全国には「フルーツ街道」「フルーツ王国」などと呼ばれる果実の産地がたくさんある。観光果樹園が立ち並び、予約不要の飛び込みで果物狩りが楽しめるところも多いだろう。

これからの季節なら桃やサクランボ、ブルーベリーなど。各地の果樹園は小さな子ども連れのファミリーで賑わい、幸せな思い出を作りながら食育にも役立ち……なのだが、筆者は「大人にこそ」「おひとりさまにこそ」全力で果物狩りをおすすめしたい!


・私が果物狩りに行く理由

筆者はいい歳した大人だが、年に数回は果物狩りに行く。コロナ禍でしばらく閉園していたところもあるが、近ごろではだいぶ復活し、日々「狩るぞ」「狩るぞ」と興奮している。

人と一緒に行っても、園内に入れば会話もせず写真も撮らず別行動の真剣勝負である。むしろ「何人たりとも我に話しかけるな……!」という気持ちだ。

それも栗やリンゴやナシのような「狩ったものを持ち帰ることを目的とした果物」ではなく、イチゴやサクランボなど「その場でヒョイパクと食べるもの」を超絶おすすめする。

どうしてこういう心境になったかというと、大人になってから初めて果物狩りを体験したときにまで話がさかのぼる……


・数十年ぶりに果物狩りに行ったときの衝撃体験

子どもの頃のファミリーレジャー以来、数十年は果物狩りから遠ざかっていた筆者。

タイなど南国の観光施設で「好きなだけフルーツを食べてください」というシステムに遭遇した経験はあるが、少なくとも大人同士でわざわざ計画して行ったことはなかった。

ある程度食べると「もういい」となるから食べ放題で得する感じでもないし、若者の遊びとして盛り上がりのあるものでもない。

ところが、数十年ぶりに、ふとしたきっかけでサクランボ狩りに行ったときのことである。

「木を傷つけないよう、こうやって収穫してください」というスタッフの説明を聞き、種を捨てるカップを受け取った後、鈴なりに実がついた木の間を歩く。

枝からもいだものを口に入れる。最初はちょっと抵抗がある。


「これは清潔なのか?」「間違って木っ端や土や葉を口に入れちゃわないか」「虫がいないか」と、脳のどこかでアラートが響く。


しかし、しばらくすると慣れてきてアラートは解除される。手当たり次第に果実をちぎり、口のなかにポイポイと放り込んでいると、なんだか荒々しく野性的な気分になってくる。

何本もの木や株を食べ歩いていると、甘くて味の濃い木と、そうでもない木が混在していることがわかる。ついつい園内をウロウロ歩き回り、より美味しい木を求めてしまう。「これはどうだろう?」と試しながら甘い木を引き当てたときの静かな歓喜。



何千年も前、狩猟採集時代に同じことをしていたような……祖先の記憶が呼び覚まされるような……これはDNAに刻み込まれている本能的行動なのか。まぁ、その時代にサクランボはないと思うが。

また、スーパーで買った果物を食べているとすっかり忘れてしまうのだが、野生の果物は生ぬるい。日当たりによっては温まっていると言ってもいいくらいだ。

初めて口にしたときの強烈な違和感! なんなら脳が「傷んでいる」と錯覚し、マズいようにさえ感じられる。ところが、慣れてきたときの「これこそが自然だ」という感覚。果物は冷やして食べるものという固定観念が覆る瞬間だ。

筆者も幼少期は道路端のツツジの蜜を吸うようなことは平気でしていたが(有毒種もあるため本当はやってはいけません)、それでもその辺になっている野菜や果物を「洗わず」「手づかみで」「気の向くまま」食べるような経験はそうそうない。

ばーちゃんちに行くと田んぼや畑はあったが「虫怖い」「土に触りたくない」「すぐ太陽にやられる」という軟弱な子どもだったため、あまり手伝った記憶もない。

果物狩りをしていると、スーパーで買った野菜や果物では忘れてしまう野性のようなものが戻ってくる感覚だ。

動物的……と言っては大げさかもしれないが、とてもワイルドな気分になる。そう、果物狩りとは「狩り」なのだ!!

ただし友人や恋人や家族の目があると、自己防衛力が働いておそらくホモ・サピエンスのカラを破れないので、とにかくひとりになることが大切だ。



・おひとりさまのススメ

もちろん「熟れるまで木になっているものは単純に新鮮で美味しい」「持ち帰り用に安く果物が手に入る」というメリットもある。むしろこちらが大人にとってのメインの目的だとは思う。

しかし、だまされたと思って一度ひとりで行ってみたり、同行者と別れて食べたりしてみて欲しい。新たな自分に出会えるぞ。


執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.