2023年10月6日、映画『アントニオ猪木をさがして』が公開される。本作は昨年10月に惜しまれつつこの世を去った「アントニオ猪木」をテーマにしたドキュメンタリー作品で、数名のプロレスラーが出演している。

その中でも興味深かったのが「藤波辰爾(ふじなみ たつみ)」と「藤原喜明(ふじわら よしあき)」の両名。言うまでもなく、長年にわたりアントニオ猪木の側にいた弟子中の弟子である。

・アントニオ猪木とは

調べれば調べるほどわからなくなる──。これが私の猪木に対する率直な感想だ。カリスマ・プロレスラー・燃える闘魂、そしてダジャレおじさん。確実に言えることは「猪木を表面だけで判断することは不可能」ということだ。

黒いところもあれば、白いところもあり、かと言ってグレーではない。白と黒が交じり合わない絶妙なマーブル模様を生涯において保ち続けた男、それが私なりに解釈した「アントニオ猪木」である。

だがしかし、それはあくまで1人のファンが抱いた仮説にすぎず、もちろん証明することは出来ない。果たしてアントニオ猪木とはなんなのか? そんな時に「藤波辰爾」と「藤原喜明」の2ショットインタビューの話が舞い込んできた。

両名ほどアントニオ猪木を知る者は少なく、中学生の頃からプロレスを見ていた私にとってもお二方はレジェンド中のレジェンドである。こんな機会は一生ない──。喜びと緊張で震えつつ敢行したインタビューを以下でご覧いただきたい。



・猪木のカッコ良かったところは?


──まさかお二方にお会いできる日が来るとは思っていませんでした。本日はどうぞよろしくお願いいたします!

藤波 & 組長「よろしく」

──さっそくですが、今日は長年すぐ側にいたお二人だからこそ知るアントニオ猪木をお話いただければと思っています。まず、お二人にとって猪木さんの1番カッコ良かったところはどんなところなのでしょうか?

藤波「そうだな……やっぱりリング上だよね。僕が観ていたのは入門する前、日本プロレス時代の猪木さん。27~28の1番いい時だったよね。その後、新日本プロレスが出来たときも、怒りや怖さ、負けん気がみなぎるリング上の猪木さんもやっぱりカッコ良かったよ」

──なるほど。

藤波「でもね、猪木さんは内心ものすごく寂しがり屋だったね、うん。周りに人がいればいるほど機嫌は良かったし、燃えるし、リング上でも輝いてたんじゃないかな」

──ふむふむ、組長はいかがですか?

組長「いま藤波さんが言ったけど、プロレスラーとしては怖くて、強くて、お客さんを惹きつける力があるすごい人なんだけど、その反面、プライベートではシャイだったり正直だったり。鶴見で生まれた少年が、そのまま大きくなったような純粋さがあったよ」

──なるほど。

組長「これは晩年だけど、猪木さんにはよく六本木に呼び出されてね。そこで俺が酔っ払ったフリをして猪木さんに絡むと、1つ1つ諭すようにお守りをしてくれるんだよ。例えばこんなことがあったな」

──ぜひ聞きたいです。

組長「あるとき猪木さんが “藤原、今度南極に行くぞ。南極でプロレスをやるぞ” って言うんだよ。猪木さんとしては、地球温暖化で南極の氷が溶けていっている様子を世界中に見せたいワケだ。でもそこで “はい、わかりました”って返事したらつまらないだろ?」

──そうですね(笑)

組長「だから俺は猪木さんに “ペンギンは金持ってないですよ” と言ったんだ。そしたら猪木さんは “チリから大きい船が出てる” だとか色々と説明してくれるんだな。俺は “じゃあチリでやったらいいじゃないですか”って言ったんだけど」

──(笑)

組長「北朝鮮のときも、俺が “北朝鮮はイヤですよ”って断ったら、猪木さんは “平壌空港の近くに美味しい焼肉屋があるから行こう”って言うんだ。俺は “焼肉なら東京にいっぱいありますよ”って答えたんだけど、そういう会話の1つ1つが楽しいんだよ」

──すぐ側にいた組長ならではですね。

組長「猪木さんの周りには、イエスマンと猪木さんを騙してやろうとするヤツが多かったから。もしかしたら猪木さんにとっては俺みたいな男が、1番リラックス出来て良かったのかもしれないね」



・へっへっへ


──さすがの濃さですね。でも組長にせよ藤波さんにせよ、猪木さんにとって気の置けない存在になったのはいつ頃からなんでしょうか? 現役の猪木さんは怖かったですよね?

