私が「心筋梗塞」になったのは、5月のとある日曜日のこと。朝起きると同時にかつてない胸の痛みを感じました。当日は私1人だったため、何とか救急車を呼ぶまでの話は以前の記事でご覧いただいた通りです。

さて『実録 心筋梗塞になりました』の第2話は、病院に運び込まれてから手術が終わるまでの様子をお届けすることにしましょう。ところでみなさんは「カテーテル手術(検査)」って聞いたことがありますか?

・おぼろげ

まず断っておくと、救急車で運ばれてから手術が終わるまではとんでもなく胸が苦しく「息も絶え絶え」だったことをお伝えしなくてはなりません。

全身麻酔ではなかったんですが、苦しさのあまり記憶もおぼろげであることをご理解ください。でも大丈夫、職業柄ポイントは結構しっかり覚えてますので。

・総合病院へ

さて、私が運び込まれたのは地域では最も大きく、全国的な知名度も高い由緒ある総合病院でした。娘の出産も、娘が骨折した際も、こちらの病院でお世話になっています。

救急車で運び込まれた直後、私はMRIなのかCTなのか とにかく大きなマシンで検査を受け「何が原因なのか?」を探られていました。後にお医者さんに聞いた話では「大動脈解離」なども疑われていたそうです。

ハッキリ「心筋梗塞」だと判明したのがいつかはわかりませんが、胸やら首筋やらにジェル(?)を塗りたくられ、ローラー的な器具でグリグリ検査をされていたことはよく覚えています。

その間、何度も何度も何度も「お名前と生年月日をお願いします!」と問われていましたが、あれは意識レベルを確認していたんですね。「パクサンジュン、1978年1月10日です」と何度も何度も繰り返しました。

・とにかく痛い

この間、ずっとずっと胸は激しい痛みに襲われており、何度かに分けて痛み止めも投与されました。これも後から聞いた話ですが「モルヒネ」も2度投与されたそうです。

痛み止めの効果は「ちょっと効いたな」ということもありましたが、すぐに胸の痛みが勝った印象。少なくとも私の場合は、モルヒネでも抑え切れないほどの強烈な痛みでした。



・心筋梗塞とは

ここから先は、私が病院で先生に説明していただいた内容をもとに「なるべくわかりやすく」書いています。専門家による厳密な医学解説ではないことをご理解ください。

さて、私を襲った「心筋梗塞」とは、心臓の筋肉に血液を送る冠動脈が詰まってしまう病気のこと。血が送れなくなると心筋(心臓の筋肉)は壊死してしまうらしく、とにかく素早く詰まってしまった血管を通すことが重要のようでした。

冠動脈は大まかに「右冠動脈」「左前下行枝」「左回旋枝」の3本があり、先生によると「2本が詰まりかけている」とのこと。ここからはなされるがまま左手首に麻酔が打たれ「カテーテル手術」が始まりました。

・カテーテル手術

カテーテル手術とは、手首や足の付け根の血管から2mmほどの細い管(カテーテル)を挿入して行う手術のことで、メスで開胸や開腹をしなくていいことが特徴。その分、体への負担が相当少ないそうです。

モニターを見ながらのカテーテル手術が始まって何分くらいが経過したでしょう? とにかく胸はずっと痛かったんですが、手術中にハッキリと覚えていることがあります。

手術中、何度か先生に「1本通ったら楽になりますからね」と声をかけられていたんですが、先生が「はい、通りました」と仰った瞬間、本当に本当に胸の痛みがスッと消え去ったのです。

それは100の痛みが50になるなんてレベルではなく「100が3になる」くらいの劇的な変化。数字はあくまで私の体感であるものの「さっきまでの痛みは何だったのか?」と感じてしまうほど、痛みが消えていきました。

先生に「もう1本は別日にやりましょう」と声をかけられた私は、そのまま「集中治療室」へ。朝7時に異変を感じ、8時に緊急搬送され、12時前に手術が終わりました。



・幸運

変な言い方になるかもしれませんが、胸が痛くなってから12時間後の19時にはピンピンしていたので「カテーテル手術の負荷の少なさ」を骨身にしみて感じた次第です。開胸手術ならこうはいかなかったことでしょう。

なので「カテーテル手術をしてもらえる病院」に搬送されたことは、後から考えるととても幸運でした。これまでカテーテル手術とは無縁の生活でしたが、医学の進歩に感謝の念を禁じ得ません。

……と、今回はここまで。次回は「なぜ私は心筋梗塞になったのか?」を中心にお話したいと思います。

執筆:P.K.サンジュン
Photo:Rocketnews24. ※院内の写真は病院に許可をいただいて掲載しています