【本人降臨】独創的アーティスト「平沢進」は何を考えながら作品を創っているのか?(その3)
質問18:今回のライブでは、『鉄切り歌(鉄山を登る男)』のサビを一部歌唱せず、オーディエンスに歌わせるという演出がありました。平沢さんにとってはかなり珍しい演出ではないかと思いますが、どのような気分で聞かれていましたか?
A:イヤホン・モニターをしてスポットライトを浴びている状態は、観客が見えない、聞こえない状態です。私は歌うなとは一度も申し上げておりません。また、歌えとも申し上げておりません。どうぞご自由に。
質問19:観客からは、『オーロラ』と『橋大工』が聴けた2日目が「神回」という声が多いですが、平沢さんの中で一番スムーズに進行した、あるいは満足された日程はいつですか?
A:連日自分には反省点があり、一概に自己評価はできません。また、舞台は総合ゲージュツですから、私だけOKでも成立しません。
質問20:平沢さんは、一つの曲に色んな顔を持たせることに非常に長けていらっしゃると思います。一度世に公開し、イメージの定着した曲に手を加えるのは、実は勇気のいることなのではないかと思うのですが、いかがですか?
A:私の知るかぎり、80年代以降、特にニューウエーブのアーティストにとってリミックス、リメイクは自然な行為で、リスナーもその価値を理解しているはずです。それを行うか、行わないかにかかわらず自らの形態を壊すことのできない音楽は退屈な場合があります。
質問21:平沢さんにとって、しぶき高きアドレナリンがコロナ状に輪を描くのはどんな瞬間ですか?(平沢さんのテンションがあがるのはどんなときですか?)※とある楽曲の歌詞より引用。
A:私はリスナーの歌詞解釈について「それは間違っている」とは言わない姿勢を維持していますが、その解釈は間違っています。
──というわけで、以上が平沢さんによる一問一答。(私は歌詞の解釈を完全に間違えていた。)
回答の一つ一つに、迷いやブレを感じないのは私だけではないだろう。一貫性のある、確信ともいえる考えをお持ちの平沢進さん。その信念はブレることなく、ご自身の活動全体で貫かれている。実際に、平沢さんの楽曲はいつの時代の曲も色あせて感じない。正直、十数年前に作られた曲も、「最近の曲だ」と言われればそう聞こえるほどだ。
好むと好まざるとにかかわらず、自身の脳裏に発生した物語や世界観を表現するために、日々 様々な演出方法を生み出しているということ。その結果としての、リスナーの反応であり、また社会の評価であり、それはリスナーを喜ばせるためでもなければ、近未来を見据えているわけでもない。全ては結果論、とのことだ。
“音楽使い” 平沢進の作品や活動は、こうした考えのもとに展開されている。ほんの一部を垣間見たに過ぎないが、今回のインタビュー内容を踏まえて楽曲に触れてみよう。知らなかった人は感嘆するかもしれないし、知っていた人も、今までとは一味違った世界を感じるかもしれないぞ。
Report:DEBUNEKO
Photo:RocketNews24.