2017年12月31日、福岡県北九州市のスペースワールドが27年の歴史に終止符を打つ。この1年、変なCMばかり流していただけにポジティブな姿勢で閉園……と思いきや、最後の最後で泣かせにきたのは記憶に新しい。ネットでも「どうか、私たちを覚えていてください」の広告は話題になった。

最後の真面目な挨拶に不意を突かれて号泣してしまう人もいるらしいが、福岡県出身の筆者(私)もグッときた1人。なぜなら、スペワは “絶叫マシンが大の苦手な私” がジェットコースターに乗った唯一の遊園地だからだ。あれは高校に入る前、中学3年生の時だった。

・卒業旅行でスペワ行き

トラウマであり、いい思い出でもある人生初のジェットコースターは、今から10年以上も前のこと。当時のスペワは、タイタンやヴィーナスといった最新で最恐のジェットコースターが揃い、ブイブイ言わせていたように記憶している。福岡の遊園地といえばスペワ。まさに福岡県民の誰もが認める絶対的な場所だった。

一方、飛行機に乗ることさえ怖い私は中学生。極度のビビりでありながら、順調にジェットコースターと無縁の暮らしを送っていた。だが、突如として非情な通告。事もあろうか、中学校の卒業旅行でスペワに行くことになったのである。しかも、1学年全員。つまり、強制的に逃げられない環境が整った。

普通なら楽しい旅行となるはずだろうが、絶叫マシンが大の苦手な私は浮かないまま。なにせ、どうあがいてもジェットコースターに乗ることは避けられないのだ。すでに行く前から、中学生特有の「ジェットコースターに乗れない奴はチキン」的な意味不明の空気が漂っており、本気で絶望したのを覚えている。

・人生初のジェットコースター

迎えた当日、いっそのこと風邪を引いてやろうとも私は思っていた。しかし、皮肉にも鼻水が1ミリも出ないほどピンピンで、何事もなくスペワに到着。あとは最後の最後まで、どうやってジェットコースターから逃げようか考えるしかなかった……が、ついに!!

強引に友達から連れられ、生まれて初めてジェットコースターに乗った。さすがにめちゃくちゃ高いところまで登るタイタンは拒否したが、十分怖いと噂のヴィーナスに乗った。失神したらどうしようかと不安になりながら乗った。とにかく、私はジェットコースターに乗ったのだ。

覚悟を決めて乗り込むと、大嫌いな “腰がフワッと浮く感覚” の連続……。目を閉じて恐怖にひたすら耐えるだけで、絶叫する余裕もなかった。人間はマジで恐怖に直面したら声が出なくなる。身をもって、そのことをヴィーナスから学んだ。

結果、私はもう二度とジェットコースターに乗らないと固く誓い、今でも継続している。ちなみに、ヴィーナスは「コースターの神様」と呼ばれるアントン・シュワルツコフ氏の遺作らしいが、そんなことはどうでもいい。いらんもの作りやがってという気持ちの方が強かった。

・ありがとう

ただ、あれから月日は流れ、私も大人になった。そして今年いっぱいでスペワは閉園する。もう一度乗りたいかと聞かれたら答えはNOだが、これからはスペワのジェットコースターに乗りたいと願ったとしても叶わない。

これまでジェットコースターの恐怖もあって、「閉園するのか」くらいにしか思っていなかった。しかし、そんな私の心を打ったのがスペワの広告。急に寂しい気持ちになったあたり、いつしか私にとってスペワは特別な思い出の土地になっていたらしい。

思い返せば、今でも人生初のジェットコースターは話のネタになるし、こうして記事にもできた。人生で唯一のジェットコースターがスペワ。最初で最後でいいし、それでよかったと年を重ねて思う。あの時は最悪だったが、今なら言える。ありがとう、私は「スペースワールド」のことを忘れない。

執筆:原田たかし
Photo:RocketNews24.