子供の頃からポテトチップスが大好きだった。なんなら水道止まるくらい貧乏だった20代前半は、ポテトチップスが食べたいあまり、他の食事を削って一袋を買う金を捻出していたこともある。ポテトチップスしか勝たん。
だが、それゆえだろうか。上司のYoshioと堅あげポテトトレインをしていた時に、ふと恐るべき事実に気づいてしまった。
・震えた
2023年に30周年を迎えた堅あげポテト。名前はもちろん、群青のパッケージも鮮烈に記憶に残っている。誰でも知ってるお菓子と言っても過言ではないだろう。
なんと、そんな堅あげポテトを42歳にもなって食べたことがない男がいるらしい。さらには、その男の職業はライターで食レポも書いていると言うではないか。マジかよ!? そんなことある? どこのどいつだ! その世間知らずなイカサマ野郎は!?
──恐るべきことに、私であった。自分でもにわかには信じられなかったが、いくら記憶をたぐっても出てくるのはポテトチップスとの思い出のみ。
思い返せば、最初の出会いからポテトチップスに満足し続けすぎて「他のを買ってみるか」という気分になったことすらない。私の世界はポテトチップスだけで十分満たされていたのである。
・初めて食べてみた
しかしながら、現在、職場には大量の堅あげポテトが置かれている。ご自由にどうぞ状態だ。堅あげポテトを食べるなら今しかない。そこで食べてみたところ……
思ってたより硬かった。
「パリッ」ではなく「ガリッ」と砕ける堅あげポテト。ポテトチップスのノリで食べたら口の中がガリガリになる。
ポテトチップスを硬くして誰が得すると言うのか? しかも、硬くするためか分からないけど、1枚1枚がギュッと縮こまって小さくなっているではないか。
言わば、硬さを手に入れるために視覚的な満足度を捨てているのである。どんだけ硬くしたいんだよ! そのこだわりが意味不明すぎて笑った。
・見ている世界が違う
これまでポテトチップスはなんとなく口いっぱい頬張れる満足感が良いと思っていたが、堅あげポテトはそういった価値観では作られていないことがヒシヒシと伝わってくる。見ている世界が違うのだ。一体どれほどの地獄を経験したらこんなにポテトを硬くしようと思えるのか。
思わず、堅あげポテトを作った人の過去を想像してしまった。1つ選択を間違っていたら、私が堅あげポテトを作る世界線もあったのかもしれない。
全く違うポテトチップス観に頭を殴られたような衝撃があった堅あげポテト。これまでの人生をも振り返らせるその硬さは、もはや哲学的ですらある。
今、堅あげポテトは全人類に語りかけている。正しさとは何か? それは思い込みではないのか? 今までの自分の選択に、数奇なる運命のいたずらに、少し泣いた。
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.