私(佐藤)も気が付けば、生まれてから45年が経った。社会人になった頃は、当然20年も先の人生を見越すようなことは出来ず、45歳になった自分のことなど、1ミリも想像していなかった。たぶん、金持ちになって海外で暮らしているだろうというような、相当甘い見通しだったと思う。

そんなバカみたいな夢を見ていた頃は、大人たちに「若いから何でもできる」と言われるのが嫌で嫌で仕方がなかった。だがしかし、実際に自分がその歳になるとわかる。歳をとると出来ないことが増える。いや正しくは、出来ないことが増えるのではなく、「出来ないこと」と向き合えなくなるのではないだろうか? 私はそんな風に考えるようになった。

・学びの機会がグッと減る

人にもよると思うが、40代くらいになると仕事もそこそこ落ち着き、長く勤めていれば、多少責任ある立場にもなってくる頃だろう。20・30代に比べると新しいことに挑戦する機会も少なくなって、自発的に学習の機会を持たなければ、日常から学べることもグッと減ってくる。

少なくとも、私の場合はそうだ。今の仕事に就いて10年。初期の頃に比べれば働き方を心得えて、仮にトラブルがあったとしても、対処の仕方を経験から学んでいる。

出来ないことよりも、出来ることの方が多い。10年20年と社会経験を積むと、そんな風に思っても不思議ではない。むしろ自信につながっているところだろう。


・ポールを通して学んだこと

問題は、そんな心持ちで出来ないことに遭遇した時に、どうするかだ。私の場合は、ポールダンスのレッスンや練習から、出来ないことに遭遇することがよくある。

最初にぶち当たった壁が柔軟性だ。最近の記事でも紹介したが、地道にストレッチを重ねることによって、何とかその壁と向き合うことが出来ている。


まだまだ身体が柔らかいとは言えないが、それでも日々、少しずつ少しずつ柔らかくなりつつあるように思う。日常の変化は、ほとんど思い込みのレベル。「あれ? 柔らかくなったかな?」と思う程度の変化を毎日積み重ねて、次第に前後の開脚も伸びるようになってきた。


・越えられない壁

しかし、高い高い壁はいくつも待ち構えている。もうすぐポールを始めて3年とはいえ、まだまだ初心者の部類。だから当然なのだが、その壁の高さにしょっちゅう心が折れている。たとえば、2年前に目標に掲げた2つの技「アームホールド」と「二ーホールド」だ。


アームホールドは逆さまになった状態で片肘をかけ、もう片方の手でポールを支えながら、脚を離す力技である。


練習中に1度落下したトラウマからすっかり怖くなって避けてきたのだが、最近になってやっと少し出来るようになった。問題はもう1つの技の方だ。


・出来なすぎて心が折れるニーホールド

二ーホールドは、片方の脚の腿裏をポールにかけた状態で、もう一方の膝で身体を支えながら、手を離すトリックである。


直近の練習でもニーホールドの姿勢に入ると、支えにしている膝が痛いのに加えて、未知の技に挑む怖さで「ウウーーー!」と野人のようなうめき声を上げてしまう


事後に撮影した映像を確認してみると、恐怖にひきつった顔は完全にアントニオ猪木氏だった。


それでも恐怖に耐えながら、ギリギリで姿勢を整えて、勇気を出して手を離してみる。


誰かに助けを求めるように、撮影用のカメラに視線を向けた後……。


バランスがとれず、あえなくマットに落下する始末である。


悔しくて、半べそかきながら「チキショーッ!!」と叫ぶのが、今の私にできる精一杯だ。



・誰も期待していない

なんでこんな怖い思いや痛い思いをしてまで、この技を練習しなければいけないのか? これが出来る必要はあるのか? もしかして、出来なくても困ることはないんじゃないか? そもそもコレを出来るようになることを、誰が期待しているのか?


そうだ、誰も期待していない


たまたま運動に目覚めたオッサンが、技をひとつ出来ようが出来まいが、そんなこと誰にも影響しないのである。俯瞰して物事を見てみれば、スタジオで1人苦しむオッサンがいるだけ。それなのに、何を自分は悔しがる必要があるのか?


そんな風に考えることも出来てしまう。出来ないことを止める理由を、合理的に導き出せてしまう。出来ないことと向き合わない方法を知っているのだ。避けて通る道を、いくらでも生み出せる。それが歳を重ねた証だと思う。


「若いから何でもできる」、出来ないことと向き合うことさえできる。だから、20歳の頃に、年長者たちは私にそう言ったのかと、今になって気づいた。この歳になると、残念なくらいに、逃げる方法を知っているもんなんだよな。

さも合理的な理由を見つけて、「人が悪い」とか「環境が悪い」とか「そもそも自分には向いていない」とか「今日は調子が悪い」とか。そんな自分にうんざりして、もう出来ないことと向き合えないのか? と軽く失望したりする。

結局失望しながらでも、出来ないこと・苦手なことを直視することからしか始まらないのだろう。若ければ、無邪気に挑めるんじゃないか。そう思えてしまう。


・君ならできる

気が付けば、私も年下の人間に口にしている。「若いから何でもできるな」って。ひやかしではなく、うらやましい気持ちも半分手伝って、口に出してしまう。でも、どうか頭の片隅に置いておいて欲しい。

「うるせえ、オッサン」と思いながらでも、出来ないことと向き合って、それを超えて行って欲しい。君には出来ることがたくさんあるんだから。何でもできるよ。

Report:佐藤英典
Photo:Rocketnews24