みんな、イード・アル=アドハおめでとう!! そう、僕たちムスリムは6月28日「イード・アル=アドハ」という聖なる日を迎えたのだ。
えっ? イード・アル=アドハって何だって? それはね……
※本記事では後半に一部ショッキングな画像がありますのでご注意ください
・犠牲祭
もとはアブラハムが神様から実の子イスマーイールを犠牲するように命令されたところから始まった。命令に従ってイスマーイールの首を切って犠牲にしようとしたところ、神様はそれをやめさせて、代わりに家畜を犠牲にせよと命令した。
これが初めての犠牲であり、イード・アル=アドハの始まりである。キリスト教やユダヤ教なら聞いたことある話だろう。
我々はこのイード・アル=アドハに家畜達を神の御名の下で切って犠牲にし、切った肉を皆で分け合い一緒に楽しむのだ。特に貧しい人たちにも分け合うことで、食べることや楽しむことを共有する。
犠牲になる家畜はインドネシアだとヤギか牛が多い。外国ではラクダのケースもある。犠牲になる家畜はもちろんムスリムが食べていい動物だけ。
豚肉を犠牲にしてもしょうがないからね、誰も食べられないから。
・家畜
イード・アル=アドハ間近になると、家畜を売る店が出現する。犠牲祭に使う動物はここで買えるのだ。
何で買うかって? まぁこれはイスラム教の「喜捨(きしゃ)」に当たるからだ。お金に余裕のある人は羊や牛を買って、それをモスクに譲って、皆で分け合う。
体が小さいのでヤギを売ってることが多い。正直ヤギ臭い。
・イード・アル=アドハ
前回紹介したイード・アル=フィトルと同じく、我々はまず神様に感謝すべくお祈りをする。お祈りは前回紹介した断食明けのイード・アル=フィトルと同じだ。
ただ今回は里帰りしないので、家の近くのモスクでお祈りをすることに。雰囲気が違っててこれまた良き。
特別な日のお祈りなので、もちろん人で溢れかえる。少し遅れてきたので、モスクの外で場所取ってお祈りをするはめに。
見えるだろうか? あれが犠牲になる羊たちだ。最後の食事だと知ってか、モクモクと葉っぱを食べてる。
・犠牲
さて本日のメインショー、それが「犠牲」だ。動物が切られるところを見るために、お手伝いなり見学なりで人がめっちゃ集まってる。
場所は先程のモスク。もうすでに僕が来た頃にはすでに始まってた。てか子供めっちゃ多いな。
ヤギと遊んでる子供達。
そしてあっちにはなんと牛が、結構でかいぞ。あれどうやって切るんだ。
入ってみるとこりゃまたすごい光景。既に切られたヤギが逆さになって吊るされている。人々はこうやって肉を削ぎ落としているのだ。
取られた肉は皆で小さく適当に分けられる。この肉は後々近所の人たちや貧しい人々に分け与えられる。
ここでは一部の肉をそのまま料理にして皆に配っているよ。もちろん無料だ。
・まとめ
「犠牲」と聞くと怖いことを連想してしまうが、まぁ正直いうとすこし怖い。動物が切られるところの生々しさときたら、慣れない人には見せられない光景である。
ただ我々も動物達にもちゃんと考慮し、できるだけ動物に苦痛を与えず動物をすばやく仕留めている。何であれ肉を食すにはやはり動物を仕留めないと始まらない。
ただもし耐性があるなら来てみると良い。ムスリムがどうやって動物を仕留めるか見られるし、何よりお肉がもらえるかもしれない。無料でお肉がもらえるんだぞ?
それでは、Sampai Jumpa Lagi!
参考リンク:Wikipedia「イード・アル=アドハ」
執筆:アキル
写真:RocketNews24