組長「それは歴史だよ。酔って絡んだこともあるし、そういや昔、猪木さんにぶん殴られる覚悟で嫌味を言ってやったこともあるな」

──おお、興味津々です。

組長「まだお客さんが入ってない地方の体育館にさ、チンピラが4人くらい勝手に入って来たんだよ。“猪木出せ” とか “勝負しろ” とかギャーギャー言ってるワケだ」

──ふむふむ。

組長「俺はたまたま猪木さんといてさ、猪木さんの顔をパッと見たら “うん”って頷いたんだよな。要するにGOサインだよな」

──そうですね。

組長「体育館の中2階にいた俺はそこから飛び降りたんだ。すぐ後から荒川さん(ドン荒川)も飛び降りてきてさ。俺は4人の中の親玉らしいヤツに殴りかかろうとしたんだよ」

──おお!

組長「そしたらだよ? 上から猪木さんが “こらーー! やめろ!! ファンになんてことをするんだ!” って大声で叫んでるじゃねえか。俺からすれば “えええ!?” ってなもんだよ」

──ですね。

組長「俺は中2階にあった控室まで戻って、ぶん殴られる覚悟でワザと大きい声で言ってやったんだよ。“これじゃ人気も出るよな” ってさ。そしたら猪木さん何て言ったと思う?」

──なんでしょう?

組長「ニコッと笑って “へっへっへ” って笑ってそれで終わりだよ。でもあの笑顔を見るとどんなヒドいことがあっても許せちゃうんだよな。俺たちと猪木さんの関係は、そういうことの積み重ねなんだよ」

──ある意味で究極の人たらしですね。

藤波「付き人を使って自分がカッコつけるのは、力道山がそうだったみたいだね。猪木さんも周りを使って団体や自分をよく見せることは上手だったな」

──そうでしたか。

組長「あとね、とにかくイタズラが大好きでね。昼寝してる俺の足にマッチ棒を挟んで火をつけるんだよ。俺が “アチチチ!” って飛び起きても、例の “へっへっへ”で終わりさ。今なら犯罪だぜ?」



・究極の放置プレー


──それを言い出すと、当時の新日本プロレスを現在の法律に照らし合わせたら大変なことになりそうですね(笑)。ただ、そういうチャーミングな猪木さんにもお二方は魅了されていたんですね。

藤波「俺なんて17歳で猪木さんの付き人をやってるとき、アフリカのマサイ族の村に置いてけぼりにされたんだから。猪木さんが “日本で用事が出来た”って言って1人で帰っちゃったんだよ」

──その記事、どこかで拝見しました! 猪木さん滅茶苦茶ですね(笑)

藤波「あの頃はインターネットどころか携帯電話だって無かったんだから。朝起きたら槍を持ったマサイ族が枕元に立ってるんだ。生きた心地がしなかったよ(笑)」

組長「そのままアフリカにいたら、どこかの森の酋長になってたかもしれないんだ(笑)」

藤波「もうね、どうやって日本に帰ったらいいか知恵を振り絞ったよ。あれには参ったな。だってまだ17歳だからね?」

──ですよね。でもどうにかして帰国したとき、猪木さんに「ヒドいじゃないですか!」とか言わなかったんですか?

藤波「言えない言えない。そのときも俺の顔を見るなり “へっへっへ” で終わりだったよ。でもその後、世界中どこに行こうとも怖いことなんかなくなったね。良いように解釈すれば、猪木さんが俺に度胸を付けさせようとしたのかもしれないな」

──藤波さん、いい人過ぎます(笑)。

組長「今なら犯罪だよ。放置プレーどころじゃないよ(笑)」



・「プッシュアップバーで殴られた」は本当なのか?


