石見神楽は島根の石見地方をメインに受け継がれている伝統芸能。名前は知っていたが、興味を抱いたことは無かった。
平安とか室町時代あたりにルーツのある伝統芸能ということで、能のローカル版だと思っていたというのも大きい。それなら国立能楽堂で能を見たらええやんみたいな。
しかし実際に石見神楽を目の当たりにしたところ、その手のイメージは間違っていたことが発覚! 実態は、かなりキレッキレなヤバい神楽だった。このハゲしさは伝統芸能界の過激派と言っても過言ではない……!
・有福温泉
ということで、島根県主催のプレスツアーでやってきたのは有福温泉。発見されたのは6~7世紀頃だとかで、恐るべき歴史を誇っている。今夜はここで1泊しつつ、目的の石見神楽を見せてもらえるという。
その前に簡単に有福温泉を紹介しておこう。ここはやや廃れつつあったが、ちょうど再生計画を進めている温泉地。
到着した時にはすでに日没後で暗く、明るい時間の写真は無い。しかし湯気で曇る細く入り組んだ通路がクールな雰囲気。周囲は凄まじい山で、熊も出るそう。
歴史ある共同浴場の「御前湯」(同行していた県のブランド推進課の温泉マニア的な方がニッコニコで入浴しにいったが、たいそう良い湯だったもよう)など、クラシカルな部分は残しつつも
私が泊らせて頂いた「OWL RESORT」のような、オープンしたてのラグジュアリー感ある新しい宿泊施設もある感じの温泉街だ。
・石見神楽
この有福温泉には、石見神楽のための建物がある。「湯のまち神楽殿」といい、普段は地元の有福温泉神楽団が定期的に公演している。今回は諸事情で、倭川戸神楽社中という別の神楽団が演じてくれることに。
「石見地方」、あるいは「石見地域」と呼ばれる一帯では、多くの神楽団が活動している。日本全国、伝統〇〇というのはだいたい若者の間での人気が下降気味な気がするが、石見神楽はどうも様子が違う。
私(40のおっさん)よりもずっと若い層が率先して神楽団に入るのはザラ。自ら新しい団を結成するパターンもあるもよう。詳しくは後で触れるとして、先に石見神楽をご覧いただこう。
最初に始まったのは「道がえし」という演目。タケミカヅチが悪い鬼を打ち負かして改心させる話だ。
派手な衣装とそれっぽいお面をつけた演者が登場。取材時はまだマスク必須のコロナ禍だったため、ビニールシート越しでの鑑賞だった。写真が曖昧なのはそれ故。
見せ場は鬼との戦いのシーンだと思うのだが、これが思いのほか激しい。
どれくらい激しいかというと、何らかのパーツが千切れてその辺に散らかるくらい激しい。いや、小道具が破損しとるやんけ!!
その程度は通常営業なのか、タケミカヅチも鬼も動じることなく戦いは続き、両者ともに刀を抜き放つ事態に。いよいよやべぇぞ……!
ファッ!?
タケミカヅチィィィィイイイイイイ!!!!
……
……
……
と、凄まじい切り合いの果てに敗北した鬼は、土下座して高千穂に帰っていった。
続いて始まった「大蛇」はもっとヤバかった。こちらはスサノオによるヤマタノオロチ退治の話だ。いきなりだがハイライトから入ろう。ヤマタノオロチはかなりデカい。
8匹は入らんやろ……と思ったら、会場のサイズに応じてオロチの数は可変するもよう。今回は、赤、青、白の3匹。
いや、ギッチギチでスサノオさん端に追いやられとるやないかい……!!
