毎年私(佐藤)はこの時期になると、幕張メッセを訪れる。お気づきの方もいるかもしれないが、私は2013年から毎年(21年は中止、22年は会場に行ったけど入れなかった)、国内最大規模のカスタムカーの祭典「東京オートサロン」に行っていた。
が! 今年は行かなかった、いや行けなかった……。私のレポートを楽しみに待っていた方も多数いるかと思う。ご期待にそえずに大変申し訳ない。これには深い理由があるのだ……。
・私を本気にさせた
私が最初にオートサロンに行ったのは、先にも述べたように2013年のことだ。13、14年と比較的大人しい記事を書いていたのだが、2015年からもっと感度の高い記事を書くべきだと決断し、自ら被写体になってレポートするようになった。そのきっかけは、ドレスアップパーツメーカー「ギャルソン」のブランドの1つ、『D.A.D(デーアーデー)』にある。
同社がブランドアイコンのひとつにしている「クリスタルベンツ」を目の当たりにして、「私も輝かねば!」と思い、自分の存在を前に出すようになった。
それから2018年までの4年にわたってブースを訪れて、スタッフの懇願して乗車させて頂くに至っている。
2019年にクリスタルベンツの展示がなくなり、2020年に出展さえしていなかった。今年はどうだったのだろうか? 私はこの目で確認することができなかった。
もうひとつ、オートサロン取材を全力で臨むようになったきっかけが、編集長GO羽鳥だ。いつの年だった忘れたが、私はオートサロン取材に関して、「手間がかかるんだよなあ」とボヤいたことがあった。それを聞いた羽鳥は激怒。
羽鳥「手間をかけるのが仕事だろ。惜しんでどうすんだよ!」
普段は穏やかな人柄で、時々優しすぎるんじゃないか? とさえ思える羽鳥が、その時は別人のようだった。
たしかに言う通りだ。私の考えは間違っていた、手間をかけてこそ仕事。その言葉を心に刻むと同時にこうも思った。
「わかった、できる限界までウザ佐藤で行ってやる!」
そうして私は、オートサロン取材ではこれ以上ないほどのウザさで記事を書くと、固く誓ったのだった……。
・ウザ佐藤の歴史
実際どれほどウザいか、過去の記事を振り返ってみよう。イラ立ちのあまりに、ご自身のスマホを放り投げないように注意して頂きたい。
クリスタルベンツとの出会いによって、覚醒した2015年
目覚めたものの取材自体は手探りだった、2016年
少しずつ手ごたえを感じ始めた3年目、2017年
すでに常連気取り、幕張が俺を呼んでいると信じた2018年
助っ人「ビッグウェーブさん」ことブッチさんを招いて、タイヤの似合う男を演出した2019年
人に頼ってはダメだと、またイチからやり直しを決めた2020年
取材申請を忘れて入場できず、メッセの外で自撮りを堪能した2022年
コロナ明けだけど、マスクの配慮を忘れなかった2023年
~~~ そして迎えた2024年 ~~~
「今回は絶対に行ってやる!」、年末の段階で初日の2024年1月12日に照準を合わせていた私は、しっかり取材申請も提出して、あとは当日を迎えるだけの状態だった。
ところが! 12月29日に事務局から1通のメールが届いた。
「取材申請結果のお知らせ TOKYO AUTO SALON 2024
佐藤英典様
このたびは東京オートサロン2024の取材申請を賜りありがとうございました。」
「貴殿の申請を規定に基づき慎重に審査した結果、誠に恐縮ではございますが、今回のメディアパスの発行はお断りさせていただきます。ご理解のほどお願い申し上げます。」
断られた~~~!! ウソだろ!? 断られることってあるの? こういう取材で。15年ライターやってて、イベントで断られるって初めてだけど。
え? 「メディアパスの発行はお断りさせていただきます」って、やんわり言われてるけど、要するに取材出禁!? マジか~! そんなことある?
しばらくパニックになったが、1時間ほどして気持ちが落ち着いた。今までずっとオートサロンと仲良くやってきたと思っていたけど、振り返ったら、全然イベントの取材してないものな。そりゃ断られるよ。
でも、自分ではこう思う。ウザさを極めた結果なんだと。やり過ぎたな、「来るな」って言われるくらいやっちゃったな。うん……。
ということで、私がオートサロンの取材に行ける日が、再び来ることを願って、2025年も一応申請したいと思う。オートサロン関係者の皆さん、お願いだから入れてください……。
参考リンク:東京オートサロン2024
執筆: