【実話】伯母が創価学会にハマった話(2ページ目)

・突然の死

アメリカにいると思っていたマモル兄さんだが、実は日本にいた。数年前から新橋にある会社に勤めていたようで、当時の私の勤務先からは目と鼻の先。連絡をくれたのはマモル兄さんと同棲していた女性で、一報を受けた私の母が急遽私の携帯電話に連絡を寄こしたのだ。

あの日のことはよく覚えている。母と待ち合わせた千駄木駅に先に到着した私は「とにかく俺が落ち着かなきゃ」と自分に言い聞かせた。ほどなくして現れた母は、さぞかし動転しているかと思いきや意外と冷静な様子である。2人で言葉少なに日本医大病院へと急いだ。

やがて遺体の安置所に通され、マモル兄さんの姿を確認した母は「マモル! マモル! なんで!? なんでなの!?」と泣き叫びながら冷たくなったマモル兄さんの上に覆いかぶさった。傍らで母の体を支えながら私も泣いた。紫色になったマモル兄さんからの返事はない。

そこから1時間ほどが経っただろうか。ようやく落ち着きを取り戻した母とマモル兄さんの彼女、そして私の3人が言葉もなく安置所にいると、ようやく伯母が駆け込んできた。リアクション自体は母と同じようなもので「マモル」が「マーくん」に変わっただけである。

私は泣き叫ぶ伯母をぼんやりと眺めながら「あ、伯母さんはマーくんって呼んでたんだ……」と、どうでもいいことを考えていた。そういえば伯母とマモル兄さんが私の前で同じ空間にいたのは、後にも先にもこの1度きりである。マモル兄さんは亡くなっていたので正確には違うかもしれないが、私にとっては親子が揃った たった1度のシーンであった。

そこからマモル兄さんの遺産についてもひと悶着あったのだが、それも長くなるので省略。ただ1度だけ「いつかさ、いつかマーくんが迎えに来てくれるって、心のどこかで思ってたんだよね……」とこぼした伯母に、私は何と言えば良かったのだろうか? 10年以上経った今でも答えは見つからない。

・再スタート

さらに月日は流れ、いよいよ伯母の生活は苦しくなっていた。そんな時、母方の親族から伯母にウルトラC級の仰天プランが提案される。なんと生活が不自由になってきた父(私の祖父)と一緒に暮らせというのだ。

これは母の男兄弟2人の発案で、当時もこの2人はそれなりの財力があった。先述の通り、祖父は人でなしである。その祖父と一緒に暮らすのは色々とイヤだったに違いない。私だってイヤだ。伯母は男兄弟2人からの金銭的バックアップと引き換えに、祖父と暮らすことを決意した。

そのタイミングで伯母は長く住んでいた家を引き払い、埼玉県内で引っ越し。と同時に「リサイクルショップ兼ブティック」のような怪しげな商売を始めた。私からすれば「誰が来るんだよ……」的なお店であったが、一定の需要はあるらしい。伯母と祖父の新生活が始まった。

意外だったのは、伯母が甲斐甲斐しく祖父の面倒を見ていたことだ。よく母が「姉さんもお父さんにあれだけヒドいことされたのに、よくもあんなに優しくできるわよね」と言っていた通り、病院の送り迎えや身の回りの世話を伯母は一手に引き受けていた。

人でなしだけど生命力だけは恐ろしく強かった祖父は、入退院を繰り返しつつしばらく生きた。たまに会いに行けば伯母のことを愚痴っていたが、そのたび私の母に「お父さんみたいな人にここまで良くしてくれる人が姉さん以外にどこにいるのよ!」と一喝されていたものだ。

・伯母と創価学会

さて、いよいよ「創価学会」の登場である。伯母が創価学会の信者だとわかったのは、祖父の見舞いついでに伯母が営む怪しげなリサイクルショップ兼ブティックに出かけたときのこと。私の彼女(妻)と妹2人、加えて母の計5人だったと記憶している。

