SNSが非常に騒がしかった。
私とは縁遠い業界なので特に興味もなかったのだが、いつの間にか在日韓国人に関する話へ。
その中でも、特に「通名」についてはモヤッとする内容が多く見受けられた。
まあ、通名なんて所詮は他人事。真剣に考えたことが無けりゃそりゃそうか。
というわけで、僭越ながら在日韓国人である私が思う「在日韓国人が通名を使い続ける理由」を説明してみたい。
・モヤッと
私がモヤッとしたのが「韓国籍なら本名を名乗れ」「通名は偽名」「日本名を名乗るなら帰化しろ」といった類の内容だ。
そういう意見があるのは構わないが、あまりにも一方的過ぎるのでは? というか、その方たちは通名と真剣に向き合ったことがあるのだろうか?
この手の記事を書くのは膨大なエネルギーが必要なのだが、ここは気合いを入れて通名について触れておこう。二度と執筆することがないことを祈りつつ。
以下の内容は、在日韓国人として46年間生きて来た私の意見であり、もちろん私だけの主観。在日の総意でも無ければ、当サイトの総意でもない。
ただ、私は「名前」や「通名」と真剣に向き合った時期がある。以上のことを踏まえてご一読いただければ幸いだ。
・通名なし
……と、その前に。
私自身は祖父が韓国から日本にわたって来た在日韓国人の三世であるが、私自身に通名はない。生まれてこの方、ずっと朴相俊(パク サンジュン)だ。
父は松本、母は完山(さだやま)という通名を持っていたが、私と2人の妹は「朴」以外の名字を使用したことは無い。
※ ちなみに高校までは朴を「ボク」と読んでいた。ボクはボクでややこしくて煩わしかった。「ボク サンジュン」ですから。
・きっかけ
さて、まずは通名のきっかけの1つ「創氏改名(そうしかいめい)」ついて解説したい。
ご承知の通り、日本は韓国を統治していた時代があり、その中で執り行われた政策の1つが「創氏改名」だ。
そこで初めて金だったり李だったり朴だったりした朝鮮人が、日本風の名前を持つようになったのである。
創氏改名の話になると「強制はしていない」「むしろ朝鮮人が望んでいた」という声がある一方で「名前を奪われた」「強制された」との声も挙がる。
重要なのは「事実として朝鮮人が日本名を名乗るきっかけがあった」ということ。
それにより、私の祖父たち(時代的には曽祖父のときかも)も「松本」や「完山」を名乗り始めたワケだ。
・二代目以降
つまり、例えば昨日まで「アン・ジョンファン」だった人が「山田太郎」になったということ。
きっと前向きな山田太郎さんもいれば、悔し涙を流す山田太郎さんもいたのだろう。
今回触れたいのはむしろ二代目から。
アン・ジョンファンだった山田太郎さんが、生まれて来た子供に「山田次郎」と名付けたとする。当然、次郎くんは次郎くんとして生きて行く。
ごくごくあたり前のことだが、人間は生まれた瞬間に自分の名前を決められない。
名前は親からの授かりものであり、本人の預かり知らないところで次郎くんとしての人生は始まっているのだ。
・ギフト
もちろんその名前だって親が適当に考えたワケではない。
子の未来を想い、
願い
祈り
望み
案じ
託す。
子供が親からもらう最初のギフトが名前だ。
・始まっている
そしてどんな名前であろうと、次郎なら次郎と名乗り、周りから次郎と呼ばれていればいつしか愛着が湧くもの。
私も「相俊」に愛着があるし、あなたも名前を声に出してみて欲しい。ね、愛着あるでしょ?
要するに「ルーク」も「レイア」も「サンジュン」も、名前とは本人の意思とは無関係に始まっているものなのである。
それが通名であろうと、次郎くんが「次郎」と名付けられて生きてきた以上、次郎くんは次郎なのだ。
なので、日本統治が終わった段階で「もう次郎じゃなくてええで」と言われても、次郎くんはポカン状態。
太郎さんはジョンファンに戻せばいい。ただ次郎くんは当然として、その子供の三郎くんや孫の四郎くんはどうだろう?