──それでも “へっへっへ” で全てを収めてしまう猪木さんはすごいですね。ただそんな中でも、やはり現役時代は怖かったんじゃないですか?

藤波「猪木さんは正直ありのままを出しちゃうんですよ。一方でその場の空気を察知したりする能力、相手や会場の雰囲気を掴む感性というのかな。それはスゴイものがありましたね」

組長「でもカーッとなると止まらなかったよね。もう、止まらない止まらない」

──カーッともなりますか? それは例えば試合の時などですか?

藤波「まあ、それもありますけど、俺なんて何度頭をカチ割られたことか……」

──! 実はそれよく聞くんですよ。前田さん(前田日明)が「若い頃、猪木さんにプッシュアップバー(木製の腕立ての器具)でしょっちゅう殴られてた」と仰ってたんですが、あれはガチだったんですか?

組長そんなの普通だよ(笑)。俺なんて何百発ってやられたおかげで頭が固くなっちゃったよ」

藤波「見てごらん、あの傷(笑)。あのうちのいくつかは猪木さんに殴られたヤツだよ(笑)」

──ヒェェェエエ。前田さんが仰ってたことはガチだったんですね……。

組長「あのね、あれはコツがあって避けちゃダメなんだよ。避けると斜めにすべって頭がパカーンと割れちゃうからな。黙って受けて “ありがとうございました” で終わるのが1番いいんだ」

藤波「でも全部試合前だったけどね」

──そういう問題ではないと思いますが……。

藤波「試合が始まると同時に、頭から血が噴き出してるヤツが何人もいるワケだ。お客さんも何事かと思ってただろうな(笑)」

組長「フォローしておくと当時の巡業は今より長くて6週間あったんだよ。後半になるとみんな疲れてきて、ちょっと気分もダラけてくるんだ。そうすると大きな怪我をする可能性が高くなるんだな」

──確かにそうですね。

組長「大きな怪我っていうのは骨折程度じゃ済まない半身不随や、下手すりゃ全身不随に繋がる怪我さ。そうなる前に猪木さんが気合いを入れてくれてたんだと思うよ」

藤波「うん、周りに対する引き締めだろうね」



・前田日明のピュア伝説


組長「でもね、1つだけ言っておくと猪木さんは好きなヤツしか殴らなかったんだ

──おお! それは初耳です!! 猪木さんは好きなヤツしか殴らなかったんですか?

組長「そうだよ。殴られるのは好かれてる証拠で、嫌いなヤツは猪木さんも “はいはい” で終わりだから」

藤波「この言葉でね、殴られた我々は救われるんだよ(笑)

組長「ね? 嫌いなヤツは殴られなかったもんね?」

藤波「僕は付き人をやってたから、数えきれないほど殴られたなぁ」

組長「猪木さんは1番信用できるヤツを殴るんですよ」

──ほーーー! 猪木さんは選んで殴ってたんですね!! ちなみに藤波さんと組長以外では誰がたくさん殴られてたんですか?

組長「そうだな……まだ入門して間もない前田に俺は言ったことがあるんだよ。 “猪木さんは1番可愛いヤツを1番先に殴るんだぞ” ってね。そしたら次の日、猪木さんが道場に来てね。すぐに “殴られるな” ってわかったんだ。そしたら案の定 “並べ!”ってさ」

──ふむふむ!

組長「あー、今日も俺だなって思ってたら、道場の隅っこでスクワットをしてた前田がダダダって走ってきて、猪木さんに “お疲れ様です!”って大声で挨拶したんだよ。そしたら前田がバカーンと殴られてね」

──(大笑い)

組長「その晩だよ。前田が俺のところにきて “藤原さん、今日猪木さんは僕のことを1番最初に殴りましたね!”って自慢してるんだ。あいつは本当にバカ野郎だよ(笑)」

──前田さんの純粋さがわかる素晴らしいエピソードですね(笑)

藤波「前田らしいね(笑)。前田は本当に真っすぐな人間だから」

組長「そういう時代だったんだよ。知らんぷりしてスクワットしてりゃ殴られずに済んだのに。本当にいい時代だったよ」

──じゃあ極端な話、猪木さんに1度も殴られなかった人もいるんですか?

