「ウィーン」といえば?
「少年合唱団!」と反射的に答えてしまうことに、世代差はないと信じている。それほどに「ウィーン少年合唱団」の知名度は高いが、実情を知る人は少ないのではないだろうか? 私とてせっかくのウィーン旅行に「少年合唱団が見たい」と思ってはみたものの、はてどうしたものか見当もつかぬ。
未成年の就労には厳しい世論だ。「少年」がバリバリとコンサート活動にいそしんでいるとは考えにくい。あるいは少年とは名ばかりで、実は「少年っぽい青年or中年」の可能性も……? 調べるうちに “ウィーン少年合唱団が礼拝堂のミサで歌うらしい” という情報を掴んだ。しかも「先着順で無料」とある! よ〜し、行列ならまかしとき!
・ウィーン綺麗すぎてウンザリ問題
オーストリアの首都・ウィーンはモーツァルトを輩出したことで知られる “音楽の都” だ。オペラ座の前などを歩けばモーツァルトのコスプレをしたおっさんが「モーツァルトあるよ!」「モーツァルト安いよ!」と、しきりにクラシックコンサートのチケットを売りつけようとしてくる。
この金額でオペラ座を観られるなら安いか……と購入しかけると、「会場は1km先ダヨ!」とか言い出すパターンが多いので注意だ。何にせよクラシックが相当身近な国であることに間違いはない。
前情報によると礼拝は9時15分から。2時間前の到着を目指し、薄寒い明け方の街を歩いてゆく。
ウィーンの街は綺麗だ。右向いても左向いても、とにかく全ての造形が美しい。最初のうちは「うわぁ〜! きれ〜い!」といちいち感動するのだが、だんだん感動するのに疲れてしまう。街を歩くだけでこのありさまなのだから、美術館や教会などに行けば大変だ。目に映る全てが「今から神、降臨すんの?」レベルの豪華絢爛さ。まさに美のハイパーインフレ状態。
しまいには「この建物綺麗だけど、さっきも綺麗だったしもういいや……」となってくるので、美しすぎるのも考えものである。
・目的地は王宮礼拝堂
礼拝が行われるのは、あやうく舌を噛みそうな「Hofburgkapelle(ホーフブルグカペレ)」。王宮礼拝堂である。
王宮内へ立ち入るだなんて「捕まるんじゃないか」と若干不安になるが……大丈夫みたいです。
ウンザリするくらい立派な王宮の広大な敷地を進んでゆく。
どこまで進んでも綺麗すぎて「もう、分かったから」ってなる。
オーストリアなのにその名も『スイス門』という門が目印であるらしい。
7時40分、ようやく礼拝堂に到着! だーれもいない! 一番乗りだァ!
付近にはいくつかの入り口があり、どれも固く閉ざされていた。若干不安ではあったが、一番それっぽい門の前をガッチリと陣取る。
そのわずか10分後には2番手の客が登場した。立ち見であるため正確な収容人数は不明だが、体感だと200〜300人といったところであろうか。この日は満員とならなかったけれど日によるのだろうし、何より後ろの方は見づらいはずだ。できることなら1〜2時間前に並ぶことをオススメする。
・日本人多すぎ問題
5組ほどが並び始めたころにドアが開き、スタッフの人から「並ぶのはここじゃないよ」と告げられた私は国際的な赤っ恥をかいた。
どうやら正解は「いかにもそれっぽい扉の手前にある扉」だったようで、これから行く人は注意してほしい。しかし後から順番を取られるようなことはなく、おかげで後ろの人たちとコミュニケーションを取れたのでいっそ間違えてみるのもアリか。
行列はどんどん長くなっていく。お金を払って席を購入している人も合わせると、全体の3分の1ほどは日本人なのじゃないかと思われた。みな小脇に同じガイドブックを抱えており、このことが紹介されているのだろう。やはり日本人にとって「ウィーン少年合唱団」は特別な憧れの対象なのだ。
しばらくすると建物内に入る少年達が現れ、行列はさながら「アイドルの入り待ち」状態と化した。
定刻になるとドアが開き、そこからは我先にと猛ダッシュである。無料であるにもかかわらず「0ユーロ」と印字されたチケットをもらった。最前列のセンターゲットだぜ!
厳かなムードにつつまれ、礼拝はスタートした。どこからともなく澄んだ歌声が聴こえてくる! クゥ〜! なんともニクい演出……これは「歌いながら登場パターン」か……!?
・まさかの展開
アレレ……? 澄んだ歌声は聴こえてくるものの、いつまでたっても少年団は登場しない。礼拝は進んでゆき、言葉は分からないが神父とおぼしき人が何かを読み上げている。その合間にまた澄んだ歌声……アレレレレ……?
少年団は!?
声にならぬ声で必死に周囲を見回す私。見かねた隣の日本人がそっと、衝撃の事実を知らせてくれた。
「少年団は登場しないのだ」と……。
今になれば「そりゃそうだ」と思えるが、当然ながらこれは礼拝である。メインはあくまでも「神への祈り」であって、いわば “BGM” として少年団の歌は存在しているのだ。よって少年団は姿を見せない。見えない位置で控えめに歌っているというワケなのである。
私は礼拝をコンサートか何かと混同していた自分を恥じた。前方を見れば熱心に祈る信者の方々。「少年団が見たい」などと不純な気持ちを抱えているのは、おそらく会場内で私1人だったに違いない。
パウロのごとく改心した私はそこからメモを取り始めた。キリスト教徒でもない私が急に「アーメン」とか言ったって仕方のないこと。ならば私がするべきは、この出来事を皆さんにお伝えすることである。「礼拝中は撮影禁止」と言われていたため、礼拝の様子を必死に書き留めた。それが私にできる精一杯の祈り……
……するとどうだろう。少年団の歌声が、先ほどよりさらに澄んで聴こえてきたではないか。変声期前の少年にしか出せぬ高音は、いつか失われてしまうものだ。それを神に捧げようという、なんとも粋な信仰心。本人の姿なんてどうでもいいことである。これこそがホントの「天使の歌声」なのではないか。目を閉じて聴き入る私の目からは、いつしか涙がこぼれていた……。
・せやけどやっぱり見たいんじゃい
1時間ほどのミサが終わると、思わぬサプライズが待っていた。なんと少年合唱団が壇上に登場したのである! するとその直後、私はさらに衝撃的な光景を目にすることになる。
先ほどまで厳かに祈っていた信者たちが一斉にカメラを取り出し、パシャパシャと少年たちを激写し始めたのだ!
みんな、やっぱ見たかったんじゃ〜ん!
どうやらサービス的な意味合いで登場しているらしい少年合唱団は、サラリと1曲歌い去っていった。会場のボルテージは爆上がりである。見られなくたってありがたいけど、見られたらもっとありがたいもの……それがウィーン少年合唱団。次はお金を払って観にいこうと心に誓った。コンサートの起源って、もしかするとこういうことだったのかもしれない。
Report:亀沢郁奈
Photo:RocketNews24.