しかもこのオロチたち、デカい図体で激しく動く。どれくらい激しく動くかというと、観客席にも被害を及ぼすほど激しい(事前にちゃんと注意がある)。水族館のシャチショーの前列席が水を被るのと似たようなものだ。
会場の仕様次第では火を噴くことも可能だそう。終了後に見せて頂いたが、口の部分に火炎放射のための機構が仕込まれているのだ。殺意高すぎんだろ。さすが神話級の害獣。
そんなヤマタノオロチもスサノオさんには勝てず、酒を飲まされ酔ったところで首を切られてエンド。斬首してフィニッシュするシーンは
生々しさを伴う「斬首」感がある。子供ウケは絶対に良いやつ。
・過激
こうして予定されていた2つの演目が終了。冒頭で「能のローカル版だと思っていた」と述べたが、だいぶ違うタイプのものだった。
動きのテンポが相当に速く、棒やら刀やらを破損も厭わぬガチ感でバシバシと叩きつけたり振り回す。オロチは目を赤く光らせて火炎放射(今回は会場の仕様上やらなかったが)するなど、随分と武闘系過激派だ。
これは大衆ウケも良いだろう。人気のほどを聞くと、今回演じて頂いた倭川戸神楽社中は年間で50公演ほどやるという。ほぼ毎週1公演やるペース。そして神楽団は全体でおよそ100ほどあるそう。
神楽団ごとに忙しさは違うと思うが、それでも石見神楽自体が島根から広島の限られたエリアだけで主に公演されていることを考えると、地域からの支持率は相当に高いと見て良い。
関係者や県の人の話によると、少なくとも石見地区ではニチアサ的なヒーローショーをやるより石見神楽の方が集客率はいいとか。年配層だけでなく、ナウなキッズたちからも熱い支持率を得ているらしいのだ。
伝統芸能の中でも稀有な話ではなかろうか。キッズのころに某ライダーを神以上にあがめていた私としては、にわかに信じがたい。
盛ってるんちゃうんか? と思い、今回の行程の最中、行く先々で出会った地元民に某ライダーや某キュア以上のキッズ支持率がガチなのか聞いたのだが、わりとマジらしい。
近隣では小中学生向けの民間の神楽クラブ的なものがあったり、高校入試には神楽推薦なんてものもあるという。石見神楽で高校に入れるのだ。
これはちょっと、外の人間が想像できる範疇を超えている。石見神楽、マジで全方面でブッ飛びすぎィ……! しかし、そんな支持率であれば今後も安泰だろう。と、思ったが、そういうわけでもないらしい。
・衣装作り
まずは過疎と高齢化だ。幼少期に石見神楽にハマり、学生時代に部活や神楽団で神楽を継承しても、いざ就職する年齢になると、若者の多くはどこかの都市に出て行ってしまう。
それは今に始まった話ではないのだが、今回の取材ツアーを経て、最も危ぶまれるのではないか……と感じたのが、衣装作りを担う職人たちの現状だ。
あの煌びやかな衣装は全て職人による手作り。見るからに豪華なアウターは、1着で小型自動車と同じくらいの値段。完成まで数か月を要するという。
石見神楽にとって必要不可欠なものだが、作っているお店は10件にも満たないとか。
私は今回、そんなお店の一つ、細川神楽衣裳店を訪れた。
石見神楽の歴史には細川勝三(1907-1970)という偉人がいる。実は豪華で派手な衣装や、火などを用いた過激な演出による人気の獲得は彼のアイディアとされる。
それどころか、口伝ゆえに曖昧になっていた神楽の台本を研究者と共に復元し、活字化するといった功績まで立てているとか。彼の功績については浜田市のHPでも紹介されている。
ぶっちゃけ現在の石見神楽の、ほぼ全ての要素の祖と言っても過言ではない。
細川神楽衣裳店は、そんな人物に縁のある衣装店。さぞ規模が大きいに違いない……と思いきや、現在はたった3人で衣装を作っている。
細川神楽衣裳店には細川勝三氏が遺した衣装に関するオリジナルの図面が現存し、今もそれを和紙に写した複製を使用して、伝統的な手法で衣装の製作を続けているという。
