まさか自分がこんなにハマるとは思わなかった。興行収入300億円突破『鬼滅の刃』である。少年漫画は好きだが、年を重ねると夢中になるのが難しくなる。リアルな人生の苦楽を知ってしまうと、ちょっとやそっとのことじゃ感動しなくなってしまうのだ。

ところが『鬼滅の刃』は違う。本物だ。いま筆者は隔週で映画館に通っている。目的の半分は2週ごとに発表される入場者特典のためだが、通っているうちに気づいたことがある。それは観客の「涙の変化」についてだ。


・気づいたこと

公開から8週間も経つにもかかわらず、館内では必ずすすり泣きの声が聞こえる。すでにリピーターも多いと思われるのに、その声が減ることはない。

公開当初、すすり泣きの声が聞こえるのは終盤のクライマックスだった。物語の結末を考えると当然のことである。

ところが、週を重ねるごとに、ストーリーの序盤や中盤からも周囲の人が泣いている気配が感じられるようになってきた。これはどういうことだろうか。

コミックスの幕間からわかるように、それぞれのキャラクターには、漫画には描ききれていない膨大なエピソードがあることが知られている。なぜこの人物が、この場面でこういう行動を取るのか、作者の吾峠呼世晴先生の中には完全に一貫性がある。登場人物に、生きている人間と同じくらいの「深み」があり、物語全体が真実味をもって迫ってくるのだ。


また作品の魅力に、吾峠先生の卓越した言葉のセンスを挙げる声は多い。物語の最初から最後まで、何気ないシーンにも珠玉のセリフが散りばめられている。そのセリフの「背景」を知ったとき、涙がこみ上げてくるのは筆者だけではないだろう。それが「冒頭から泣いている観客」の理由だと思う。


筆者のような「にわか」が恐縮だが、無限列車編から名セリフ5選をピックアップ(セリフ表記は漫画版に準じる)したい。「心を燃やせ」「俺は俺の責務を全うする」のような、誰もが納得の名言は除いている。以下ネタバレがたくさんあるので、少なくとも劇場版を鑑賞済み、なんなら何回も見ているという方向けだ。


・「言うはずが無いだろう そんなことを 俺の家族が!!」(竈門炭治郎)

心の美しい人は、他人の心の美しさをも信じている。

日本人はとかく自分に自信がもてず、「嫌われている」「悪くいわれている」「こんな自分が好かれるはずがない」などと思いがちだが、それが相手の心まで疑っていることに普段は気づかない。

炭治郎のこのセリフは、決して自分に自信があるナルシストだからではなく、相手の心の清らかさを信じているから。「そんなこという人じゃない」と信じているからだ。

炭治郎の、相手を信じるぶれない思いが、いつも作品全体を貫いている。残酷な描写も多いのに、優しく温かい印象を受ける作品なのはそのためだと思う。

人と助け合うこと、信じること、逃げずに闘うこと、兄姉が弟妹をかばうこと、先輩が後輩を導くこと、家族が愛し合うこと……

現代社会でどこか欠落しているものを、この作品は思い起こさせてくれる。筆者は普段「最後に信じられるのは自分だけ」「世界は理不尽で満ちている」とわりと本気で思っているが、炭治郎を見ているとそんな価値観が揺らぐ。もっと真っ直ぐに生きたい、そう思わせられる。


・「戦え!!」(竈門炭治郎)

炭治郎が夢の中の自分に向かって叫ぶ場面。もとのセリフのよさもさることながら、声優・花江夏樹さんの名演もあって屈指の名シーンに。どちらかというと淡々とした筆致の原作だが、ここを声がかれるような絶叫にした劇場版の演出に震える。

炭治郎は「幸せな夢の中で死ぬ」ことと「つらい現実に戻って戦う」ことの選択を迫られる。普通の人間なら「このまま死んでもいい」となるところだろう。それなのに必死の形相で「戦え」と叫ぶ無意識の炭治郎。

