いつの時代でも、その時の象徴的存在、カリスマとして「歌姫」は存在する。老若男女を問わず愛され、誰もが口々に代表曲を歌う。平成の時代であれば、安室奈美恵さんや宇多田ヒカルさん、浜崎あゆみさんや椎名林檎さんなど。時代は変わっても彼女たちの名曲は歌い継がれていくことだろう。

そして昭和の時代であれば山口百恵さんは外せない。1973年に14歳でデビューすると、21歳の若さで引退──。そんな伝説的存在とも言える彼女が芸能界から去って40年を経た今、600以上の楽曲がサブスクリプション解禁となった。

・14歳でデビュー

山口百恵さんがデビューした1973年は私の生まれ年に当たる。したがってリアルガチな百恵ちゃん世代ではないのだが、親の影響で曲を聞いて育った。母が好きでラジカセで曲を流していたことを良く覚えている。もちろん当時の歌番組に出演していたことも、鮮明に記憶している。以下、誰もが代表曲として選ぶであろう曲だが、彼女を知らない世代の人にぜひとも聞いて欲しい。


・『いい日旅立ち』(1978年11月)

卒業ソングとしても歌い継がれているこの曲。谷村新司さんが作詞・作曲を手掛け、谷村さん自身もコンサートなどで歌うことの多い名曲だ。個人的には、1990年代にデーモン閣下が「写ルンです」のCMで自転車に乗って歌っていた姿が印象に残っている。抒情的な詩の内容と、サビに向かって盛り上がるメロディーがとても心地よく、カラオケで歌うと結構盛り上がる。


・『さよならの向う側』(1980年8月)

百恵さんがファイナルコンサートで最後の曲としてこれを歌い、マイクを置ってステージを去る姿はあまりにも有名だ。この曲もまた、『いい日旅立ち』と同じく卒業ソングのひとつとして歌い継がれている。

歌詞の内容は、「あなた」への感謝に言葉が切々とつづられている。その内容はまさにファンに向けられたものであり、この曲で活動のすべてを締めくくった彼女の芸能人生は美しすぎるとしかいいようがない。


・『イミテーション・ゴールド』(1977年7月)

語り口調のような歌い出しがとても印象に残る1曲。サビもまた特徴的で、「ア・ア・ア」という吐息を繰り返すフレーズに、子ども心にドギマギしたものだ。このシングルあたりから、阿木燿子さん・宇崎竜童さんのゴールデンコンビが作詞・作曲を手掛けるようになり、『さよならの向う側』や『プレイバックPart2』『美・サイレント』『しなやかに歌って』など、続々とヒット曲を誕生させる。厳密には、76年の『横須賀ストーリー』が阿木・宇崎の手掛けた最初のシングルである。

大人の百恵ちゃん路線を打ち出すきっかけになった曲のひとつ。宇崎さんの手掛ける曲には、背伸びした百恵ちゃんのロックな一面が垣間見える。


・『秋桜』(1977年10月)

この曲もまた、オススメから外す訳にはいかない。さだまさしさん作詞・作曲、「日本の歌百選」にも選ばれた名曲中の名曲といっていいだろう。結婚して家を出る娘が母親に捧ぐバラードである。同時期にロック調の曲を歌う反面、この曲のようなスローなバラードもしっとりと歌い、なおかつ人の心に深く訴えかける。その歌唱力の高さには度肝を抜かれる。


・『ロックンロール・ウィドウ』(1980年5月)

私は個人的にこの曲が好きだ。ぜひとも皆さんにオススメしたい。ロックに夢中な旦那に、皮肉を言う妻の歌だ。サビの「カッコカッコカッコカッコ」という繰り返しを、子どもの頃に真似た気がする。

改めて聞いてみると、曲の構成が最高にイカしている。曲に調子がかなり強いロックであるのに、百恵さんの歌は全然負けてない。クールにシャウトするさまがカッコイイ。ただの女性歌手ではなく、どこかに芯の強さを感じさせたのも彼女の魅力だったのだろう。


・大活躍していた時の歳が!

改めてお伝えしたい。彼女がデビューしたのは1973年14歳の時だ。これらの曲は、ほとんどが10代の時に歌われていたことになる。80年代の曲でも21歳。それにも関わらず、とてつもない歌唱力と表現力で人の心をつかみ、のちの世に歌い継がれている。『秋桜』の時に18歳だったとか驚がくするしかない。「明日嫁ぐ私」と歌ってた頃に18歳だったんだよ。なのにあの説得力、さすが伝説の歌姫である。

なお、サブスクで視聴できるのは、Apple Music・Spotify・LINE MUSIC・Amazon Music Unlimited・Google Play Musicなどである。百恵さんを知る人は、思い出を振り返りながら楽曲を聞き返すのも良いだろう。知らない世代の人は、珠玉の作品を堪能して頂きたい。

参照元:PR TIMES
執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24