本日7月24日、まさに電撃的ともいえる発表が日本国中を駆け巡った。あの大リーグ12年目のイチロー選手がマリナーズからヤンキースへ移籍したという発表である。すでにヤンキースの選手として試合に出場しており、背番号は31。イチロー自らが希望したトレード移籍だったという。

そんななか……今年2012年、イチローの後を追うように福岡ソフトバンクホークスからシアトル・マリナーズへ移籍した川﨑宗則(かわさきむねのり)選手、通称ムネリンのコメントに野球ファンは大注目している。

・ムネリンとは
かねてからムネリンはイチロー選手に憧れを抱いており、マリナーズを選んだ理由も「イチロー選手とプレーするだけです。ちょっとストーカーみたいで気持ち悪いと思うかもしれない。でもしょうがないっすね」と笑顔で言い切る自他共に認めるイチローマニアだ。

だが、あまりにもイチロー選手に憧れすぎているようにも見え、ネット上では「ホモリン」というあだ名までついている。しかし、このあだ名に対してもムネリンは把握しており、自ら『人に「ホモなの?」と聞かれたら正々堂々と『ホモだよ!』と言い返している」と述べている。

・ムネリンとイチローの初接触
ムネリンとイチローが接点を持ったのは、2006年のWBC。日本代表チームが宿泊しているホテルのエレベーターが初接触だ。出会った瞬間、頭が「パーン」と真っ白になったという。

また、WBCのときにはイチローのロッカーの隣が同チームのイチロー好き選手の間で取り合いになったらしく、ムネリンの勝率は7勝2敗。なんとしてでもイチローの隣に……という強い思いが伝わってくる。

・ムネリンが残した数々のイチロー愛伝説
そんなムネリンは、イチローとの共演後、数々のイチロー愛伝説を残すことになる。以下に有名なエピソードだけを箇条書きにしてみよう。

・背番号は絶対に「52」。これはイチローの「51」の1つ後ろという意味が込められている。
・2006年、WBC後、イチローと合同自主トレ。
・2009年、WBCで不振だったイチローが最後に一攫千金のヒットを打って「打てないときのイチローさんがすごくよかった。今までよりもっと好きになりました」とコメント。
・2011年、自らのTwitterで「イチローコースNOW♪( ´▽`)」と発言。ちなみにこのコースとは、練習メニューではなく、食事(焼き肉)のことである。
・2011年、自らのTwitterで「イチローしたんだけどね♪( ´θ`)ノあ、一応。」とイチローギャグ。
・2011年、「イチロー選手の良いところを5つあげてください」という質問に対し、自らのTwitterで「この、世に、生まれて、きてくれた、こと。♪───O(≧∇≦)O────♪」と発言。
・2012年、イチローと同じマリナーズに入団。
・2012年、無人のグラウンドで練習中、「イチロー、ゲットアウト、マイウェイ(そこをどけ)」と、イチローがいるかのように誰もいない右翼を指差しながらボールを追う。

……などである。イチローに憧れ、イチローと出会い、イチローと共に成長し、ついにイチローを追ってシアトル・マリナーズに入団したムネリンこと川﨑宗則選手。イチロー選手の電撃移籍についてはどう思っているのだろうか。いずれ発表されるであろうコメントに注目だ。

参照元:Twitter @KawasakMunenori

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