2022年は「日本野球150年」という記念すべき年である。アメリカ人教師ホーレス・ウィルソンが生徒たちにベースボールを伝えたのが1872年(明治5年)。22年後の1894年に「野球」と邦訳され、さらにそれから70年後の1964年(昭和39年)に、なんと……

日本人初のメジャーリーガーが誕生していたのだ。ってことで今回は、野茂投手やイチロー選手よりもずっと前に海を渡った……「マッシー村上」こと村上雅則さんにサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーした当時のお話を伺った。南海ホークスに入団して2年目に……

・マッシー村上さん

1964年の3月、南海(現・ソフトバンク)入団2年目のマッシーさんは野球留学という形でアメリカに渡る。ジャイアンツ傘下の1A「フレズノ」でリリーフ左腕として活躍し、同年8月に1Aから飛び級でメジャーに昇格。って、サラッと紹介してしまったが……

タフな環境のマイナーリーグ、しかも言葉も全然わからない(通訳もいない)世界で活躍するにはハンパない精神力が必要だったであろう。はじめはなぜか給料がいつまで経っても出なかったらしく(言葉が通じないから理由も聞けず)かなり心細い思いをしたそうだ。

「当時、1Aはホットドッグリーグ、2Aはハンバーガーリーグなんて言われてたでしょ」とマッシーさん。つまり、1Aの選手はホットドッグ程度のものしか食べられなかったそうだ。ちなみにMLB(メジャー)は「ステーキリーグ」なんて呼ばれている。


・マイナーリーグの環境

そんな1Aにいた頃は、お金の面やプレー環境だけでなく、敗戦国の民に対する人種差別にも苦しんだという。チームメイトから悪ふざけやイタズラされることも多かったそうで……

1度だけ試合前の国歌斉唱時に国旗に背を向けたことがあった。「こんなしつこい嫌がらせをする人間が住む国の国歌を唄い、国旗に敬礼する必要などない」と抗議をしたつもりだったが……

チームメイトのキャッチャーから「それとこれとは別問題だろ」とたしなめられたという。つまらないことをしてしまったと反省したものの、つまらない嫌がらせは続く。そしてついに……大事件が勃発してしまった。

「バスで移動中に後ろの席から紙クズを何度も投げられてさ。それでもう頭にきてね。運転席の足元にあったスパナ(工具)を取って……選手全員に向かって『お前か? お前か?』と詰め寄ったんだよ。そしたらみんな『ノー』『ノー』って言ってね。次の日からみんなの態度が変わったよ


・メジャーデビュー

そんなチームのクローザー(抑え投手)として7、8、9回を投げる役目を任され、所属するフレズノ・ジャイアンツは8チームで構成されるカリフォルニア・リーグで首位を独走。優勝確実のところまできた8月……ついにメジャー昇格の声がかかったのだった。

カリフォルニアのフレズノからプロペラ機でサンフランシスコに飛び、ジェットに乗り換えてニューヨークへ。約半年間で習得した英語を駆使して、バスでマンハッタンのホテルへ。んで翌日、ニューヨーク・メッツとの試合でメジャーデビューを果たすことになる!

熱狂する4万人の大観衆、カクテル光線に照らされたシェイ・スタジアム。4対0とリードされた8回裏……全米ヒットナンバーワンの『スキヤキ・ソング』を口ずさみながらマウンドへ。

相手打線を三振、ヒット、三振、ショートゴロと打ち取り、デビュー戦を堂々の投球で飾ったのだった。

・対戦相手が誰だかわからない

同年、8試合に登板して1勝1セーブ、防御率1.80を残しシーズンは終了。活躍できた理由は「相手選手が誰だかわからない(スコアボードに名前が出ないしアナウンスも聞き取れない)ので、先入観を持たずに自分のピッチングができたこと」とマッシーさん。

翌65年は45試合に登板して4勝1敗8セーブ、防御率は3.75。んで、66年に南海ホークスに復帰。日本球界復帰後は、1968年に18勝4敗で最高勝率を獲得、通算103勝を挙げて1982年オフに現役を引退した。

・ロベルト・クレメンテ

話はメジャー時代に戻る。とくに印象に残っている選手は、ロベルト・クレメンテだという。試合前に声をかけられ、ボランティア活動のことを熱心に語っていたそうだ。

クレメンテ選手は通算安打3000本を達成した伝説的プレーヤー。1972年の大晦日、救援物資を運ぶ輸送機に乗ってニカラグアに向かったが、その途上で事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。

マッシーさんは彼の意志を継ぎ、知的障害のある方へのボランティアや難民支援などの活動を約25年続けている。初の国連難民親善アスリートにも任命された。「ここ2年は活動できていないけど、今年の9月にはチャリティーゴルフコンペを開催したい」という。

・なんでも鑑定団

最後に「せっかくなので告知とかありませんか?」と尋ねると「あ、来週(2022年5月31日)に『開運! なんでも鑑定団』に出るよ」とサラッと教えてくれた。マジかよ。果たしてレジェンドはどんなお宝を持参したのだろうか……気になる方は番組をチェックしてほしい。 

野球が日本に伝わって150年。今回は野茂英雄投手がドジャースでデビューする30年以上も前にメジャーリーグのマウンドに立ったマッシー村上さんにお話を伺った。ちなみにスマホには「モハメド・アリからもらったサイン」の写真も入っていたぞ。あ、もしかしたらお宝かも?


執筆:砂子間正貫
Photo:RocketNews24.
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▼エンゼルスのマークをジャイアンツの帽子で隠すマッシーさん

▼現在はBLUE PROJECTやKIMONOプロジェクトを展開する、一般社団法人イマジンワンワールドの理事もされているという

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