のギャン泣きは止まらない。寒空の下、咆哮し続ける娘の相手をしながら私は途方に暮れていた。それどころか、腹立たしささえ覚えていた。「もう勘弁してくれよ」と。そんなときであった──。

60歳くらいと思(おぼ)しきご婦人が目も前に現れると、娘にりんごを差し出しこう言ったのだ。


「りんごは好きかしら? 丸いからボールと一緒だよ」


娘はピタリと泣き止んだ。私があたふたしながらお礼を告げると、ご婦人は風のようにその場を去っていった。ご婦人の一言で娘は冷静さを取り戻し、私の腹立たしさもどこかへ消えていた。絶対に違うが、私にとってあのご婦人はある意味で “りんごの精霊” である。

・ああいう人に私はなりたい

娘が生まれてからだいぶ寛容になったとは思うが、それでも幼い子供が泣き散らかしている光景を見ると「腹が立っちゃうオーディエンスもいるだろうな」と思う。そして99%の人は、静かにその場から離れていくのだろう。私もそうする。

だがしかし、あのご婦人の施しに、娘と私が救われたことは紛れもない事実。なかなか真似できることではないが「ああいう人になりたい」と心の底から思わずにいられなかった。りんごの精霊さん、本当にありがとうございます──。

何かと他人様との関係が希薄になりつつあるこのご時世、それはそれで決して悪いことではないハズ。ただ誰かが困っているときは「出しゃばりかな?」「おせっかいかな?」などと迷うことなく、スマートに手を差し伸べられる人でありたい。

執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.