麻原彰晃の風貌、サマナ服を着た信者、不気味なヘッドギア、地下鉄の出口付近にうずくまる人々と駅構内に突入する自衛隊……。「オウム真理教」と聞くと、これらのイメージが自動的に浮かんでくる人は今でも多いかと思う。

まさに私もその1人で、地下鉄サリン事件から23年が経とうとしているにもかかわらず、あの時テレビで見た映像はまだ記憶に焼き付いている。そして……私にとってもう1つ忘れられないのが、井上嘉浩(よしひろ)死刑囚の恩師が発した “あるひと言” なのだ。

・井上嘉浩とは?

知らない人のために簡単に説明すると、井上嘉浩は元教団幹部で、諜報省の長官をつとめていた人物。ホーリーネームはアーナンダ。一連のオウム事件で死刑が確定した13人の中の1人である。

・同じ高校だった

ここで個人的な話になって恐縮だが、そんな井上嘉浩死刑囚と私は同じ高校に通っていた。年齢は井上死刑囚の方が12才上なので、実際に私が井上死刑囚と接したわけではないものの、私のクラスで授業をされた先生達の中には「昔、生徒の1人が井上嘉浩だった」という方もいたのである。

ちなみに、地下鉄サリン事件が起きたとき私は中1。高校に入学した頃はオウム報道がすっかり落ち着き、色々な事実が明らかになっていた頃だ。なので、多くの生徒が「ウチの高校から井上嘉浩が出た」ことを把握していたのではないだろうか。

・当時を知る先生

もちろん私も入学前から知っており、年配の先生が教壇に立たれると、「この先生は、高校時代の井上嘉浩を知ってんのかな?」と気になったりしたものだ。そして、その先生が「知ってる」と判明しようものなら、私を含めた少なからぬ生徒が「井上嘉浩のエピソードを聞かせて」という気持ちになっていたように思う。ただし……

「知ってる」先生達の心境はやはり複雑だったようで、「井上は大きな罪を犯した」という気持ちがある一方、「道を誤る前に何とかしてやれんかったのか……」という思いもあったのだろう。生徒達の “期待” に応え、井上エピソードを雑談のネタとして話しまくる先生は(私が知っている限り)1人もおらず、中には何とも言えない悲しそうな表情を見せる先生もいた。

なので、私が聞いた「知ってる」先生達の意見を大まかにまとめると、「あんなことをするヤツとは思えんかった」とか「真面目な子やった」といったところであり、断片的な情報として「空手をやってた」とか「高校生の頃から宗教に関心が強かった」などの話がポツポツと飛び出す程度。

・忘れられないひと言

それらの数少ないエピソードのなか……1人の先生がチラッと話したひと言を、私は今でも忘れられない。その方はかなり年配のおじいちゃん先生で、隠しきれない大らかさが厳しさの中から滲み出ているような人。ある日、何かの拍子で井上嘉浩死刑囚の話がチラッと出たとき、その先生は「普通の真面目な子やった」的なことを前置きした上で、こう呟いたのだ。


先生:「井上は、椅子の上で座禅を組みながら、授業を聞いたりしとったなあ」


──椅子の上で座禅……。どうやら座禅を組む時にする本気のあぐら、あの姿勢で、高校生の井上少年は授業を聞いたりしていたという。全ての授業でその姿勢だったのかは分からない。「時々やる」という程度だったのかもしれないが、クラスの中で1人座禅を組む生徒がいる授業……。

その光景を想像すると、正直に言って「井上少年は浮いていたのでは!?」と思わなくもない。ただし、真面目かどうか言うと、ものすごく真面目だったような気もする。むしろ、真面目すぎると言うべきか。ガチガチと言うべきか。何かが硬直していると言うべきか……。

・なぜ印象に残ったのか?

誤解しないで欲しいが、だからといって私は「高校時代の井上嘉浩は超ヤバイ奴だった」的なことを言うつもりはない。そもそも、先述の通り私は実際に会ったことがないのだから。それに、高校生なら誰しも「今から思うとありえないこと」の1つや2つをやってしまうものではないだろうか。

私が言いたいのは、あの時おじいちゃん先生の口からポロっと出たひと言が、今も記憶に残っているというだけである。なぜ? ──と聞かれると難しいのだが、もしかしたら……椅子の上で座禅を組みながら授業を聞こうとするメンタルに共通する部分が、「自分の中に全く無いとは言えない」と思ったからなのかもしれない。

執筆:和才雄一郎
イラスト:稲葉翔子