babaa

なんだか分からないけど、黙っておくことにする。しかし小汚い店だな。椅子は穴が開いてるし、テーブルは油でべとべとしてるし、壁紙はところどころ剥がれてるし。漫画本が大量に置かれてるけど、古いものばっかり。1980年の『少年ジャンプ』があるぞ。良く30年間も店頭に置いておけるな。ボロボロにもほどがある。早く捨てればいいのに。

「汚い食堂は味がいい」なんていうけど、そのジンクスが本当であって欲しい。こういうところは100パーセントゴキブリがいるからな。ネズミもいるかも知れない。衛生管理はかなり疑わしいものがある。めちゃめちゃウマいか、もしくは病院行きだよ。

「先輩、何にしますか?」
「ここは注文の必要がないんだよ」
「何でですか?」
「メニューはあそこの壁に貼ってある。見ろ」

指差した先には、壁に画用紙で作られたメニューが掲げられていた。そこには「ラーメン」と「ミックスジュース」の2つしか書かれていない。店に入ったら自動的にラーメンに決定ということらしい。それならミックスジュースもメニューから外すべきだ。

「ミックスジュース、ウマいんすか?」
「シー! だから言うなって」
「え?」
「だから、ウマいとか言うなよ」
「あ、そういうことですか」

なんだか分からないけど、ウマいかどうかを聞くと、あの婆さんが怒るらしい。「ウマい」が禁句のようだ。まあ、黙って待つか。

「あのな、お前には、1度この店に連れて来たいと思ってたんだよ」
「え、俺っすか?」
「そうだよ。お前にはここに来てもらわないとなって思ってた」

先輩がいつになく真面目な顔をしている。この人もこんな真面目な顔をすることあるんだな。

「どうしたんですか? 急に真面目に」
「バカヤロー! 俺はいつでもお前のこと心配してんだぞ! いつもそうやって澄ましたフリしてるけど、心の奥底で何考えてるか丸分かりなんだよ。さっきもつまんないってずっと思ってたクセに。調子を合わせてたら相手は納得するとでも思ってたのか?」

なんだこの人、俺が何を考えてたのかずっと分かってたのか。

「人付き合いってのはな、調子がいいだけじゃやっていけないんだよ。愛想がいいっていうのは確かに大事なことだ。少なくとも人間関係の摩擦を減らすだろうよ。だけど、愛想だけで信頼できる人間関係が育めるとは限らないんだ。むしろ付き合いを妨げることだってある。大事なのは、お互いの信頼だぞ。分かるか?」

この人、俺にずっとムカついてたのかな。俺がどう感じているのか、分かってて飲みに連れて行ってくれたりしたのかな。

「お前をここに連れてきたかったのはな、婆さんを少し見習って欲しいと思ったからだ。婆さんはここで30年商売してる。昔は爺さんと一緒にやってたんだが、その爺さんが亡くなって以来、女1人で切り盛りしてんだ。愛想は悪いが、客を思いやる気持ちはそこら辺のラーメン店、いやレストランやホテルでもマネできないほどだ。俺は婆さんに何度となく助けられたもんだ。仕事で失敗したとき、彼女にフラれたとき、未来に対する不安を感じたとき、いつもここのラーメンを食べて立ち直った。今、お前は落ち込んでるわけじゃないと思うけどな、ラーメンを食えば分かる。思いやりって何なのか、人と関わるってのは何なのか、きっと食えば分かるだろう」

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