oyaji

男ならわかることだと思う。男は成長するにつれ、自分が父親に近づいていくことを。そしていろいろな意味で、父親を越えていくことになる。それが早いか遅いか。何をもって越えたとするのかは人それぞれだと思うのだが、「父親越え」の始まりは、父親を「お父さん」から「オヤジ」と呼び始めるところにあると私(佐藤)は思う。

私は父親を越えることができただろうか? 40歳も過ぎていまだに独身でいると、この先もまだまだ父親を越えていくことができないような気がしてならない。初めて「オヤジ」と呼ぶようになったあの日から、私は何も進歩していないのではないかと不安にさえなってくる。

・たたき上げの職人

私の父はたたき上げの職人だ。18歳から現場仕事をするようになり、日本の高度成長期に全国を旅してさまざまな現場を渡り歩く旅職人だった。働きながら全国を渡り歩き、島根で母と出会いその地に落ち着いたのである。

・憧れでもあり恐怖でもあり

22歳という若さで私たち兄弟をもうけたので、私が高校生のときでもまだ40歳だった。当時、もしかしたら今でも腕っ節では勝てないかもしれない。気骨があり、常にわが道を行くその存在は思春期の私にとって、ある意味憧れであったと同時に、恐怖の対象でもあった。怒られることを随分と恐れていたものである。

・弟に先を越され

同い年の弟、つまり双子の弟は早くから父と同じく職人になった。父は信条として、「自分で稼ぐなら、人に迷惑をかける以外に何をしてもいい」と常日頃から我々に言っていた。だから職人になった弟は、事も無げに父を「オヤジ」と呼び始め、父はそのことを喜ばしく思っていたのである。ある意味、男として一人前と認められたことになる。

・「オヤジ」と呼べない

一方の私は高校生で、働くということがわかっていない。この先の人生をどうするかさえも考えていなかった。本当に生き方とか生活とかが全然描けず、当時自立する気さえもあったかどうか。そんな自分は、「オヤジ」と呼ぶことにためらいと戸惑いがあった。

父の目線に一歩近づき、男として父と付き合っていくだけの気構えがない。その頃は「甘え」という言葉ですべてが片付けられるほどに、甘え切っていたに違いない。とにかく父は強大であり、何をやっても太刀打ちできる気がしなかった。

・「お父さん」と呼べるうち

そこを一歩踏み込み「オヤジ」と呼ぶ。それが怖くて仕方なかった。「お父さん」と呼べるうちは、子どもとしての役割を果たせると、心の奥底で考えていたのかもしれない。やっぱり甘えだ。厄介なことに、弟はすでに父との間で、「お父さん」と呼ぶ関係でなくなっている。親方と子方だ。親子であって親子にあらず。職場に「お父さん」を持ち込むことの方がはるかに恥ずかしい。

・だらしなく兄の威厳を守る

私は自立する気構えのないまま、弟に便乗する格好で「オヤジ」と呼ぶようになっていた。現状が伴わないのに無理やりに目線を上げて、父との距離をつめることは、不安でしかなかったのだが、だらしないことに兄の威厳を保たねばならない。「お父さん」から「オヤジ」と言い換えたとき、父は果たして弟が呼び始めたときのように、喜ばしく思ってくれたのだろうか。

・自分が「父」になる日まで

あれから20年以上の月日が流れて、今改めて思う。「オヤジ」と呼ぶに相応しい自分であるか? 父親越えを果たせたかどうかは大いに気になるところだ。おそらくこの先も、私が「父」になるその日まで、本当の意味で父を越えることができないのかもしれない。

・改めて「お父さん」と

また、こうも思う。「オヤジ」という言葉をオッサンくらいの気持ちで使っていないだろうか。今では逆に照れくさくて到底言えないのだが、「お父さん」と呼ぶべきじゃないのかと。尊敬する気持ちを思い出す意味でも、お父さんと呼ぶ方が相応しいとも思ってしまうのだ。

お父さんと呼ぶこと、オヤジと呼ぶこと。いずれにしても男は、父親との距離感のなかで、自分の器を計っている気がする。

執筆:佐藤英典
イラスト:Rocketnews24