sekiotoko

え? 俺に話してんの? と思うような場面に遭遇したことはないだろうか。誰に向けられた言葉なのか分からず、思わず「お、俺?」という顔で相手を見てしまう。そんな経験、誰にでもあるはずだ。

つい最近のこと。山手線に乗り、目黒から秋葉原に向かっていた途中のことだ。鼻がむずがゆくなったのでポリポリとかいていると、どこからともなく「鼻づまり?」と声がした。誰かが誰かに話したのだろうと思い、声のした方を見てみると、かなり恰幅のいいオジさんがこちらを見ていたのである。そしてもう一度「鼻づまり?」、と。

・大柄の男性が見ている

田町駅から乗り込んできたオジさん。私と彼の間には、ひとつ席の空きがあったが、誰もそこに座ろうとしなかった。身長は180センチ以上あるだろうか。茶色いオーバーコートを着て、足元にはキャリーバッグがある。白髪にメガネ、真っ白なヒゲを蓄えた大柄の男性だ。その彼が「鼻づまり?」と私に尋ねている。はて? この人にどこかで会っただろうか? キョトンとしている私に構わず彼は続ける。

オジさん 「最近、風邪が流行ってるよね」
「……」
オジさん 「私も鼻づまり、一緒だね。私は鼻づまり代表みたいなものだから」

・鼻づまりを代表する男

ナニ! この人が『鼻づまり代表』!? 何だかスポーツ選手みたいだ。鼻づまりとは、そういう組織立ったものだったのか……。知らなかった。知らなかったぞ! 私は何と答えていいものか分からず、とりあえず会釈をした。それがふさわしい返事だったかどうかも分からない。それ以前に、「俺に話してる?」と聞きたいくらいだった。彼の目に私はどう映ったか……。しかし、そんなことを気にもせず、彼はなおも続ける。

鼻づまり代表 「咳をするから、咳男」
「……」
鼻づまり代表 「咳をしないから、咳をしない男」
「……」

・「咳しない男」のテーマ

新しい名前が出てきた。ここへ来て、『鼻づまり代表』は『咳男』へと進化した。だが、やはり何と答えるのがふさわしいのか分からず、会釈するだけにしておいた。この後、咳男は思わぬ行動に出る!

咳男 「せ~きしない~から~♪ せきしないお~とこ~♪」

なんと、『咳しない男のテーマ(?)』を歌い始めたのだ。おい! そこは咳男のテーマを歌うべきだろうッ! そう言いたかった。そんなツッコミを入れたかった。

だが、咳男と私の間をつなぐものは何もない。彼がどうして今、山手線に乗っているのかも、どこへ行こうとしているかも分からないのだ。まして、初めて会った同士で、そんな思い切ったツッコミを入れる訳にもいかない。そんなことを考えている間も、『咳しない男のテーマ』が続いている。私は、もどかしかった。だが、これは試練である。耐えるのだ。

・新たな展開に

そうこうしている間に、しばらく沈黙があった。咳男は、何かをつぶやいている。かすかに聞こえる声で。何と言っているのか分からないほど小さな声だった。そして次の駅に停車したときに、私と咳男の間に、一人の女性が座った。その正面に男性が立っている。どうやら二人はカップルで、話している内容から中国人のようだ。咳男、どうするのか?

・「イエス、イエス、イエス」

──そう思っていると、咳男は彼なりのつぶやきで、二人の会話に参加しようとしていることが分かった。だが、どうやら中国語を解さないらしく、「ゴニョゴニョゴニョ……」と不可解な言葉にならない言葉をつぶやいているように聞こえた。

しかし、そのうち「イエス、イエス、イエス」と英語で相づちを打っていたのだ。きっと彼の言葉に気付いているのは、この電車内で私しかいない。いや、世界中で私しかいない。そう思って、私は再び会釈をして電車を降りた。

彼の風邪が早く治るといいな……そう願いながら足早に改札へと向かった。人混みの中に紛れたとき、どこからか鼻をすする音が聞こえた気がした。「鼻づまり?」。私の頭の中には、今も咳男の声がある。

執筆:佐藤英典
Photo:RocketNews24.