近ごろソーシャルアパートメントというのが人気らしい。個室に住みながら、ラウンジやリビングなど共用部があり、1人暮らしと共同生活の「いいとこ取り」なのだとか。

数十年前、筆者は大学の女子寮に住んでいた。すでに昭和の集団主義もだいぶ影を潜め、個人の自由だとか個性だとかが重視されつつある平成の時代。

しかし女子寮は、年頃の女子たちが洋服を交換したり、恋バナで盛り上がったりとキャッキャウフフしている楽園ではなかった。だいぶ記憶が薄れている部分もあるが、以下すべて実話だ。


・学生が運営する「自治寮」

筆者が所属していたのは大学の「自治寮」だ。自治寮というのは学生の手に運営が委ねられている寮のことで、寮監や管理人のような大人が存在しない。

学生の代表者で自治会を作り、掃除なども自分たちで行う。食事だけは自治会が「委託する」という形で、調理員さんが作ってくれた。

居室は2段ベッドの4人部屋で、なるべく学年混合となるよう設定されていた。そして寮費は月25,000円程度と、当時の基準でも驚くほど格安だった。

昭和時代からの歴史ある寮で、建物も幽霊が出そうなくらい古びていたが、代々伝わる「しきたり」や「伝統」もめちゃくちゃ多かった。


・スタンツの習得

新入生がまず越えねばならない壁が「スタンツ」の習得だ。スタンツというのは、ボーイスカウトなどで行われる寸劇やレクリエーションのことらしいのだが、筆者の寮では「踊り」のことであった。

寮に代々伝わる「寮歌」と、音楽に合わせて踊るための「振り付け」を覚え、季節ごとの行事などで大集団で踊る。

入学からしばらく、講義の後はまっすぐ帰寮してスタンツの練習をする。「妙な踊りなんかよりバイトやサークルに行きてー」と思っても新入生全員参加だ。


先輩の手本に合わせて、来る日も来る日も踊りの練習をする。覚えないと終わらないので、みんな必死だ。

スタンツには「仲間同士の結束を強める」という目的が(おそらく)あり、現在でも一部のユースホステルやライダーハウスには似たような習慣が存在するのではないだろうか。

その後も行事のたびに「出し物」は必須だったので、歌、踊り、劇、一発芸など、なにかと企画力が求められた。これは会社の忘年会など、企業文化でもいまだにあるかもしれない。



・入浴の作法

寮には大浴場があり、決められた時間内に利用することになっていた。

大浴場に入るときは、新入生は先に入浴している人たちに向かって応援団のような大声で口上を述べることが定められていた。もちろん双方、真っ裸である。

風呂のガラス戸をがらりと開け「○○県△△高校出身! □□学部1年! 冨樫さや入ります!!」などと叫ぶ。これは「ストーム」と呼ばれるアクションで、ルーツは旧制高校時代の学生活動にまでさかのぼるらしい。

すでに入浴している人は「よ~お!」だとか「よ~し!」だとか、決まった “合いの手” を入れる。返事をもらって初めて、浴室に入ることが許される。


スタンツもストームも、大学がひとつの社会的・思想的集団だった時代の名残だろう。行動の “型” を共有することで団結力や連帯意識を高める。

……のだが、筆者にはなかなかのカルチャーショックだった。ここは社員寮でもスポーツチーム寮でもない。同じ大学といっても学生は数千人規模。単に住まいを同じくする、という一点の共通項しかない女子の集団なのである。


・参加必須の合コン

寮はとにかく行事が多かった。もちろん全員参加で、「欠席」という選択肢はない。

「新入生歓迎会」「忘年会」「送別会」など、すべて近隣の男子寮との合同開催で、体育館に長テーブルを並べて何百人という若き男女が相対する光景は圧巻だった。実質的には合コンだ。

まだ学生が携帯電話など気軽に持てない時代。気になった子に連絡を取るには、寮に電話をかける、という方法しかなかった。

寮には「電話室」があり、学生が交代で電話当番をする。外部から入電すると「○号室の△△さん、お電話でーす」と館内放送で呼び出しをかける。つまり「誰に何回くらい電話が来たか」が全寮生に丸わかりだ。


新入生歓迎会の後は電話ラッシュ。ひっきりなしに呼び出しがかかる女子と、そうでない女子は一目瞭然だ。もちろん誰と誰が交際に至ったか、などの情報は上級生ネットワークにより光の速さで知れ渡る。

毎年のことなので、先輩たちは「今年は○○がナンバーワンだなぁ」などと話している。公開処刑である。



・退寮には始末書

もちろん、意味のわかるルールもたくさんあった。食堂では「ご飯は1杯まで」「おかわり禁止」など、違反したら万死に値する厳しい掟が多数あったが、限りある予算でやりくりする以上、特定の人だけ食べ過ぎるのを防がなければならない。

また、掃除当番、新聞当番、電話当番などたくさんの当番があり、そのスケジュールに沿った生活をしなければならなかったが、それも共同生活なので当然のことだ。


しかし、何十年も経った現在でもいまだに申し訳なく思うが、筆者はこの環境に馴染めなかった。

大学を辞めなきゃいけないか、というくらい思い悩んだが、結果的には始末書というか、謝罪文というか、釈明文の提出を求められ、それをもって退寮させてもらった。

後に聞いたところ、その直筆の謝罪文は寮生全員が利用するトイレにしばらく掲示されていたそうな。

断っておくと先輩たちは寮の伝統にとても誇りを持っていたと思うし、女性同士なので暴力や暴言もなかった。どのルールも「下級生を締める」という意地悪な意図ではなく、団結力を高め、伝統を守ることが目的だったのは明らかだ。

この環境に馴染み、生涯の友を得て卒業まで在籍する学生が大多数。ダメだったのは筆者のメンタルだ。


令和の現在、寮はキッチン付きの1人部屋になり、コインシャワーを備え、共同の食堂もなくなったらしい。隔世の感がある。

まだまだ「バンカラ」の名残のあった平成時代の学生寮。奇妙でもあり懐かしくもあり、惜しまれつつ消えゆく文化かもしれない。


執筆・イラスト:冨樫さや
Photo:RocketNews24.
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