3歳のころ家庭の事情で半年ほどスペインに住んだ私には、当時の記憶がほんの少し残っている。それは人生で最も古い記憶であり、「いつか行ってみたい」というノスタルジックな気持ちを心の奥に秘めながら、しかし私はあっさりと30歳を越えてしまったのだった。
今回とうとうスペインを訪れる準備ができた私は、「当時の住所を教えてくれ」と母親に連絡した。すると間髪入れず「覚えているワケがない」という返信。スマホ世代には信じられない話かもしれないが、昔はやたらとデータを残す習慣がなかったんだネ……う〜ん、困った。
両親の記憶をもとに得たいくつかの情報、そして奇跡的に家付近の景色が写った1枚の写真を手がかりに、私はとりあえず行ってみちゃうことにした。「着いた瞬間に記憶が蘇った」とかいう感動の展開を期待しつつ……!
・追憶の「ラ・エラドゥラ」
スペイン観光において、南部の地方都市「マラガ」をチョイスする日本人は “なかなかのスペイン好き” といえるだろう。そこからバスで2時間ほど離れた「ネルハ」まで足を伸ばした人がいれば “相当なスペイン通” と呼んでいいはずだ。
そこからさらに東へ進み「ラ・エラドゥラ」まで行ったことのある日本人がいたならば、それはほぼ “スペインオタク” なのではないだろうか。なにせネットで検索してもろくに情報すら出てこぬ田舎町だ。
そのラ・エラドゥラこそが、私が約30年前に住んでいた町である。マラガから1日数本出ているバスに乗って向かう。
車窓には “ザ・欧米” な景色が広がり、長旅でも飽きない。
ほとんどの客が途中のネルハで下車する中、最後の1人となった私はあっさりラ・エラドゥラに到着した。約30年ぶりの訪問である……が、今のところ感動とかはないなぁ。
母は「何もない町だから弁当を持って行け」とか言っていたけれど、海沿いには飲食店が軒を連ねている。浜辺は整備され、バカンスに来たとみられる欧米人の姿が多数。30年の間にこの町ではリゾート地化が進んだようである。
・私の記憶
当時3歳だった私の記憶は少ない。しかし断片的にかなりハッキリと覚えている。
①家の向かいの公園の売店のおばさんが優しかった
②隣の家に女の子が住んでいて優しかった
③家を出て左に急な坂道があり、突き当たりのパン屋で働くお兄さんが優しかった
④ヒマワリの種を食べた
……ハッキリ覚えてはいるがあまり参考になる情報がないため、事前に両親からも聞き取りを行っておいたぞ!
・両親の証言
両親によれば住所は分からないまでも、確実に当時の家までたどり着ける目印がいくつかあるという。
①海岸から道をはさんだ向かいに公園があり、その公園の逆サイドの正面にある
②公園の中には売店があり、奥には小さな市場がある
③公園にバスケットコートがあり、バスケットコートから1番近い家
……ほとんど謎解きのようだが勝算はある。この町で「海岸」と呼べるゾーンはあまり広くなく、端から端まで歩いても30分弱ほどなのだ。その中にいくつか公園があったとしても “売店があって市場と近い” のはおそらく1つ。そう考えれば、おのずと答えは導き出されるというものであろう。
実際に歩いてみたところ、該当するゾーンに公園はひとつしかない。これは早くも目的達成か!?
・空白の30年間
しかし……その公園は写真で見るよりも、明らかに広くてピカピカだ。さらに公園内に売店やバスケットコートはおろか、近所に市場も見当たらないのである。
ひょっとするとあの公園はもうなくなってしまったのかもしれない。だとすれば相当苦しい戦いとなることは必至である。何か……何か他に手がかりは……
……ムムムッ?
アーーーーーーッ!!!!
なんと写真に唯一写り込んでいた建物が、当時のままの姿で公園の横に存在しているではないか! これによってようやく、ここが私の探していた公園だと証明された。すっかり探偵の気分だったが、なんとなく感慨深い感情が湧いてきた気がする。
それと同時に、この時点で「売店」「バスケットゴール」「市場」はすでに無くなってしまっていることが確定した。つまり公園のおばさんに再会できる可能性も消滅したわけである。チョッピリ悲しい。
・真相は……これだ!
公園が判明し、30年前に住んでいた可能性のある家は4つに絞られた。しかし目印のバスケットゴールがなくなっていたため、私ではこれ以上の判断ができない。こうなったら最終手段『テレフォン』を使うほかないだろう。
日本の両親に家の画像を送るやいなや、10秒で電話がかかってきた。「この角度の画像を送って」「家の裏に畑はあるか」など、次々に飛んでくるリクエスト。両親ノリノリの様子である。
母の口から「家は平屋建てだった」という証言が出たときは焦った。該当するゾーンに平屋の家が1軒もなかったからだ。しかしよーく見ると建物の1階と2階部分に継ぎ目があり、おそらく建て増ししたのだろうと推測。さらに「右隣は角だった」という証言が決め手となり……
ついに30年前に住んでいた家が断定されたのだった!
・変なところで蘇った記憶
「30年前に住んでいた家と対峙した人間」には、何か特別な感情が湧くのだろうか? ……と、期待したけど特にはなかった。いかんせん覚えていないのである。現在の住人がいるので宅内に侵入するわけにもいかない。写真を撮るほかにやるべきこともなく、近くを散策することにした。
私が “急な坂” だと思っていた道が、全く坂じゃなかったことには驚いた。わずかな傾斜は言われなければ気づかないほど緩やかだ。3歳の子供にとっては急な坂道に感じられるほど、長く険しい道のりだったということだろう。そして……
坂の向こうに建物が見えた瞬間、モヤが晴れたように30年前の記憶が鮮明に蘇ってきたのである。
看板、階段、たたずまい……ここが当時毎日通っていたパン屋だと、私はひと目で確信した。
残念ながら当時の優しいお兄さんはいなかったけれど、カウンターの配置も当時と変わらない。ここへきてようやく、私はちょっと泣いてしまいそうなくらい感動したのであった。
家とパン屋を見つけたことで満足した私は、それ以上散策する気もなくなり、帰りのバスに乗り込む。この日のバスから見たラ・エラドゥラの景色を追憶し、何十年後かの私はきっとまたここに戻ってくる気がした。
誰にもノスタルジックな原風景というものがある。人によってはどこか遠くだったり、大きく変貌を遂げている場合もあるだろう。しかしその「場所」は今でも確かに存在しているのだ。大人になった今もう一度訪れてみたら、忘れていた思い出と出会えるかもしれない。
Report:亀沢郁奈
Photo:RocketNews24.
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