大正の世ではないけれど、人生は困難ばかりだ。現実を直視せず、あきらめた方がラクなことがたくさんある。けれども「逃げるな」「最後まで戦え」、そういわれている気がして見ているこちらまで奮い立つ。先ほどが炭治郎の「優しさ」を象徴する場面とするなら、こちらは炭治郎の「心の強さ」を象徴する名シーン。


・「ツヤツヤのドングリやるから」(嘴平伊之助)

普段、作中で伊之助と禰豆子のからみは少ない。なにせ初対面では滅殺しようとしていたし、暴走しがちな善逸の前では伊之助の印象は薄い。そんな伊之助の夢の中に、ちゃんと禰豆子が仲間として存在しているのが非常に微笑ましい。

物事を難しく考えない彼のことだから、かなり単純化された禰豆子像だが「いろいろ教えてやらなきゃならないが、懐けばカワイイ生き物」なんて思っているようだ。

きっと喜ぶだろう、と疑いもせずドングリを差し出す伊之助の裏表のない優しさにもホワホワする。優しくされた人は、他の誰かにも優しくできるようになる。本人は否定するだろうが、「それが優しさだよ」と教えてあげたい! コミックス7巻の本体表紙(カバーの中)も必見である。


・「待機命令!!」(煉獄杏寿郎)

物語終盤、自身は生きるか死ぬかの死闘の最中にありながら、周囲の状況にくまなく注意を払い、瞬時に上官命令。

「命令」という言葉は、ときに強権的で一方的なニュアンスをもつ。しかも命令には責任が伴う。もしその命令が間違っていた場合、責めを引き受けるのが「上に立つ人」だ。

煉獄さんは意識もせずほぼ反射的にその言葉を発している。日頃からの決断力、行動力、信念、そして上官としての責任感に強く裏打ちされている。

後輩から頼られ、先輩として振る舞うことになんの迷いもなく、いざというときにはきっぱりと「命令」できる。煉獄さんの「上司として」「先輩として」のかっこよさが集約されている言葉だろう。


そんな「みんなから頼られる」煉獄さんが頼れる人は誰か……と考えるとちょっと寂しくなってしまうが、ラストシーンの子どものような無邪気な笑顔が印象的だ。

無限列車編は煉獄さんの1人の剣士としての物語であると同時に、1人の子どもとしての物語。厳しく優しい母から “愛された” 記憶が、彼を支えてきたことは明らかだ。


・「杏寿郎 死ぬな」(猗窩座)

激闘の最中、どこか寂しそうにつぶやく猗窩座のひと言。むろん攻撃しているのは猗窩座なのだが、本心からの言葉だろう。戦闘中にずいぶん多弁な理由は、人間が好きだから、と公式ファンブックで明かされている。

煉獄さんは瀕死の重傷を負いながら「苦しみからも痛みからも解放されて鬼になる」という選択肢を示される。その後の展開に胸が熱くなるのはいうまでもないとして、猗窩座は煉獄さんが延命を選び、自分の仲間になってくれることを(この時点では)心の底から願っていた。

猗窩座の背景が明かされるのはずっと先のことになるが、その心情や戦闘スタイル、強さへこだわる理由などを思うと切なくもなる。今後のアニメ化が楽しみでたまらない。


・「願い」の物語

いかがだっただろうか。便宜的に5つにしぼったが、選びきれないというのが正直なところである。何気ないひと言ひと言へ込められた思いを想像するだけでグッとくる。繰り返し見るほど、登場人物を知るほど逆に泣けてくるという稀有(けう)な映画である。筆者なんて、煉獄さんが牛鍋弁当を食べているシーンだけで「美味しくてよかった……」と泣きそうである。


個人的に『鬼滅の刃』は強い「願い」の込められた物語であると思う。

優しさが、なによりも尊い世界であって欲しい。強い人が弱い人を助ける世界であって欲しい。家族が愛し合う世界であって欲しい。そして叶うなら、死後の世界にも魂の救いがあって欲しい。

すべての登場人物、吾峠呼世晴先生、映画関係者、原作関係者、ファンに幸多きことを願う。この作品に出会えてよかった。


参考リンク:『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』公式サイト
執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.