私的には欲しいものが1つもない店内にいると、そこに女性3人組が現れた。年代は伯母と同じくらいで、なんだか他愛もない話をしていたように思う。その女性たちが帰った後、私が「友達?」と聞くと、伯母はあっけらかんと「そう、創価学会の友達」と答えたのだ。

なんてストロングスタイルな解答だろう? あっけに取られる私に伯母は少しも引け目を感じる様子は無く「今度選挙があるから頑張らなきゃいけないんだよ!」と、むしろ張り切っていた

さらにはそのまま矢継ぎ早に「彼女にも公明党に入れるよう言ってくれよ。韓国人のために1番頑張ってくれるのは公明党なんだから!」と畳みかけてきたから驚くしかない。韓国人~のくだりの真偽はわからないが、自分に選挙権がないにもかかわらず、伯母は選挙に向けて燃え盛っていたのだ。

しばらく後、1度だけ「サンジュン、今度の選挙も彼女に言っておくれよ」的な電話があったが、それ以外に伯母から「創価学会」の気配を感じることはなく、私自身も「伯母 = 創価学会」の図式を忘れかけていた。


……のだが。


・祖父の葬式で

ついに祖父が亡くなった時のことである。葬儀会場に出かけると、人でなしの祖父にしてはやたらと参列客が多いではないか。「こんなに知り合いいたっけ?」と思ったのも束の間、お経(?)のパートに突入すると、私は知らないおよそ30人の面々が一斉にお経を唱え始めたのである!

それはオーケストラにも似た重厚な響きで、私は何が始まったのか一瞬把握できなかった。数秒後に状況を理解すると、今度は妙に笑えてきた。「じいさんは全然無関心だったのに、めっちゃ創価学会流で送られてるやん……!」と。

横に目をやれば、一心不乱にお経を唱え続ける伯母。なんだこの「絶対に笑ってはいけない葬式@創価学会スタイル」は……! 当然、信者さんたちは真剣に祈りを捧げてくれているのだろう。それはイイ。むしろありがたい。

……が、好き勝手生きてきた人でなしの祖父が最期の最期、縁もゆかりもない創価学会スタイルで送られるとは思いもしなかった。どの角度からも目立つ親族席に座る私が笑うワケにはいかず、私は笑いを噛み殺しつつお経が止むのを待ち続けた。

私と創価学会の直接的な交わりは、この1度きりである。そしてこの経験しかない私に創価学会に対する悪いイメージはない。むしろ(たぶん)見ず知らずの祖父に貴重な時間を割いてくだすって痛み入ります、というのが正直なところだ。

・甥っ子の立場から

おそらく伯母が創価学会の信者になった理由は、憧れていたとか理念に共感したとかではないハズ。ただ、引っ越した先で自分によくしてくれたコミュニティの人が創価学会に属していただけで、それが別の宗教でも良かったに違いない。伯母は寂しかったのだと思う。

また、甥っ子の立場からは「伯母と仲良くしてくれてありがとうございます」以外の感情は無い。それはそうだろう。隙間だらけだった伯母の心が少しでも満たされたのであれば、それが何であろうとイヤな気持ちはしない。他人様に迷惑をかけず、そして私が実害を被らない限り。

その後、私の母が亡くなり伯母ともすっかり疎遠になってしまった。祖父が亡くなり男兄弟からの経済的支援が受けられなくなった伯母は、私の父はおろか私にまで金を無心してきたため、率直に会いづらくなってしまったのだ。

男兄弟たちも経済的にヤバいと聞くし、とっくにあの怪しい「リサイクルショップ兼ブティック」は辞めているハズ。極端な話、生きているかどうかもわからないが、創価学会でも何でもイイ、伯母の心が少しでも満たされていることを願わずにはいられない。そう、やはり伯母は寂しかったのだと思う──。

執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.