ついにレジェンドがバットを置いた──。2019年3月、シアトルマリナーズのイチロー選手が現役引退を表明した。今さらイチロー選手のスゴさを説明する必要はないと思うが「1つの時代が終わった」そう言っても決して言い過ぎではあるまい。イチロー選手、本当にお疲れ様でした。
さて──。「お疲れ様でした」なんて言っておいてこんな告白をするのもアレだが、私、P.K.サンジュンは、かつてイチロー選手に不道徳極まりない失礼を働いたことがある。今回は心からの謝罪の念の込め、全てを正直に告白したい。
・24年前の話
あれは当時イチロー選手が所属していたオリックス・バファローズが「がんばろうKOBE」を合言葉に優勝を決めた1995年のことである。つまり、今から24年前の話だ。イチロー選手はプロ4年目で、私は16歳の高校2年生であった。
イチロー選手は、前年の1994年に日本新記録の年間210安打を記録。日本中で「イチローフィーバー」が巻き起こる中、私は地元の球団「千葉ロッテマリーンズ」の熱狂的なファンであった。免許取り立ての原付にまたがり、放課後は千葉マリンスタジアムに足しげく通っていたのだ。
マリンスタジアムでロッテとオリックスが試合をする際、ライトスタンドにはロッテファンが陣取る。高校2年生だった私もいつもそこにいた。そしてオリックスのライトを守るのはイチロー選手……。いま思えば贅沢なシチュエーションであるが、ほんの数十メートル先にイチロー選手がいたのである。
基本的にはロッテの陣地であるライトスタンドだが、当時はイチロー選手見たさにオリックスファン(というよりイチロー選手ファン)がよく紛れ込んでいた。いま思い返しても、そういうことはイチロー選手以外になかったから、やはり断トツで人気があったのだろう。
・イチローは敵だった
そんなイチロー選手に対し、当時の私は敵意をむき出しにしていた。なにせイチローはメチャメチャ打った。大げさに言えば、イチローが打てばロッテの負け、イチローが打たなければロッテの勝ち。ピッチャーではない1選手が、それほどゲームを支配していたのだ。
イチローに何とか一泡吹かせてやりたい。俺の声援でロッテを勝利に導きたい。できれば俺がイチローの戦意を喪失させてやりたい。いま思うと滑稽でしかないが、当時の私は真剣にそう思っていた。そんなある日のことである。
・ある試合の前
試合開始前、私のすぐ目の前でイチロー選手が守備練習のウォームアップをしていた。当時、マリンスタジアムのライトスタンドはイチロー効果があっても混んではいない状況。私は大声で「イチロー! ボールくれ!! ボールくれぇぇえええ!!」と叫び続けたのだ。
その声はもちろんイチロー選手に届いていたのだろう。傍から見れば超熱狂的なイチローファンが全力でボールをおねだりしているように見えたハズだ。やがてウォーミングアップが終わる頃、イチロー選手がドンピシャで私にボールを投げてくれたのである。
その球を私は投げ返した。
「いるかボケェェェェエエエ!」……と叫びながら。
何たる失礼、何たる無礼、何たる不道徳。思い返しても恥ずかしさしかなく、いまあの瞬間に戻れるなら16歳の私をシバき倒してやりたいところだが、これは全て実話である。申し訳ない以外の言葉が見当たらないが、24年の時を超えてイチロー選手に心の底から謝罪したい。
本当に申し訳ありませんでした!
ちなみに、ボールを投げ返した後は「してやったり。今日のイチローはメンタルがボロボロ」とほくそ笑んでいた私だが、その日のイチロー選手は4打数3安打の猛打賞。うち1本はホームランで、私が陣取るライトスタンドにブチ込まれたことは記述しておきたい。当然ロッテもボロ負けであった──。
いま思い返しても顔から火が出るどころか血が出るほど恥ずかしく、できれば封印しておきたかった記憶だが、イチロー選手の引退表明を耳にし、書かずにはいられなかった。イチロー選手、本当にお疲れ様でした。そして24年前のあの時は本当に本当にごめんなさい──。
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.
▼今では本当に尊敬してます。あのときはごめんなさい。