ロケットニュース24の編集部に入る前、私(あひるねこ)はある国内メーカーで営業マンをやっていた。一般営業ではなく、既存の顧客を中心に回る、いわゆるルート営業だ。なので基本的にお客さんは固定されており、どんな人なのかも大体は把握していた。

これは今から10年以上前。私が新人営業マンだった頃の話である。研修を終え、先輩社員から離れて一人で訪問した取引先で、面識のある社長と何気ない雑談を交わしていたところ……突如として始まったのは、創価学会の日刊機関紙『聖教新聞』の勧誘であった──。

・客先にて

新卒で入社後、しばらくは事務所で電話を取ったり、先輩社員の営業に同行する日々が続いた。件の勧誘があったのは、たしか3回目の訪問の時だ。最初は先輩の同行。次は引き継ぎ時の挨拶。そして研修後、初めて一人で訪問したのが3回目に当たる。

社長は50歳くらいで、作業服を着た気のいいおじさんという感じの人だった。あれは19時頃だっただろうか。事務所を訪ねると、一仕事終えた様子の社長が出迎えてくれ、私たちはソファーに腰掛けて軽く雑談を交わした。

まあ雑談といっても、「どう? 少しは慣れてきた?」みたいな本当に些細な内容であったが、社長の明るく穏やかな雰囲気のおかげで、私もリラックスして会話できたことをよく覚えている。まるで親戚のおじさんと話しているような感覚だ。ところが……。

・異変

それは突然の出来事だった。おもむろに立ち上がると、社長は何かの用紙を持ってきてテーブルの上に広げ始めたのである。一瞬「新しい案件の資料かな?」と思うも、よく見るとどうやら新聞らしい。なぜに新聞……? すると次の瞬間、その新聞の名前が目に飛び込んできた。


『聖教新聞』


『聖教新聞』──。聖教新聞社が発行する宗教団体・創価学会の日刊機関紙である。名前は聞いたことがあるが、実物を見るのは生まれて初めてだ。へぇ、こういう感じなんですね~。……で、なぜ今『聖教新聞』が出てくるのか? この部屋で、これから一体何が起きようとしているのか?

そう、皆さんすでにお察しの通り、これは社長による『聖教新聞』の勧誘である。社長は私に新聞を見せながら、先ほどと何ら変わらぬトーンで自分たちの考えや思いなどを語ってくれた。いや、もしかすると、いつもより少しだけ優しい口調だったかもしれない。

ただ、この時の私は突然すぎる出来事にしばし呆然としてしまい、社長の言葉をムーディ勝山ばりに右から左へ受け流していた。おそらく困惑が顔に出てしまっていたのだろう。途中、社長が「あ、引いてるな~(笑)?」と笑っていたことを覚えている。

それ以外の内容については正直まったく覚えていない。結局、私は社長から「もしよかったら」と新聞を一部いただき、「また来ます!」と事務所を後にした。が、しばらくはビックリした状態が続いていた。怖いとか気持ち悪いみたいな感情は一切なく、ただただビックリしていたのだ。

・想像もしなかった

それまで私は、自分が宗教と関わることなんて未来永劫、絶対にないと思っていた。信仰を求めて自ら一歩踏み込まない限り、自分と宗教は今までもこの先も無関係であり続けると信じていたのだ。それだけに、勧誘の一件は私にとってなかなか衝撃的な事件だった。

創価学会や『聖教新聞』がどうというよりは、宗教が何の気配も前触れもなく、自分の半径1メートルの中にヌルっと入ってきたという圧倒的な事実。これに尽きる。しかも当の社長は、街中で出くわした怪しい人でも何でもない。どこからどう見ても普通のおじさんで、お互いに顔も名前も知っている仲なのだ。

その後、社長と話す機会はあっても、新聞の話題が出ることはなく、社長は私の前では変わらず気のいいおじさんであり続けた。私も上司や前担当の先輩社員には何も言わなかったと記憶している。そもそも、相談していいことなのかどうかも私にはよく分からなかった。

きっと自分が知らないだけで、この世界には至るところに宗教が存在しているのだろう。まあそのこと自体は良いとも悪いとも思わないが、何となくでも知っておくことは重要な気がしている。当時、若造だった私はとても驚いたが、今にして思えばあれは貴重な体験だったのかもしれない。

執筆:あひるねこ
Photo:RocketNews24.