通名を選択し続けることは名前への愛着もさることながら「次郎としての歴史」があるからだ。
それを周囲が「本名にしろ」などと言うのはナンセンスでしかなく、親からのもらい物であれば「ほっといたれ」というのが私の意見だ。
原則、通名を使い続けているのには個人や家庭の歴史があり、外野が安易に「ああしろ」「こうしろ」と判断できまい。
あなたは「選挙の日はうちじゃなぜか投票行って外食するんだ」というよそのご家庭に「やめろ」と言うだろうか?
ましてや互いにとって悲しい歴史が絡んだ「名前」についてである。私ならそのご家庭の判断を尊重したい。
・変わっていってもいい
ただし、これは私が生を受けてからの話であり、将来的な議論があってもいいと思う。
例えば「これから生まれてくる子は通名なしね」とか「日本風の名前にするなら帰化してね」とか。
また「特定の人だけが通名を持てるのは不公平」という意見もあるが、誰もが通名を使える議論があってもいいだろう。
ついでに言っておくと「改名」については「真剣に考えたことがないからわからない」というのが正直なところ。
改名したいと思ったことも無ければ、改名した知り合いもいないため、サンプルが極端に少ないためだ。力不足ですません。
・私に通名がない理由
ちなみに興が乗ってきたので父に連絡し「通名を名付けなかった理由」を聞いてみることに。
戦後まもなく生まれた父は「松本 良男(まつもと よしお)」として生きており、大学を出るまでその名前だったそうだ。
父いわく、私や妹に通名を付けなかった理由は、
「通名を付けたところでお前の血は韓国人なんだし、これからの時代なら大丈夫だと思った」
……とのこと。
祖父は理由あって父に「松本 良男」を名乗らせ、父は理由あって私に「朴 相俊」を名乗らせた。
我が家はややイレギュラーだと思われるが、通名を使い続けるご家庭も要は同じことである。
私が思うに在日韓国人が通名を使い続ける理由は、
親が「子供にどう生きて欲しいか?」の積み重ねであり、それぞれの家庭が我が子の最善を祈って紡いできたから。
また勝手に名乗り始めたワケではなく「創氏改名」というきっかけの1つがあるのだ。
ここで蛇足だが、代々通名を使用してきた在日韓国人の方には「東京での生活を中心にしてきた私は、韓国名でも意外とイケたよ」とだけお伝えしておく。
46年間「サンジュン」でやって来たが、マジで意外とイケます。ただ、これからの時代はどうなんだろうなぁ~?
・先回り
なお、この手の記事を公開すると四方八方から矢が飛んで来るので先回りしておく。
まず、私が帰化しない理由は「面倒くさいから」で、せめてパスポートくらい簡易的なら今日にでも帰化していい。
帰化の話題になると「戦争になったらどうするの?」と言われるが、答えは「娘を守るためなら韓国人相手でも日本人相手でも戦う」だ。
それは私の国籍がこのまま韓国であれ、いつか日本になることがあればその時もそう。ちなみに娘は熟考の結果、日本籍である。
もちろん帰化した場合でも私は「朴 相俊」として生きて行くし、それは誇りうんぬんではなく「サンジュン」に愛着があるから。
若い頃、2年ほど韓国に留学したこともあるが、当時は本当に韓国がイヤだった。「あ、俺は日本人に近いのね」とよくわかった。ただ悔しいかな、メシはウマかった。
なので、今は昔ほど韓国がイヤではないにせよ「韓国人としての誇り」なんぞこれっぽっちも持ち合わせていない。これっぽっちもだ。
ただし、日本社会でマイノリティの在日韓国人として「46年間、面白おかしく生き抜いてきたこと」にはちょっぴりだけ誇りがある。
あからさまな差別を受けたことは無いが、マイノリティゆえの孤独が無かったワケではない。
・まとめ
当然ながら日本が好きである一方で、最近は「外国人は日本好きをアピールしないといけない息苦しさ」を感じていることも事実。
日本は好きだけど、日本人でも日本の全部が全部好きなんてあり得るのだろうか?
こういうことを書くと「イヤなら出ていけ」と言う人が一定数現れるが、そりゃ日本は好きに決まってる。
話は逸れたが、通名についてネガティブな話題を見かけるたび、私は「ほっといたれや」と思っている。
在日韓国人が通名を使い続ける理由は、親が「子供にどう生きて欲しいか?」の積み重ねであり、それぞれの家庭が我が子の最善を祈って紡いできたからだと私は思う。
最後になるが、これはあくまで私個人の主観であることをもう1度お伝えしておく。
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.