組長「もちろんさ。アレとアレとアレだな(笑)

藤波「でもね、当時の新日本はそういう雰囲気だったから、おのずといい試合もやってましたよ」

組長「そう、全日本プロレスに負けるなってね」



・ジャイアント馬場との関係


──おお、全日本という言葉が出たのでお聞きしたいんですが、猪木さんを語る上でジャイアント馬場さんは欠かせません。藤波さんは日本プロレス入団なので、馬場さんとも接点がおありですよね?

藤波「そうだね。俺は毎日2人の背中を流していたから」

──ですよね。で、報道を見ると坂口征二さんが「天国で猪木さんと馬場さんは仲直りして酒でも飲んでるんじゃないですか」と仰ってるんですが、僕にはそうは思えません。どうしても猪木さんの腹の中にある馬場さんへの思いが、尋常じゃない気がしていまして……。

組長「ないと思う(即断)。そりゃ仲直りしてますよ。いや、仲直りも言葉が変か。あのね、プロレスラーって言うのはリング上では激しくぶつかるし、お互いに “この野郎!” と思っても、リングを降りたら話は別なんですよ」

──ふむふむ。

組長「一般の人には理解しづらいのかもしれないけど、我々は仕事は仕事、プライベートはプライベートで割り切ってるんだよな。だから仲直りとか何とかじゃなくて、初めからいがみ合ってなんか無いんだよ。ましてや2人は同期だから」

──なるほど。

藤波「2人の関係は力道山が上手く作ってね。馬場さんはあの体格だからプロレスのシンボルになれる逸材だったんだけど、1人では限界も感じていたと思う。そこを猪木さんが上手くフォローしてたんじゃないかな」

──ふむふむ。

藤波「もちろん猪木さんは人一倍強い人だから、半分は馬場さんへのジェラシーもあったと思う。でもリングを降りれば “寛ちゃん・馬場さん” の関係でね。ファンの人が考えるようないがみ合いはなかったよね

──それは私の理解が足りませんでした。

藤波「ただ “全日本プロレスに負けるな!” って気持ちが常にあったことは事実だよ。若手の頃、しょっぱい試合をしてると竹刀を持った猪木さんがリングまで来てビシビシやっていくんだ。お客さんからしたら何のこっちゃわからないよな(笑)」

組長「それも時代だよ。殴られても “ありがとうございました” で終わって、恨みなんか1つもないよ」

──でも可愛いヤツしか殴らないんですもんね? いくらヒドいことをされても、例のアレで終わりなんですもんね。

組長「そう、ニコッと笑って “へっへっへ” で終わり。あの笑顔を見ちゃうと、怒りも何もかもがスゥーーっと消えちまうんだよ」


いかがだろうか? それなりにプロレスに精通している方でも初耳のエピソードがあったのではないだろうか? 私の印象に残ったのは「へっへっへ」のくだり。猪木の人間的な魅力、カリスマが表現されているのではなかろうか?

また、自分で言うのは何だが、緊張の割にめちゃめちゃスイングしたインタビューだったと自負している。もちろんそれは、私の力量ではなく両氏がスイングさせてくれたから──。

この場を借りてお礼を申し上げたい、若造の質問にイヤな顔1つせずお答えいただいた藤波さんと藤原組長、どうもありがとうございました。一生の思い出になりました。

というわけで、貴重な証言が続々と飛び出した2ショットインタビュー。あなたなりのアントニオ猪木を探すヒントになれば幸いである。映画『アントニオ猪木をさがして』は2023年10月6日公開だ。

参考リンク:アントニオ猪木をさがして
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.©2023「アントニオ猪木をさがして」製作委員会

▼記念撮影もさせてもらったYO! 一生自慢します!!