プロ野球選手の寿命は短い。中には例外もあるが、40歳まで現役でプレーできる選手はごくごく少数で、監督やコーチなどの指導者になれる選手はさらに少ない。多くの選手はユニフォームを脱いだ後、一から第二の人生を歩んでいる。
そんな引退後のプロ野球選手を追いかけるのが、ロケットニュース24の新企画「その後のプロ野球選手」のコーナーである。記念すべき第1回目は、ロッテ・巨人・ソフトバンクを渡り歩いた、鉄腕サウスポー「藤田宗一」さんだ。
・鉄腕サウスポー「藤田宗一」
藤田宗一さんといえば、2005年「YFK」の一角としてロッテ31年ぶりのリーグ優勝に貢献し、2006年はWBC日本代表に選出。2008年には日本記録となる527試合連続救援登板を達成した “鉄腕サウスポー” である。
ユニフォームを脱いだ藤田さんは現在、東京・赤坂で『豚焼専門店・焼きゅう豚 繁』のオーナーとして第2の人生を歩んでいる。独立リーグを含めると14年もの間、プロ野球と携わってきた藤田さんに、お店で話を伺うことが出来た。
・「ロッテで優勝できるとは思っていなかった」
筆者:私自身がロッテファンで、この企画の第1回目を受けていただいて非常に光栄です! 今日はせっかくなので、思い切りミーハーな質問を中心にさせていただきます!!
藤田さん:いえいえ。どうぞどうぞ。
筆者:ではまず、現役時代の最大の思い出はなんでしょうか?
藤田さん:それはやっぱり2005年にロッテで優勝したことですね。まさかロッテで優勝出来るとは思ってなかったですし(笑)
筆者:な、なるほど……。やっぱり選手も何となくそういう雰囲気があるもんなんですね。あのときは、いつ頃から「イケるんじゃね?」 となったんですか?
藤田さん:交流戦が終わったあたりですね(2005年のロッテは交流戦で優勝)。あそこでガンと貯金ができたので。
・「河本さんは凄かった」
筆者:なるほどなるほど。ではさっそくミーハーな質問をさせていただきます。プロに入って、「この人はヤバイな」と思った選手は誰ですか?
藤田さん:河本さんですね(即答)。1年目のキャンプのときブルペンで横に並んだら、ボールがホップしてましたからね。負けずに投げてたら肩を痛めちゃいました(笑)
※河本育之(かわもと やすゆき)。当時のロッテのストッパー。身長は決して高くなかったが、ストレートをウィニングショットにしていた。顔が怖いことでも知られる。
筆者:河本さん! 実は大好きなんです!! それは置いておいて、では藤田さんが影響を受けた選手は誰ですか?
藤田さん:河本さん、園川さん、小宮山さんですね。河本さんは同じサウスポーで体型も似てたから、「俺についてこい」と言われ、1年目はそれこそ練習から試合、食事まで一緒にさせていただきました。
・「影響を受けたのは、河本さん、園川さん、小宮山さん」
筆者:感激だな~。河本さんと藤田さんがガッツリつながってたなんて。園川さんは地味なイメージなんですが、どのあたりに影響されたのでしょうか?
※園川一美(そのかわ かずみ)。ロッテ一筋14年の左腕。当時、イチロー選手に、プロ野球史上初となるシーズン200本目の安打を打たれたことでも有名。
藤田さん:園川さんは、コーチになられてからですね。僕は納得いかないことがあったら、ストレートに言ってしまう方なんですが、園川さんが「直接言うな。俺に言え。俺が全部中に入るから」と。
筆者:男気がある方なんですね! 意外でした!!
藤田さん:一度、投球に納得がいかなくてロッカーで暴れたら園川さんがダッシュでいらして「後で部屋にこい」と。シバかれるかと思ったんですが、行ったら話を聞いてくれて。選手の性格を知り抜いてる方です。
筆者:そうなんですか! 意外だなぁ。では小宮山さんは?
※小宮山悟(こみやま さとる)。球界史上有数の頭脳派ピッチャー。元プロ野球選手なのに、柏レイソルが大好き。
藤田さん:小宮山さんは、厳しい方ですね。僕が小宮山さんより年上の先輩と揉めたとき、キッチリ僕も怒られるんですが、その後その先輩のところに行って「こいつの好きにやらせてやって下さい」と言ってくれました。面倒見もよく、野球をよく知っている方です。
筆者:なるほどー! 小宮山さんは冷静そうですもんね。
藤田さん:でも、僕はそうでもなかったんですが、小宮山さんは自分が不甲斐ないとロッカーで暴れることもあって。一回「藤田、お前も納得いかなかったら暴れていいんだぞ」と(笑)
筆者:それは意外です! 話を伺っていると藤田選手は、男気のある方とシンパシーが通じやすいのかもしれませんね。
藤田さん:そうかもしれませんね。
まだまだ続く、藤田選手へのロングインタビュー。気になる続きは最終ページへGOだ!
Report:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.