色々と質問する私に対し、作業の手を止めて対応してくれたのは小林さん。幼少のころから石見神楽に熱狂。神楽団に入り、自らも舞う側の立場に。社会人となってからは衣装を製作する側としても石見神楽を支えるべく、細川神楽衣裳店の門を叩いたという。
しかし、彼のように若くして衣装作りに参画する者はごくわずか。細川神楽衣裳店も、かつてはもっと沢山の職人が勤めていたが、高齢化で次々と退職していき、今の状態になったそう。
そもそも職人の数が増えたとしても、それをまかなえるだけの衣装の注文は(取材時はコロナ禍ゆえに特に)無く、また、過疎により演者の数が減っていくであろうことから、衣装の需要が劇的に高まるような未来は考え辛い状況だという。
娯楽としての石見神楽は、一帯のほぼ全ての年齢層にアツい人気がある。しかし若者の流出による神楽を舞う側の人間の緩やかな減少と、それ以上に深刻な衣装を製作する職人の現状。
豪華絢爛な衣装と、他に無い派手な演出、そして地域一帯での本物の人気など、輝かしい側面ばかりに目を奪われていた。しかし、その背後に伸びる影の濃さは無視できないように感じた。
例えば、元は高知ローカルだった「よさこい祭り」のように、やたらと全国各地で祭りや大会のようなものが開催されるような状況を目指せれば理想だ。
しかし石見神楽には守るべき伝統的な要素も多い。「よさこい」のように、自由さからくる敷居の低さを武器にはし辛い気もする。何か独自の方法で、現状にテコ入れする必要があるだろう。
それを知ったメディアの立場としては……まあ、とりあえず島根県や広島の一部だけでなく、全国的なファンが今以上に増えるに越したことはない。そのためにはスゴみを知って頂くのが一番。
ということで皆さん、石見神楽の娯楽としての面白さはガチだ! 旅行会社による団体ツアー等なら、神楽鑑賞が組み込まれているプランもあるだろう。島根観光の際には是非その派手さや過激さを体感してくれ!! あるいは、とりあえずYouTubeなどで見てみるのも手だと思う。
ちなみに神楽団は公演の依頼を受け付けているし、衣装店もオーダーを承っているそう。時には石見神楽の衣装の技術(金糸銀糸を用いた、輝く立体的な刺繍とか)を取り入れた、石見神楽ではない用途向けの衣装のオーダーを、遠方から受けることもあるそうだ。こういう衣装欲しかったんだよ! って方は是非。
参考リンク:細川神楽衣裳店、石州和紙会館、柿田勝郎面工房
執筆&写真:江川資具
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▼このデカく、目が光って火も噴けるヤマタノオロチの着ぐるみ的なものは、実は和紙製。石見地方で作られる石州和紙で作られている。この和紙なくして石見神楽は成り立たない。
▼石州和紙会館にて、ちょうど和紙製作の序盤の部分が行われている所だった。
材料となる楮(こうぞ)というクワ科の植物。
これを せいろ蒸し の方法で蒸して……
槌で叩いたり、足で踏みつけ……
一瞬でするりと皮を剥ぐ。
天日干し。6トンの原木から、数百キロの和紙ができるそう。12月に収穫した楮で1年持たせる。
▼石見神楽のお面は、この和紙から作られている。ここは「柿田勝郎面工房」。
こちらが職人の柿田勝郎氏。独学でこの道に進み、「島根県ふるさと伝統工芸品」に指定されるまでになるなど、石見神楽界のレジェンドの一人。
この工房で作成されたヤマタノオロチの頭部を被らせて頂いた。この姿勢でないと前方が見えないのだが、一瞬で素人だとご指摘が。自分の目ではなく、オロチの目が正面を向くように立つのがマストとのこと。中の人は下を向いたまま演じられるよう訓練する。
見ての通り巨大だが、主に和紙製ゆえに非常に軽い。実際の話、上の写真で私が手にしているカメラの方が重いと思う。しかし幾重にも貼られた和紙は凄まじい強度になっており、軽くて丈夫というハイスペック。内部には目を光らせるための仕掛けが。伝統と革新が同居している。